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白血病によりリングから遠ざかっていたノブ・ハヤシが12月29日『BLADE1』大田区総合体育館で復帰することになった。ノブ・ハヤシといえば、オランダからの“逆輸入ファイター”としてK-1 JAPAN GP '99に登場。準優勝を果たして一躍脚光を浴び、その後もK−1などのリングで活躍。6年ぶりの試合への意気込みとこれまでの格闘技人生を振り返ってもらった。




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――ハヤシ選手の格闘技人生は長いですよね。

ハヤシ いま36歳でK-1は20歳のときですから長いですね。高校のときに空手を始めたんですけど、まあ20年もやってないんですけど(笑)。

――格闘技との出会いは、新生UWFの支援者であった福田典彦氏が経営する徳島のフクタレコードがきっかけなんですよね。

ハヤシ ああ、そうなんですよ。ボクが中学3年のときにK−1が始まったんですけど、その前からリングスやUWFを見るのが大好きで「自分もやりたいなあ」と思ってて。調べたらフクタレコードにプロレスや格闘技のビデオがたくさん置いてあることを知って。

――フクタレコードには一度取材に行ったことがあるんですけど、特殊なレコード屋ですよね(笑)。

ハヤシ 特殊っす(笑)。行ってみたらボクの身体が大きかったので声をかけられたんですよ。

――そこで福田の大将にスカウトされて。その巨体だったら目を引きますよね(笑)。

ハヤシ そこから福田さんと仲良くなったんですけど。そのとき前田(日明)さんが好きだったのでリングスに入りたいってことを福田さんに言ったら「話したるわ〜!」と。それで高校生1年生の夏休みに10日間だけリングス道場に入ったんですよ。

――凄い夏休み体験ですね(笑)。 

ハヤシ 高阪(剛)さんや坂田(亘)さんがまだデビューしてなかったんですよ。道場には長井(満也)さん、山本(宜久)さん、成瀬(昌由)さんもおって。

――ハヤシ選手は校生でしたけど、身体は見劣りしなかったんじゃないですかね。
ハヤシ そのとき185センチで120キロくらいあったんですよ。

――高1で!

ハヤシ でも、練習についていけなかったんですよね。練習だけじゃなくて掃除洗濯、飯を作る。ああいう世界に当時のボクはついていけなかったですよ。まだ高校1年生だったから考えが甘かったんですよねぇ。

――練習だけやればいいという世界ではなくて。

ハヤシ ボクは練習だけやっていればよかったと思ったんですけど、それがもうまったく。それに練習といってもスクワットとか当時のプロレスの練習じゃないですか。最初に走りに行って帰ってきたらスクワットやって、メシを作るために買い物に行って。あのときは高阪さんか坂田さんがメシを作ってましたね。

――それは貴重な光景ですねぇ。

ハヤシ 高阪さんはその月にプロデビューしたので凄く練習してましたね。坂田さんとは寮で同じ部屋でした。

――どんな話をされたんですか?

ハヤシ もう昔のことなのでおぼえてはないんですけど、最初に道場で言われたのは「前田さんを怒らせるな!」ってことで。それだけです。

――たしかに重要なことですけど(笑)。

ハヤシ 「前田さんはキレさせるな。骨が2〜3本折れるぞ!!」と(笑)。

――ハハハハハハ!

ハヤシ ああ、やっぱりヤバイんだあって(苦笑)。でも、ボクは10日間くらいしかいなかったんで、前田さんとは2〜3回くらいしかお会いしなかったです。キレさすどころか近寄ることもできなかったので。

――予定ではどれくらいいるつもりだったんですか?

ハヤシ 夏休み中おるつもりだったんですけど、10日くらいで帰ってきました。「これはヤバイ……無理」と思って。でも、体験しといてよかったですよ。オランダに行ったときに全然、楽でした。

――いい経験になったんですね。

ハヤシ オランダでは自分のことだけをやっていればいいわけですから。

――しかし、高校の夏休みはリングス道場、卒業後はオランダ修行って格闘ロマンの塊ですね(笑)。

ハヤシ 高2の頃からオランダに行きたいなあとは思ってましたね。ただ、向こうのジムに所属するつもりはなくて、とりあえずオランダで練習したいと。

――当時はオランダで修行される格闘家は多かったですね。

ハヤシ でも、プロで活躍する人が多かったじゃないですか。小林聡さんや新田明臣さんとか。

――ハヤシ選手はプロ経験なしですね。

ハヤシ そうなんですよ。ボクみたいな素人が行くケースは珍しかったみたいで。オランダに行く前にアメリカのモーリス・スミスのジムに行ってるんですけど。

――それもまた行動力ありますねぇ。

ハヤシ オランダに行く前に海外に慣れなあかんかなと思って(笑)。ボクは大学に行かなかったんですけど、大学に行くお金を親が貯めていてくれて「好きに使っていいよ」と言われて。じゃあアメリカに1ヵ月くらい行ってみようかと福田さんと話をしていたんですよ。そうしたら福田さんが「いまモーリスのジムにフランシスコ・フィリオとかいるんちゃうか」って。ちょうどフィリオがK−1でデビューする前だったんですよね。そうしたら、あれよあれよとモーリスのジムに行くことになって。着いたらフィリオやニコラス・ペタス、ギャニー・オニールがいて。

――そうそうたるメンツ! 極真勢の対K−1合宿の最中だったんですね。

ハヤシ 同じモーテルに住んで練習に一緒についていったりして。松井(章圭)館長にもお会いしましたし。最後の最後はフィリオひとりだけになったんですよ。だからいつも一緒に行動するようになってフィリオが作ったメシを食べたりしましたよ(笑)。

――プロデビュー前から貴重な経験をしすぎというか(笑)。フィリオってやっぱり凄いですか?

ハヤシ あのね、凄くないところが凄いんですよね。蹴りとか凄いんですけど、人間としてどんと構えていて「こいつは強いな!」という雰囲気がないんですよね。

――自然体なんですね。

ハヤシ そうそう。普段はホントいい兄ちゃんなんですよ。

――モーリスのジムってまだキックボクシング専門の頃ですよね?

ハヤシ そうです、まだ小さいジムで。当時のモーリスはまだ現役で、UFCでランディー・クートゥアとやるかやらないかの時期ですよね。

――モーリス自身はどんな練習をしてたんですか?

ハヤシ キックだけですね。総合の練習はほとんどしてなかったですよ。

――モーリスって練習はあまりやらないけど強いという天才肌だとか。

ハヤシ 天才ですよ。な〜んにもやってなかったです(笑)。「なんでUFCに出るんだ?」って聞いたら「楽だから」って言うんですよ。キックより総合のほうが楽だって。

――当時のMMAって削り合いにはなりにくかったですね。

ハヤシ キックって3分5ラウンドずっと動いて打ち合わないとダメじゃないですか。総合は足を痛めていても数を蹴らんでええ。キックボクサーはみんな同じことを思ってるはずですよ。マーク・ハントもヒザが悪いでしょ。キックの試合でヒザを蹴られ続けたらヤバイですよね。

――そのアメリカのあとにオランダに渡ったんですね。

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