「◯◯を退職しましたブログ」といえば、入社動機から詳しい業務内容や退社に至る経緯、今後の展望で締めるエントリーで退職まとめサイトも生まれるほどの有力コンテンツになっている。年明け早々にそんな「退職しました」界隈の話題をさらったのはじつはプロレスラー。ユニオンプロレスの三富政行、学生プロレスで名を馳せた潮吹豪 は広告代理店・博報堂を退職。将来を約束された大手企業を辞めてまでプロレスにどっぷり浸かろうとする理由とは? アッパレなプロレスバカが語る「プロレスと学生プロレスの違い」「2000年代のプロレスと表現論」まで!(聞き手/橋本宗洋)
(協力 MIDBREATH初台 http://www.midbreath.com/)
――ユニオンプロレスの若手プロレスラーがじつは博報堂に務めていたというだけでもビックリなのに、プロレスラーに専念するために入社一年目でやめてしまったという。その心境を綴ったブログの反響は凄かったんじゃないですか?
三富 はい。あのブログ(http://ameblo.jp/masakichi3103/entry-11744561831.html)を1月6日に書かせていただいて、いま12日ですがブログのアクセスが7万2千件ですね。
――7万件ですか!
三富 自分でもビックリしておりまして、その前の更新記事が、ばってん多摩川さんの送別会の記事で524アクセスなんです(笑)。
――ハハハハハ。
三富 その差からも反響の大きさを受け止めております(笑)。
――まとめサイトに載ったことも大きいんでしょうね。
三富 それもあると思います。あと広告関係で有名な方がシェアやリツイートされていたので、私の中ではプロレス村の外に人たちに読んでもらっていたという認識がありますね。Facebookでも知らない方からメッセージを100件近くもらってまして。内容は「いま私は電通に務めているのですが、プロで社交ダンスをやっているので励みになります」「俳優を目指して会社をやめました」とか。もちろん批判のメールもありました。
――批判のメールなんてあるんですか?
三富 匿名で「おまえのブログは売名行為でしかない!!」とか。
――へえー(笑)。
三富 そういう声も想定の範囲内でしたけどね。それを含めたプロレスラーの自己プロデュースですという(笑)。
――広告業界の方に反響があるというのは「博報堂を辞めるのかよ!」という驚きがあるんですかね。
三富 いや、じつは逆なんです。実際問題、辞める相談を広告業界の方にさせていただいたいんですけど「辞めたほうがいいよ」という声が非常に多かったんですね。
――あ、そうなんですか。
三富 これは不思議な話なんですけど、広告業界にいたことがない方は「辞めないほうがいい」と言うんです。でも中にいる人の8、9割は「辞めたほうがいい」と言うんです(笑)。
――そういうもんなんですか。
三富 やっぱりあの中に入ってしまうと人生の大半を会社で奪われてしまうことを知ってるからでしょうね。そこを皆さん感じてらっしゃっていて、長く続けるためには会社に拘束される中で、どれくらい自分のやりたいことを見つけるが大事であって。だから、それがほかの場所にあるなら「絶対に会社を辞めるべきだ」という考えになるんでしょうね。
――広告代理店という、まあ特殊な“業界”だからこそなんですかね。
三富 それはあると思います。代理店って本当に変わってるんです。私もまだ入社1年目だったんですけど、夏前にはバリバリ仕事をさせられて。基本は朝8、9時出社なんですけど、帰宅するのは深夜2、3時はザラで。要は人生の80~90パーセントを会社のために捧げなきゃいけないうえに、その仕事と自分のやりたいことが同じベクトルにないと難しいと思うんですよね。
――別のことを同時進行で、とはいかなかったですか。
三富 結局、プロレスラーは自己表現の世界じゃないですか。でも、広告業界はその自己表現をお手伝いする黒子なんで、あくまで。アイデンティティは別にあるんですよ。それに私の場合は「どう表現するのか」という意識が強かったですから。
――なるほど。自分で表現したい人間からするとけっこうなストレスかもしれませんねえ。
三富 今回のブログも狙って書いたところはあったんですよ。それこそ虎視眈々と(笑)。本当に素直な感情を書かせていただいたんですけど。
――博報堂ではどんな仕事をされていたんですか?
三富 営業の仕事に就かせていただきました。メーカーさんの営業とは認識が違って、広告代理店って売るものがないじゃないですか。得意先の企業と繋がり合って、テレビや雑誌などの媒体とやりとりするのが代理店なんですが、その入口と出口になるのが営業ですよね。そのあいだにクリエティブやプラニングの担当がいて中身を考える。私はその営業として大手の企業さんの担当させていただいたんですけど。――やっぱり土日も休みがないんですか?
