さぁ、次は【捨てられないTシャツシリーズ】!
今回はこれ。
愛と悲しみのライオンキングっていうやつ。
ライオンキングじゃなくて、ライイングキング。
嘘つきの王って書いてるんだよ。
先週(ニコ生ゼミ#188)でも話したけど、僕はSF大会っていうイベントを主催したんだよ。
まず学生時代に、DAICON3(は愛称で、正式名称は)第20回日本SF大会。
それから、大阪でゼネプロという店を開いてプロになったけど、アマチュアとしてDAICON4、第22回日本SF大会を開いた。
この2回でアマチュアイベントを卒業してから東京に来て、ガイナックスというアニメスタジオを作ったんだ。
仕事もそこそこまわりだした時に、また大阪でSF大会があったんだ。
DAICON5というやつね。
DAICON3が1981年、DAICON4が1983年。
で、DAICON5は1986年。
DAICON5は、東京の吉祥寺でアニメスタジオをかまえ、処女作『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の追い込みに入っていた頃だったから、僕は完全なお客として行ったんだよね。
そこでトーレン・スミスっていう貧乏人に初めて出会ったんだ。
トーレン・スミスはカナダ人なんだけど、日本の漫画に惚れ込んでた。
日本語も満足にできないのに、なんとかして日本の漫画を翻訳してアメリカで出版したいっていう理想に燃えて、半年くらいまえに来日した。
それから、安い安いホテルに泊まり続けて、いろいろな出版社に飛び込みで交渉してまわってたんだ。
ところがなんの実績もバックグラウンドもないカナダの青年だからさ、どの出版社にも相手にしてもらえないんだよ。
DAICON5にお客として参加した時、矢野さんに 「こんな奴がいるんだよ、でもなかなか上手くいかないんだよなぁ」 という風に紹介された。
矢野さんは、矢野徹さんというSF翻訳家のおじいちゃんで、もう本当に偉い人なんだけどさ。
その人が「何とかしてやりたい」って言うんだよ。
そのときは、僕の中でガイナックスがそこそこ上手くいってたもんだから、気持ちに余裕みたいなのがあったんだろうね。
そのせいか、助けてあげたくなっちゃった。
とは言え、僕ができることなんてないよなぁ、って思ってた。
ところがその一年後くらいに、そいつが、「住むところももうすぐ追い出されるんで、いよいよ困ってる、何か仕事はないか」って、僕に言ってきたんだ。
で、「住むとこならあるよ。ガイナ荘にしばらくいればいいよ」って答えたんだよ。
ガイナ荘というのは、地方から来たスタッフ用にガイナックスが借りていた一軒家。
のメンバーで共同生活をしていて、社宅というより、いわゆるシェアハウスの走りみたいな印象だった。
シェアハウスと呼ぶには、三鷹のはずれの不便な場所にあるし、広いだけで小汚いんだけどね。
「確か、一部屋くらい空いてたはず」と思って武田さんに確認したら「空いてる」って言うから、もう他の住人の同意も何も取らずに「お前はガイナ荘に住め」って(笑)
SF大会で会っただけの知り合いがそんなことを言うなんて信じられない。
トーレン・スミスは「本当にいいんですか?本当にいいんですか?」って確認するわけ。
「いや大丈夫、大丈夫」って僕はうけあった。
で、ガイナ荘に、外人が来週から一緒に住むからよろしくって言っておいた。
みんなは本当かどうか疑ってたんだけど、いつもの「岡田さんが突然 言いだしたこと」だなって。それなら仕方ないって諦めてくれたんだよね。
で、結局、住むようになったんだよ。
それだけだったらやっぱり何とかしたことにならない。
俺はその時から、トーレン・スミスと一緒に講談社とか小学館とか集英社とか、いろんな出版社をまわったんだよ。
ガイナックスの名刺を持って。
小さなアニメ会社の社長の名刺に、何の意味もないんだけど(笑)
「彼はトーレン・スミスという青年で、私はガイナックスの社長であります。彼のことは私が保証しますから、どうですか?うる星やつらを出版させてやって下さい」
そういうような売り込みを、もう本当に出版社1軒ずつ回ってやったんだよね。
自分でもなんであんなことをやったのかわかんないんだけど。
なんだろうね、トーレンの目的はわかるし、それやった方がいいのもわかる。
それによってうちの会社も僕も何にも利益にならないんだけどもさ。
そんな面白いことを誰か知らない人の手でやられてしまうよりは(笑)、そこの流れにちょっと乗った方が面白いじゃん。
『フォレストガンプ効果』というんですか?
