――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【4】《研究員コラム》
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「沖縄問題Q&A」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
東京で何度か小さな集まりに呼ばれ、辺野古についてお話した。そこで出た質問はだいたい同じ。

「沖縄の人はどう考えているか?」

ということだ。もちろん出来るだけのことは答えるが、私からは

「じゃあなたはどう考えるのか?」

と訊きたかった。他国の軍事基地を70年以上も沖縄に置いておく「日本人」の神経が分からない。沖縄だけが戦後が終わっていない。それどころか新しく軍事基地が造られようとしている。米国従属の体制がこの後も続いていいのか、米軍基地を新しく造ってさらに献上する必要があるのか。
半世紀以上前になるが、ベトナム戦争の時、南ベトナム解放戦線の幹部がこう語った。当時はジェット戦闘機が嘉手納基地から直接ベトナムを攻撃していた。現地ベトナムでは沖縄は「悪魔の島」と呼ばれていた。

以下は「反国家の兇区」(新川明)によって書く。
沖縄支配の中核である米軍。その中で闘っていた全軍労の上原委員長は「もう沖縄問題は終わったと本土では考えている。やはり自分でたたかうほかはない」と語った。それに対し、支援カンパの動きが高まった。新川はこうしたカンパのニュースを聞くたびに、南ベトナム解放戦線のファット副議長の言葉を思い出す。
・・・・解放戦線のために日本の労組や革新政党が支援カンパをしていることに対してファット氏は丁重にこれを断わり、日本の方々に募金してもらうより日本自身のことを考えてもらいたい、と答えたことが岡村昭彦によって報告されている(続南ベトナム戦争従軍記)。そこでファット氏は「それは日本自身のことです。オキナワとオガサワラのことをしっかり考えてくださるようお伝え願いたい」(同書、205頁)と話している。・・・「反国家の凶区」250ページより
当時、米軍の「北爆」が行われ戦死者が続出していた。それを止めるには「悪魔の島」の嘉手納基地を麻痺させれば良いのだ。米軍基地で働く沖縄人労働者がその気になれば出来る、とファット氏は言いたかったのかもしれない。新川も多くの日本の市民・労働者の善意のカンパを嘲笑している訳ではない。
「全軍労闘争をみずからの内に、みずから自身に向けた闘いとして共有し得ているのか、と問いたいのである。」(新川明)

いま沖縄が日本政府を相手に闘っている。

なぜ?
基地を集中させるような政府を選ばなければ、沖縄の苦境はすぐに片付く。
「日本」のおかげで沖縄は大迷惑を蒙っている。と指摘すると、政府の代弁者たちからの声が聞こえて来る。「日本からの振興策の数々を忘れるでないぞ、この忘恩の民め」。日本の大マスコミも沖縄にアゲンストの風を吹かせているようにみえる。「沖縄のわがままを許すな」という政府中枢の意見と変わらない。これでは未来は描けない。沖縄の問題は他人事ではない。私も「募金も結構だが、日本本土で出来るだけのことをしてください」と言いたい。

緒方修 自己紹介:
1999年に沖縄に移住した。それまで文化放送に29年勤務。身も心もボロボロになり腎臓・尿道には結石、十二指腸には潰瘍、とどめは心因性喘息すなわちストレスで息も絶え絶えとなった。49歳で退社。辞めた瞬間から身体が急速に快復してきた。つまりは仕事が病気の原因。2年間、友人の仕事の手伝いなどでお茶を濁し、1999年から沖縄大学に採用され67歳まで教壇に立った。沖縄は杉花粉がない。それだけで数カ月の災難から逃れられる。暖かいので暮らしやすい。ただし物価がそれほど安い訳ではない。野菜・果物など東京より高い時もある。移住前にも80回通い、沖縄のことを知っていた積りだったが、住んで見て初めて解ることもある。今回はよく受ける質問に私なりのお答えを書いてみた。

