UFC187のライトヘビー級王座決定戦でアンソニー・ジョンソンを破り王座戴冠を果たしたダニエル・コーミエ。レスリングエリートながら、ここまでの道のりは苦難に満ちていた。2012年、ストライクフォースヘビー級GP決勝戦ジョシュ・バーネット戦(結果はコーミエ勝利)直前に更新したMMA UNLEASHEDから、コーミエの復活劇を味わってほしい。
子どもの頃には、裏庭にマットを敷いてもらってプロレスごっこ三昧だったダニエル・コーミエは、高校に入ってレスリングで頭角を現し、15歳で州のチャンピオンになり、そのままナショナルチームに参加して国際大会で優勝と、まばゆいばかりのエリート街道をばく進した。
影が差したのは、2004年アテネ五輪にむけた国内選考会直前。生後3ヶ月の娘ケーディーンを自動車事故で亡くしたのだった。母親と友人の乗っていた車に、トレーラートラックが突っ込んだ。コーミエは当時23歳。翌週に控えていた五輪予選会がコーミエ待ちで延期されたおかげで、無事アテネ五輪に出場することができ、4位という成績を残す。
コーミエにとってさらなるトラウマになったのが2008年の北京五輪だった。
「娘が死んだときには、これ以上ひどいことは起きないだろうと思っていた。そしたら、例のオリンピックだよ」
「北京で軽量に合格した。そのあと、身体が言うことを聞かなくなった」とコーミエは振り返る。「けいれんを起こし、嘔吐を繰り返した。歩くことすらできなかった。どうしちゃったんだろうと思った」
倒れたコーミエは選手村の仮設病院で腎臓疾患と診断され、一晩点滴を打った。
「朝の8時頃だったかな、僕は点滴を引き抜いて、試合に出るって言ったんだ。試合は9時だか10時だかの開始だった。そしたら五輪協会の人から、出場停止を命じられた。泣いたし、荒れたし、心が折れたよ」
当時の米レスリングチームのコーチ、ケビン・ジャクソンも「あのときのコーミエの感情の爆発には参ったよ。なにせオリンピックだからね。しょっちゅうあるチャンスじゃない。それにコーミエは、金メダル候補最有力だったんだ」と語っている。
コーミエは当時の雰囲気を振り返り、「周囲の人から支えられている感じではなかった。米レスリングの上層部は僕のことを怒っていた。ケビン・ジャクソンは僕に味方してくれたけど、すぐにクビになってしまった。信頼していた人たちにも背を向けられた。みんな僕の事じゃなくて、自分のことを心配しているようだった」と語っている。
ケビン・ジャクソンにとっても逆風が吹いた。「医者が言うには、間違った減量方法を長年続けてきたツケが、最悪の時に最悪のかたちで現われたのだそうだ。減量方法を間違っていたと言うより、正しいと思ってやっていた。五輪選手は給料をもらっていて、プロの選手と同じで、結果には責任をとらないといけない。減量方法を変えるのもありなんじゃないかという話はしていたところだったのが悔やまれるよ」
帰国したコーミエは深いうつ状態に陥った。出発前は金メダル候補だったというのに、帰国後にはやることが何もなかった。
「ひどく孤独で、かんしゃくばかり起こしていた。僕が泣いていたとき、たまたま元嫁が会社から電話してきた。そしたら僕が自殺か何かするんじゃないかと思って、元嫁が飛んで帰ってきたこともあったよ。毎日ゾンビのようにふらふらしているだけだった。身体と心の痛みを取り除きたくて、睡眠薬や鎮痛剤をたくさん使った。国中を失望させてしまったように感じていたんだ」
「オリンピックという言葉を聞くと、いまでも心に突き刺さる。友だちと冗談を言い合うこともあるけど、やっぱりまだ気持ちが傷つく。ぐったり下気分になってしまうんだ」
その後、コーミエはオクラホマ州の地方テレビ局のCM枠を売る仕事に就く。「毎日死んでいるようなものだったよ。毎晩飲んでた。自分のオフィスに閉じこもって、ランチの時間もずっと寝ていたよ」
やがてキング・モーからMMAの話を聞くようになった。「ウソだろと思ったよ。モーが金持ちになっていたんだ。あの弟分のモーが、僕にカネを送ってくれるんだよ。日本で一試合48,000ドルもらっているということだった」
「いろんなことがあった。曇りの日が永遠に続くように思えた。でも、最後には晴れるんだね。良い日が来るんだ。悪いことばかり起きて、地下に葬られる人なんていないんだよ」
現在のコーミエは、名門ジムアメリカン・キックボクシング・アカデミー(AKA)で、MMA用レスリングの鬼軍曹となっている。AKAのレスリング練習メニューを全部作り替え、プロ選手がやるべき練習もすべてコーミエが決めている。トッド・ダフィに休むんじゃないぞと檄を飛ばし、「まさか疲れたんじゃないだろうな」とグレイ・メイナードのケツを蹴る。みんなが素直にコーミエの指示に従う。
ストライクフォースのヘビー級GP決勝、ジョシュ・バーネット戦が間近に迫ったコーミエは、一選手としては、毎日AKAで、同じく試合直前のケイン・ベラスケスと、熱いスパーリングを繰り返してきた。スタミナもついたし、ジャブも上達したし、友だちを殴るのにも慣れてきたという。
「いまはアメリカ中のレスリングのジムで、誰もが自分の言うことを聞く。だからジョシュに負けることはもちろん、ただのひとつのテイクダウンを許すわけにもいかない。ジョシュとは親しくしているが、だからといってジョシュは戦い方を変えてくるような男ではないだろう。もちろんこちらもそのつもりだ」
MMAキャリアはジョシュより短いコーミエではあるが、トップレベルでの試合経験ではけして引けをとらない。現在はAKAで、太く短い現役生活を満喫しており、プライベートでも2月に現在の妻との間に息子が生まれ、奥さんはさらに妊娠中だという。なんど投げつけられても、トップポジションに戻ってきた人生経験豊富な男である。ジョシュ・バーネットとの大一番でも、一筋縄ではいかないところを見せつけてくれることだろう。
(文・高橋テツヤ/ OMASUKI FIGHT http://omasuki.blog122.fc2.com/)
(出所)
- Ben Fowlkes, The Indestructible Man, MMA Fighting, 2011/11/23
- Ben Fowlkes, A Wrestler's Pride: Why Daniel Cormier Can't Allow Josh Barnett to Score Even One Takedown, MMA Fighting, 2012/3/26
- Strikeforce : Daniel Cormier: I Am a Fighter - SHOWTIME MMA
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