三富 そこは部署によるんですけど、ウチの部署は土日は絶対に休みですね。だからユニオンの試合もなんとかできたんです。
――でも、それだけ仕事に時間を取られると練習もままならなかったんじゃないですか?
三富 そうなんですね。トレーニングは毎朝やってたんですよ。朝5時半に起きて早朝からやっていたり24時間やってるジムでトレーニングをしてまして。それから出社しまして深夜まで働いて、寝たか寝てないかわからないみたいな生活を繰り返してました。ですからDDTの合同練習も参加できてなくて、学プロ時代の後輩と土日の空いてるときに練習したりして。そんな状況でも練習をやめなかったのは、それがボクのプロレスに対するアイデンティティだったんです。生半可な気持ちではやりたくなかったですし、そうしているうちに仕事とプロレスの葛藤が出てきたんだと思いますね。
――そのときにプロレスのほうをやめようとは思わなかったんですね?
三富 一切出てこなかったんですね。ボクの人生はプロレスありきで、まだ24年しか生きてないですけど、ずっとプロレスに救われてきましたし、プロレスがあったから前を向いて生きてこれたと思ってますので。
――三富さんの世代だと、どのへんがプロレスの入口になるんですか?
三富 私は2003年3月1日の三沢光晴vs小橋建太戦ですね。三沢さんが小橋選手を花道からタイガースープレックスで投げた試合です。
――小橋さんがGHCヘビー級のタイトルを獲った試合。10年前ですから三富さんは中学生の頃ですよね。
三富 はい。あの試合を見て衝撃を受けまして。それまで私は空手をやってまして、それこそK-1・PRIDE全盛期の頃ですよね。それだから格闘技こそが最強だと思ってたんですけど、あんな凄い技を何発も食らってるのにそれでも立ち上がって闘うプロレスラーの姿を見て、この人たちは人類で最強だと思うようになったんです。感銘を受けました。そこからドハマりですよね。中学の頃はプロレスが好きな友達はひとりもいなかったんですけど、毎週TSUTAYAでプロレスのビデオを借りて、新日本やノア中継をビデオ録画して擦り切れるまで何度も見ましたし、昔の新日本も旗揚げ戦から全部見ました。
――いつぐらいからプロレスラーになろうと考えていたんですか?
三富 高校生の卒業文集には書いてました。ウチの高校は俗にいう進学校で進学率は100パーセント。早慶上智東大に入るようなところだったんですけど、ひとりだけ「プロレスラーになりたい」と(笑)。担任の先生にバカかって言われて。
――そういう人が本当にプロレスラーになるんでしょうけどね(笑)。
三富 大学は絶対に行こうと決めてました。なぜかというと、私の兄は一橋大学に通ってたんですけど……。
――エリート兄弟じゃないですか!(笑)。
三富 兄は国を支える某大企業で働いてるんですけど。その一橋の文化祭で学生プロレスを見まして「大学に入ってプロレスをやろう」と。それで一浪したんですけど慶應大学の文学部に入って学プロをやらせていただいたんです。
――でも、慶應って学プロの団体がないですよね?
三富 ないので、UWF関東学生プロレス連盟という団体としていろんな大学から選手を呼んでやるかたちで、4年間プロレスしかやらない大学生活を送っていたんです。
――前に今成(夢人)さんの映画(『ガクセイプロレスラー』)を見たんですけど、とにかく「リア充大嫌い!」が伝わってくるというか、コンプレックスの中でやってるというか。学生プロレスってあんな感じが多いんですか?
三富 コンプレックスを抱えてる学生は多いですね。でも、私は正直、女性関係は困ったことはなかったんですけど(笑)、ブログにも書かせてもらったとおり、やっぱり普通に大学生活を送ってる人たちへの渇望はありました。自分なりの青春を送りたい。その表れが「潮吹豪」という学生プロレスラーなんですね。いまの目標は潮吹豪を超えることなんです。正直言ってまだまだ負けてる思うんですよね。
――基本的に学生プロレスって大学生がやるわけじゃないですか。ということはいずれ就職をしますし、いまではしっかり働いて会社の上のほうの位置にいる人も多いですよね。たとえば伝説の学プロレスラーのブランコ・オギーソさんは某新聞のデスクだったり、TBSラジオの橋本プロデューサーはアントニオ本多さんのライバルだった中条ピロシキさんで。
三富 要は社会人生活が学生生活を超えられれば両立できるんですよね。学生プロレスのトップにいて就職した企業でも頑張っていらっしゃる方は、学生プロレスに注いでいた力が会社や社会にうまく変換できて成功してるんでしょう。ただ、それがうまく変換できなかったのが今成さんやボクなんでしょうね。
――三富さんの場合は就職したままプロの団体に入団したわけですよね。
三富 そこは正直、かなり葛藤はありましたね。本当は大学で一区切りつけようと考えていたんですよ。それが幸か不幸か、DDTという存在にふれてからは、もっと面白い世界があるんだということを知ってしまって。大学2年の終わりくらいからDDTには物販とかで関わらせていただいて。いつも興行とかついて周っていたんですけど、あの人たちは本当に楽しそうじゃないですか。
――はい(笑)。
三富 学プロを卒業したあとにもあんなに楽しそうに生きられる。(男色)ディーノさんたちの価値観や生き方に憧れちゃいましたね。あと学生時代から、ばってん多摩川さんや西口プロレスとつながりがあったんですが、あの人たちも目がキラキラしてるじゃないですか。あの目を見てしまうと引き込まれてしまうんですよね。それを知っているとこういうふうに生きたほうが楽しいんじゃないかな、と。それはダメだとはわかっていた自分もいたですけど、そこは葛藤ですよね。
――そもそも二足のわらじだと、プロレスと広告、どちらも難しかったりしないですか?
