――山本さん、20年前からフォルムが変わってないですね。
山本 あ、変わってない? そう言われると悪い気はしない(笑)。
――練習は欠かしてないんですか?
山本 練習はずっと変わらないですよね。ボクの日課は毎日走ることから始まりますからね。それは新弟子の頃から変わらないですよね。
――ちゃんとスーツで決めていますし、それは……。
山本 あのね、我々は一歩外に出たらいつもスーツなんですよ(キッパリ)。そこは前田(日明)さんの教えを受け継いでいるんですよね。
――待ち合わせ場所にスーツ姿で現れたとき「これは前田日明イズムなのかな」と思いましたけど。やっぱりそうだったんですね(笑)。
山本 イズムかどうかわからないけどさ(笑)。「チャラチャラした格好」という言い方はおかしいかもしれないけど、そういった格好では人前に出られないよね。
――いまの格闘家は基本はTシャツですからね。
山本 まあ、いいんじゃないですか。そこは人それぞれですから。
――要するに山本さんの世代は生き方を含めてプロのあり方を徹底的に教育されてきたわけですよね。
山本 リングス道場に入った頃からそうやって生きてきましたよね。いまは昔の道場というかたちがなくなったわけじゃないですか。最近では体罰が問題になってるかもしれないけど、我々の頃は日常の出来事として普通にありましたからね。もちろんボクもそういう世界だと覚悟を決めて入ったわけですし。
――練習はかなり厳しかったんですよね。
山本 あの頃はアホみたいに練習をやってましたよね。前田さんから命令されたことに対して、なんの疑問を抱かずにやってましたから。毎日スクワット1000回はあたりまえだったし。
――さすがですねぇ。
山本 いまは筋肉が破壊されてどうのとか非合理的なことかもしれないけど、あの頃の練習は凄く大事だったと思いましたよ。筋持久力的にもそうだし、精神的にも必要。そこで自分の限界を決めなかったことで生き残れたと思いますね。
――リングス道場の1日はどういうものだったんですか?
山本 朝10時くらいに練習が始まるじゃないですか。当時は鶴見のほうに道場があったんですけど。10時近くになるとGTRのエンジン音が聞こえてくるんですよね。「ブオンブオン!」とフカしてね(笑)。
――前田さんの登場なんですね(笑)。
山本 あのエンジン音を聞いてみんな気が引き締まるというかね(笑)。「今日も1日始まるのか……」と。怖いわけではないんですけどね、1日の始まりがGTRのエンジン音だったという。そこから13時くらいまで基礎練をみっちりですよ。ひたすらスクワット、ひたすら腕立て伏せ、ひたすらブリッジ。あの頃は前田さんが直接指導する機会が多かったですから、道場には常に緊張感があってピリピリしてましたよね。
――やっぱり前田さんの指導は厳しかったんですか。
山本 何事に置いても厳しかったですね。あるときランニングから帰ってきたら前田さんの眉間にシワが寄ってたんです。「おまえら、こっちに集まれっ!!」と。なんだろうと思ったら、いきなりビンタ。理由は道場の窓を閉めてランニングに行かなかったから(笑)。
――うわあ(笑)。
山本 前田さんは新日本プロレスの道場で教えられたことを自分たちに叩き込んでるわけですよね。やっぱり人間って経験に基づいたことを教えるわけじゃないですか。
――新弟子時代の一番失敗ってなんですか?
山本 うーん、多かったですよね(苦笑)。1日だけ前田さんの付き人をやったことあるんですよ。そのとき前田さんは大阪で仕事があって。前田さんは新横浜の駅で崎陽軒のシウマイ弁当を必ず買うんですけど。前田さんから1万円渡されたから1万円分のシウマイ弁当を買ってきたんですよね。そうしたら前田さんが「誰がこんなに食べるんねん!1個でいいんや!!」と。
――ハハハハハハ!
山本 で、大阪の仕事が終わって宿泊先のホテルを出るじゃないですか。前田さんの部屋で荷造りして、一緒にタクシーに乗ったんです。前田さんのスーツケースは2個だったんですけど、1個しか持ってきてなくて……。結局前田さんの付き人はそれっきりでした(笑)。
――1日で付き人失格ですか(笑)。
山本 実際は成瀬(昌由)が前田さんの付き人だったんですよ。そのときはボクが代打だったんですけど、1日でクビですね(笑)。
――リングスでは新弟子になっても、過酷な“プロテスト”を合格しないとデビューできないですよね?
山本 ああ、プロテストね。ありましたよ。とりあえず最低でも体重が90キロ以上ないとダメなんです。あとはスクワットのノルマが3000回。
――1セット3000回!