1)報道の落差。 沖縄での出来事の報道が本土では極めて少なく、軽視も。

例1:沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落したとき、沖縄のあるテレビ局のディレクターが東京のデスクから注文された。「死者が出たか? ない? なら30秒で」。
対照的なのは中華航空の炎上事故。こちらも死者はゼロだったが各テレビ局がワイド番組ごとにクルーを派遣していた。おそらく米軍ヘリ事故の数十倍の規模で報道された。
観光に影響があることには本土のメディアも敏感、しかし米軍機の影響は沖縄だけなので無関心。安保のせいでいつまでも沖縄だけが「戦後が終わらない」。

例2:米兵が深夜、市内のビジネスホテルに泊まって(その事自体、規律違反)女性を暴行。琉球新報と沖縄タイムスでは一面トップなのに、本土では小さな記事にしかならない。

2)辺野古の埋め立て工事:
承認は、仲井真知事が知事辞任の二日前に出したもの。年末に車椅子で東京の病院に入院し、(10日以上も滞在していたと記憶)何度も官邸と行き来して決めた。直前には沖縄振興基金(と呼ぶのも問題だが)を3000億円以上、10年間にわたって政府から取り付け「いい正月が来そうだ」と発言。県民の反感を呼ぶ。仲井真知事の公約破りは、政府の恫喝のほかに、自らの借金肩代わりを官房機密費から引き出したのではないか、との噂がある。インタビューに答えて「政府といろいろ取引・・いや交渉」と言い直す場面があった。何の取引をしたのか?死んだような眼をした菅官房長官が何を取引材料にしたのか知りたい。
週刊文春、がんばってね。ベッキーやショーンK、乙武とスクープが目立つ。でもやりたい放題の権力に向かわなければ、弱いものいじめで終わってしまう。

日本政府は仲井真知事の辞任直前のOKサインだけを根拠に工事を強行。その後、翁長知事は第三者委員会の詳細な議論を経た後、ようやく「埋め立て取り消し」を発表。アメリカ側にも「これは本気だな」と思わせた。
裁判所の和解勧告は2本あり、本論は非公開。30年後に「返還」案があると聞く。(米国側の言質がとれる訳ではなく、とうてい信用できない) 
ここへ来て裁判所からの「勧告受け入れ」で初めて工事が長期ストップする。 とは言え、政府は、辺野古が唯一の選択という立場を変えていない。選挙対策の目くらましかも? 
翁長知事は、もともと保守。日米安保を認めているが、沖縄での基地のたらいまわしが発展を阻害している、と認識。いつも以下の主張をしている。
「沖縄県民が自ら基地を提供したことはない。もし辺野古が埋め立てられ、国の政策で基地が出来ると県としては口を出せなくなる。新しい軍用基地の建設は沖縄の未来を奪う。」

3)動画放映(約12分のDVD)
注:Youtubeで「オキナワ辺野古は今」のタイトルで公開中。https://www.youtube.com/watch?v=PEzbKY-zUXs
 
翁長知事の埋め立て承認取り消しの発表。
 辺野古のキャンプシュワブ前での住民のデモ、座り込み、大浦湾の抗議カヌーに対して、警察や海上保安庁が暴力で取り締まる。警察官も沖縄出身者に加え、東京警視庁から派遣された者を当てるなど。
以上がDVDの内容だが、字幕で発言内容を補っている。以下を参考。

1―知事に立候補した経緯と公約
 平成24年、日米両政府から、普天間基地へのオスプレイ配備発表
 平成25年、県内41市町村長、議会議長など建白書を政府に突きつける
 沖縄県民の普天間飛行場の辺野古移設反対は約8割
 日本の安全保障は日本全体で負担すべき
 公約―普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念、辺野古に新基地をつくらせない
    米軍基地は、今や沖縄経済発展の最大の阻害要因
    大いなる可能性を秘めた沖縄の「ソフトパワー」こそ成長のエンジンなど

2-沖縄について 

(a)沖縄の歴史
  
万国津梁(ばんこくしんりょう)の精神=アジアの架け橋、アジアの貿易の中心に
  
ペリー提督により1854年に琉米修好条約批准
   
1879年、琉球処分(日本国に併合された)
   
ウチナー口(琉球語)の禁止、皇民化教育
   
1945年、鉄の暴風・沖縄戦 20万を超える死者
   
サンフランシスコ講和条約で、米軍の施政権下に
   ―日本国憲法の適用なし、日本国民でもアメリカ国民でもない
―治外法権状態、犯罪を犯した米兵が基地へ逃げ込みそのまま帰国    

