自分の部屋がそんなに好きじゃない時があります。
昨今の自粛期間を経てあらゆることを部屋内で完結させることに慣れてきた感もありますが、逆に部屋の外に出ないと働いてくれない脳の一部があるなと最近よく感じます。
脳を動かしたくなったその日、大きな公園のベンチに座って、小学4年生くらいの子供達がサッカーをしているのを見るともなしに眺めていました。
「あの一見スポーツ刈りに見えるけど、後ろから見ると片方の襟足だけアシンメトリーに伸ばしている子がリーダーっぽいなあ」とか、「4年生くらいだと女の子の方が足が速かったりするんだなあ」とか、「一時期ラグビーやってる子も見かけたけど、結局、みんな、野球とサッカーに帰ってくるんだなあ」とか思いながらボーっと視線を流していると、虫かごを持った小学2年生くらいの1人の男の子が特に目的も無さそうな歩き方でゆっくり視界に入ってきました。
そして僕の隣のベンチに座って、中から彼が捕まえたであろうカマキリを取り出して地面に置き、枯れ草をパラパラと上からかけ始めました。
「この謎めいた行為は、なんだろう」と見ていたら、彼は叫ぶわけです。「あーー!でっかいカマキリ見つけたーー!」と。
はい。完全にヤラセですね。昨今、放送業界では一番問題視されてるアレです。
しかもサッカーやってる子たちは10メートルくらい離れてて、近くには僕しかいないわけです。一瞬、「マジでー?見せて見せてー」と僕が行くべきなのかと腰を少し浮かせたのですが、少し考えてみると、彼の狙いはヤラセがバレている僕ではなくサッカー少年達に向けてのパフォーマンスだったんです。僕には背中を向けてましたから。
僕は彼にとって風景だった訳です。危ないところでした。
でも僕、この彼の行動が結構気に入ってしまいました。
自分と世界との関わり方って人それぞれでよくて、
カマキリをダシに使ってもいいし、そこに草をかけて見つけた感を増幅するリアリティをプラスするのもいいし、カマキリの存在でサッカーを中断させようとする無謀な賭けに出るのもいいし、何より、誰かと関わりたいという熱さを自分流にアレンジしてるのが好きでした。
まあ、結局、少年達は見向きもせず、サッカーも止まらず、僕もそこを去り、彼は1人でまたカマキリに草をかけていましたけどもね。
ナイスチャレンジ。
この彼の一連の流れの中で
僕は最近引っかかってたある事を思いました。
「目的を達成しようとする気持ち」と
「そのやり口」の関係についてです。
目的を達成しようとする時に「物語」が生まれると思います。
それを誰かに伝える時に「演出」や「脚色」や「趣向を凝らす」といった工夫が必要になることもあります。
もっと言うと、この伝える工夫、「趣向」を楽しむ事が演劇上演の楽しみであったりします。
今回はこの「趣向」について考えてみたいと思います。
今回のテーマをカマキリの彼で例えると、誰かと関わりたいという「物語」があって、その中で、カマキリヤラセを持ち出す「趣向」がある、みたいなそんな話です。
井上ひさしさんの名言があります。
「芝居においては、一が趣向で二も趣向、思想などは百番目か百一番目ぐらいにこっそりと顔を出す程度でいい」
と言うものです。
首がちぎれる勢いで頷くくらい同意するのですが
最近、
「趣向が大事なのはわかるけど、あまりにも『趣向』に傾きすぎてシュコ(趣向)ラー、いや、シュコニストになりすぎてるんじゃないかい?」
と思う作品を見たのでそこを掘り下げながら「趣向」について考えてみたいと思います。
変な話、ここからは作品解釈についてだらだら述べるだけですので、
難解な作品を見た後、僕とお茶に行くとこんな感じでクダを巻かれるのかと想像しながら読んでいただけると幸いです。笑
2つの作品を取り上げます。
★映画「TENET」(クリストファー・ノーラン)
★演劇「君の庭」(KAAT×地点 共同制作 第10弾)
です。
「鬼滅の刃」と「ローマの休日」じゃなくてすみません。
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