三富 はい。レスラーの方々にも「そんなに甘いもんじゃない」と口を酸っぱくして言われました。それに広告をやってる人はその仕事に誇りを持っていますし、向き合い方も違うじゃないですか。
――広告業界の上の人も、それこそトップレスラー並の気概をもってやってるんでしょうし。
三富 そうです。それでのし上がってきた方々なんで。であるならば、私はどちらに専念すればいいかと考えたら、それはプロレスだったということですね。
――そこまで悩んで、正直、大きく収入を減らすわけじゃないですか。広告業界に残るメリットは考えなかったんですか?
三富 そこは考えました。とくに収入ですよね。会社にいれば何不自由なく生活できるわけですから。でも、それだけの時間を拘束され、自分の人生を費やさないといけないですけど、このままではかならず精神が朽ち果てると思ったんです。それだったら自分のやりたいことをやったほうがいいのかな、と。
――そこまでしてまでやろうとしているプロレスって、三富さんにとってどんな魅力があるんですか?
三富 いまが「スーパー楽しい!!」かといえば、ぜんぜんそうじゃなくて、もっと活躍したいというのが率直な気持ちです。要はいままではずっと二足のわらじを履いていたので試合数も少なかったですし、いまは自分なりの野望がありますからそこに向かっていきたいですよね。魅力という点では、プロレスというのは非日常の世界で、それをお客さんにも味あわせて、かつ自分も味わえることは快感ですよね。そこは麻薬です。そこの麻薬の味を知ってるから学プロをやめてもプロレスを続けてる人は多いんじゃないですか。ディーノさんにもそういうところがあると思うんですよね。
――代理店も厳しいでしょうけど、学プロからプロのプロレス団体に入ったときの壁というかハードルはどうでしたか?
三富 それはメッチャあります。というか、ぜんぜん違うものです。これは冨永(慎一郎)さんも言ってましたけど、学プロとプロレスはやってる手段は同じでも根底にある表現は違う。別物なんです。傍から見てるぶんには同じに見えるんですけど。学プロをやってた自分もそう見えてましたから。
――「学プロのレベルの高いものがプロレス」というわけじゃないんですね。
三富 ぜんぜん違う山なんです。これは言葉でうまく説明できないですねぇ。
――やってみないとわからない。
三富 わからないですね。やってみるとわかると思います(笑)。
――たとえば学生相撲と大相撲が違うみたいなもんですか?
三富 ではないですね。うーん、草野球とプロ野球の違いでもないです。それは技術レベルの違いじゃないですか。
――「お金をもらってる・もらってない」はありますか?
三富 それはあります。そこはプロの自覚ですよね。
――プロとしての環境に放り込まれるから、醸しだすものが違ってくるんですかね。
三富 表現者としての意識の仕方。とはいえビジネスの部分もあるじゃないですか。プロはやりたくないことだって、やらないといけなかったするんですけど。学プロの場合はすべてが自由なんですよ。自分がやりたいキャラクターをやって、興行にしても後楽園やフェイスでやるときは尺とかはありますけど、本当に自由に自分を表現できるんです。でも、プロのリングは縛りがある中で自分を表現してお金をもらう。プロとして二重三重のしがらみの中で自分を解き放つ難しさがありますよね。
――それは当然、違ってきますねぇ。
三富 ボクもいい答えが見つかってないです。だから冨永慎一郎もユニオンを辞めたんです。
――冨永さんは学プロとしては才能があって入団記者会見までやった逸材なのに、いままでやってきたこととは違うことに気づいて辞めたという。
三富 「学プロとプロは違う」と言ってました。
――そんな壁を味わえるのもある意味、たまらないわけですよね。
三富 そうですね。逆にそれがモチベーションにもなります。
<博報堂就職は高木大社長の命令だった!? 続きの後編はコチラ>
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