歴史の流れの変換点に立ち会えるという。
まぁ、単なる野次馬根性なんだけどさ。
それにしてはやたら熱心に、「彼は!彼は!」って言ったんだけどねぇ。
でもやっぱりね、どの出版社も自社のキラーコンテンツは出さないんだよね。
結局、出してくれたのはSF系の出版社とか、一発ネタがあるところとか、マイナーな出版社。
しかも、まぁこれだったら「アメリカでテスト的に出してもいいだろう」という作品だけなんだよなぁ。
その中で唯一、まじめにちゃんと検討して作品を提供してくれたのが、青心社っていう大阪の会社。
そこが士郎正宗の一連の作品をどんどん許可を出してくれたんだ。
その結果、2年後、彼は、サンフランシスコに渡って、そこでスタジオプロテウスという出版社を作ってかなり成功したんだよ。
士郎正宗の作品というのはそれが縁で、結局『攻殻機動隊』まで全部出せることになった。
日本の次に士郎正宗の漫画が読めるのは、アメリカという状況を、トーレン・スミスが、作った。
アメリカの映画界でも、士郎正宗の漫画を読んだ人が実はかなりいたんだよね。
この間、『攻殻機動隊ゴースト・イン・ザ・シェル』がアメリカのハリウッドで作られたっていうのも、その影響は大きいと思う。
だからこそあの企画が成功したんだよ。
今から30年位前にトーレン・スミスが僕と一緒に日本の出版社に頭下げて周ったことが、『攻殻機動隊ゴースト・イン・ザ・シェル』の制作につながっていると思うと面白いよね。
トーレンはそれからサンフランシスコに渡って、スタジオプロテウスという出版社を立ち上げて成功した。
俺が初めて会った時は、「ついに僕はコンビニで万引きをしてしまった」という話しを絞り出すように話してたほどの貧乏人だったのに。
トーレンは本当に正義感が強くて、プライドがめちゃくちゃ高い奴なんだよ。
その彼がコンビニで万引きしてしまったという。
なんだっけかな。
パンか何かを万引きしたんだっけか。
本当に追い込まれたんだなと思ったんだけどさ。
彼、サンフランシスコで成功してたあと、日本にビジネスクラスの飛行機で来て、その万引きしたコンビニにわざわざ行ったんだよ。
そして金を払って、「申し訳ありませんでした!」って土下座したらしい。
5年も経ってから。
コンビニのバイトも困ったろうね。
外人に土下座されて、金払われてもねぇ(笑)、
そこまで追い込まれていたトーレン・スミスが、アメリカのサンフランシスコで大成功をしてるらしい、という噂は聞いてた。
それから5年後、アメリカのオタコンに参加するついでに、サンフランシスコのトーレンの家に泊まりにいったんだよ。
トーレンはなんとアメックスのゴールドカードまで持っていて、寝ているベッドが巨大なウォーターベッドだった。
水温を調節するヒーターがあって、水が循環するポンプもあるという高級品だよ。
「お前、めちゃくちゃ景気いいな。ガイナ荘で、トイレよりちょっと大きい部屋に住んでいた外人とは思えないくらいの生活してるじゃんか!」と言ったら、「今や俺は成功者だ!」って(笑)
彼はいつも俺のことをおかぁださんって呼ぶんだけど、「おかぁださん、俺あと2年か3年でリタイアして、カリブ海に住めるよ」って言いやがる。
バックトゥザフューチャーのビフ・タネンみたいな顔しやがるんだよな(笑)。
ほんとはホテルにも泊まる予定だったけど、彼の家が居心地良すぎて、1週間くらいずっとホームステイしてしまった。
その滞在中に、彼にかかってきた一本の電話が、忘れられないTシャツにつながるんだよ。
もう忘れてた?
もうちょっと待ってくれ(笑)
次号につづく
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