山本 腕立て伏せが1000回。縄跳び2時間。ブリッジ30分。
――き、聞いてるだけで吐きそう。
山本 それをクリアしないとプロデビューできないんですよ。
――いまそんな条件だったら誰もデビューできないですねぇ。
山本 強い弱いはべつにして、それをまっとうすることに意義があるんですよね。いまの人たちはそんなことをやらされたら疑問を持つでしょ? 「それが強さに関係あるの?」って。ジムで会員さんにそんな指導したらみんないなくなっちゃうじゃないですか(笑)。
――“お客様”にスクワット1000回はちょっと……(笑)。
山本 ボクが高田道場に所属していたときも大変でしたね。それまで「新弟子」に教えることはあっても「会員」に指導したことはなかったんですよ。スパーでへたり込む会員さんがいたから「何休んでるんねん!」って怒ったりしてましたからね(笑)。
――新弟子指導そのものじゃないですか!(笑)。
山本 あとは「サンドバックをひたすら蹴っとけ!!」って。そうしたら翌日には半分くらいの人数に減っちゃってね(笑)。
――ハハハハハハ! 話を戻すと、リングスに入門した山本さんは過酷なプロテストに合格したんですね。
山本 ブリッジ30分なんて首がおかしくなるよ。30分だよ?(笑)。あのときはボクと成瀬以外にもう1人、新弟子が生き残ったんですけどね。でも、プロテストがダメだったのかな。その子はデビューできなかったですね。
――そこまで生き残るのも大変ですよね。そもそも最低でも体重90キロって(笑)。
山本 ひたすら食べまくりましたよ。ノルマがあってちゃんこ5杯、どんぶり飯5杯なんですよね。
――お酒もたらふく飲まされたんですか。
山本 よく飲みに連れて行かれましたね。お酒にしてにも、おいしく飲むんじゃなくて、誰が見ても「凄い飲み方だな!」と驚かせなきゃいけない。常にそういう意識を持って飲んでいたかもしれないですよね。ビールだったいきなり10杯頼んで全部一気飲み。
――ハハハハハハハハハ!
山本 一気飲みというか、一口飲みですよ。「あの人たちは普通じゃないよね……?」「店のお酒がなくなっちゅうんじゃないの?」って思わせる。飲み以外のことでも、24時間そういうふうに見られることを意識してましたからね。
――“全身プロレスラー”だったんですねぇ。そんなリングス時代ですが、山本さんの若手時代で印象深い試合は「バーリトゥードジャパン」のヒクソン・グレイシー戦になります。当時はヒクソンにどういう認識があったんですか?
山本 安生(洋二)選手がヒクソンのところに道場破りに行って、血だらけになって帰ってきたじゃないですか。そういうこともあって「彼はどれくらい強いのか」という気持ちがあって。やっぱり世界最強じゃないですけど、一番を目指してましたからね。強いと思われてる選手ならやってみたいな、と。
――リングスとはルールが違うということで、前田さんが高阪(剛)さんを山本さんのスパーリングパートナーに指名してヒクソン対策を練っていたとか。
山本 うーん、練ってはないよね。練習はしてたけど。あの頃、後輩でグラウンドの技術で飛び抜けていたのは高阪でしたからね。それよりもあの当時は(アレクサンドル・)ヒョードロフさんの存在が大きかったんですよ。
――ロシア伝説のサンビスト!
山本 リングスの道場ってもの凄く環境に恵まれていて。ムエタイのコーチも常駐してたし、身体をアフターケアする専属トレーナーもいて。寝技はヒョードロフさんや(ニコライ・)ズーエフが臨時コーチで教えてくれたりして。ちょうどヒクソン戦の前だったかな。ヒョードロフさんからコーチを受けてたんですよ。
――当時のヒョードロフさんは50歳近くでしたけど、寝技は信じられないくらい強かったそうで。
山本 凄かったですねぇ。寝転がって無防備で「ほら、極めていいよ」と。それで極めようとしても逆にやられちゃいますから。ロシアのサンボには腕ひしぎをやろうとしても、逆に極め返すという技術があって、いろいろと奥が深いんですよ。あとはえげつない技もあって。肋骨に指を入れるとか、尻の穴に指を入れるとか。ヒョードロフさんの技術は純粋なスポーツとはまた違うんですよね。
――あの年齢でバーリトゥードに出て、序盤は圧倒したりしてましたからね。
山本 あの歳で試合に出る負けん気の強さも凄いですよね。若い頃に出たらもっと凄かったでしょうけど。だって川で泳いでる鯉を鷲掴みで捕まえるんですよ。リングス道場の裏の川に鯉が泳いでたんですよ。ヒョードロフさんは川の中に手を30分くらい突っ込んでジッとしてるんです。それで鯉に近づいてきたら……バッと手づかみで捕まえてましたからね。
――ハハハハハハ! 人間じゃなくて熊の仕業ですね(笑)。
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