(b) 沖縄の将来像
    
沖縄21世紀ビジョン基本計画
    ―強くしなやかな自立型経済の構築、沖縄らしい優しい社会の構築
    
アジアのダイナミズムを取り入れる
    
観光リゾート産業で自立―外国人観光客は100万人を超す
    
航空・物流企業の努力でアジアを結ぶ国際物流拠点の地位
    
海底ケーブルにより情報通信産業の拠点に
    
東西約1000㎞、南北約400㎞の海域にわたる島々    

3-米軍基地について 

(a)基地の成り立ちと基地問題の原点

米軍基地は、戦中・戦後に住民が収容中に強制接収

住民を「銃剣とブルドーザー」で追い出して造った

沖縄は自ら進んで基地のための土地を提供したことはない

1956年プライス勧告、しかし自分たちの故郷の土地は売らない

以前は、本土と沖縄の米軍基地の割合は9対1だった

国土面積の0.6%の沖縄県に73.8%の米軍専用施設が集中

(b)普天間飛行場返還問題の原点
    
政府は、県民が土地を一方的に奪われた事実を黙殺
    
「辺野古が唯一の解決策」と繰り返すだけの対応は政治の堕落
    
平成11年に「軍民共用、15年の使用期限」の前提条件で県内移設容認
    
しかし平成18年に、政府は一方的に廃止
 
(c)「沖縄は基地で食べている」基地経済への誤解
    
米軍基地の存在は、今や沖縄経済の最大の阻害要因
    
米軍基地関連収入―復帰前は30%強、復帰後15.5%、今は約5%
    
沖縄は基地経済で成り立っている、という話は過去のもの
    
現在の基地関連収入は501億円、返還後は8900億円と試算
 
(d)「沖縄は莫大な予算をもらっている」沖縄振興予算への誤解
    
振興予算3000億円は上乗せではなく、内閣府が一括計上するため
    
地方交付税は全国17位、国庫支出金等を合わせた額は全国6位
 
(e)基地問題に対する政府の対応
    
基地負担の軽減はまやかし、0.7%しか減らない
    
大部分が県内移設、それもいつ返還されるか不明
    
オスプレイは24機、辺野古新基地が出来ると100機に!
    
普天間基地の5年以内運用停止は話クワッチー(リップサーヴィス)、空手形
 
(f)県民世論
    
平成26年1月名護市長選―辺野古移設反対候補が再選
    
11月、県知事選、翁長知事圧勝
    
12月、総選挙では4つの小選挙区全てで自民党候補敗れる

4-日米安全保障条約
    
ソ連崩壊、中国も変化―それでも以前と同じように米軍基地が必要か
    
政府は中東問題のために、シーレーンのために沖縄が大切と説明
    
沖縄一県に日本の防衛を押し込めれば、再び戦場になる

自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国がどうして世界の国々と価値観共有できるか疑問  

日米同盟、日米安保体制をもっと品格・誇りのあるものに

4)辺野古基地:
 陸海空軍の新しい要塞として、200年の耐用性を持つものを構想。
滑走路は初め、フローティングとする計画だったが、地元・全国の土建業者から「それではカネにならない」と、固定V字型に。ダンプ一台借りて、土砂運搬に駆けつけよう、という土木業者の話も聞いた。辺野古の海・大浦湾を埋め立てるには約350万台のダンプの量の土砂が必要とのこと。ざっと1日約100台とすると1カ月で3000台、一年・12カ月で3万6千台。この調子で100年間ダンプが運び続けてようやく完成。ダンプ業者は超優良「100年企業」として栄えることになるかもしれないが、それで幸せか?耐用年数も200年とのこと。だとすればメンテナンスの仕事も200年続く?
一世代30年として7世代先まで辺野古軍事基地がたたることになる。新軍事基地は断念するのが当然の選択、と思うが現政府は進めるつもり、そしてそれを支持する方が多勢という不可思議な日本の現状。
 今の「工事中断」がどこまで続くか? は国民世論如何であろう。