“感動ポルノ”という言葉がネットニュースで流れて、炎上しました。
もともと“感動ポルノ”という言葉は、2012年に障害者のステラ・ヤングという人が、オーストラリアの番組で語ったそうです。
ステラによれば、この言葉は「障害者というだけで、障害を持っていることを含みにして、『感動をもらった!』『励まされた!』と言われる場面」というのを表しているそうです。
同様の言葉に、“フードポルノ”という言葉もあります。
食品の上にたっぷりのバターやクリームを乗せて、それがトローッと溶けている映像を見せることによって、食欲への衝動を呼び覚ますもの。
これを最近はフードポルノと呼ぶそうです。
“戦争ポルノ”という言葉もあります。
これは、戦場の映像を流すことに寄って、見てる人を興奮させるもの。
これもポルノの一部だと、最近は言われます。
つまり、どんな言葉にも「○○ハラスメント」と付くようになったみたいなものです。
どんな言葉にでも「○○ポルノ」と付くのが、誰もが映像を投稿する時代の、決まりフレーズになるのかもしれません。
そして岡田斗司夫の考える○○ポルノの特徴は、「作品性より、“感動させること”に主眼が置かれた作品」なんです。
一般的なエロいポルノの場合は、お話よりも、いかに興奮させられるかに主眼が置かれていると考えます。
「要するに感動させりゃいいんだろ」
「要するに興奮させりゃいいんだろ」
作者がそう考えている事が、透けて見えている感じって言えばいいんですかね?
昔、『世界の中心で、愛をさけぶ』っていう作品がありました。
あんなのが感動ポルノでしょうね。
「泣けた」なんて評価される映画は感動ポルノだと思います。
「今年、一番泣ける映画です!」と言われたら、ひねくれた僕は、なんだかポルノを宣伝されているような居心地の悪さを感じてしまうのです。
ただ、こう言うと、あたかも「感動させるのは悪いことだ」と言っているように聞こえるんですけど、そうではありません。
“感動”は悪くないんです。
“感動ポルノ”と“感動”は違うんですよ。
“安い感動”と“高い感動”
これの見分けがつかないことが、問題点じゃないかと思います。
どんな映画やドラマも、ベタで安直な感動と、高尚な感動の両方を持っていると思うんです。
安直な感動だけで出来ている作品は、クライマックスに延々と感動の音楽がかかって、盛り上げられる。
そうすると、「さめる人」と「泣ける人」に別かれちゃうんですね。
「泣ける人」は、ベタな展開で、ベタなセリフが出て来て、感動的な音楽が流れてきた時に「泣ける!」って思うんです。
ところがこれを「安っぽい。安直だ。」と感じる人には、「ドンドンさめるわ、音がうるさいわ、音量バランスが狂ってんじゃねぇの?」と感じてしまうわけです。
僕は、「日テレの24時間テレビは、感動ポルノだから悪かった」とは思えないんですよ。
「安い感動」だったから攻撃されたと思うんです。
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