プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。「最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん」を再掲載します!
☆この記事は2018年5月に掲載されたものです。
――小佐野さんは馬場元子さんの訃報をどのタイミングで知ったんですか?
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☆この記事は2018年5月に掲載されたものです。
――小佐野さんは馬場元子さんの訃報をどのタイミングで知ったんですか?
小佐野 私は全然知らなかった。『Gスピリッツ』編集部からの電話で『東スポ』のウェブに元子さんの記事が載っていることを初めて知ったんですよ。
――小佐野さんが知らないとなると、近親者以外は誰も……。
小佐野 おそらく渕(正信)さんや和田京平さんさえも知らなかったと思う。告別式とかすべて終わった段階で『東スポ』に連絡したんじゃないかな。そこには全日本プロレスがチャンピオンカーニバル中だったという配慮もあったんだろうね。
――馬場さんが立ち上げた全日本プロレスを最後まで気にかけていたということではありますねぇ。
小佐野 あくまで私の推測ですけどね。どこにも知らせないわけにはいかないから、時期を見て『東スポ』さんに報道してもらいなさい……という流れだったんじゃないかと。
――元子さんと最後にお会いになったのはいつだったんですか?
小佐野 それは去年の1月23日、元子さんの喜寿のお祝いです。
喜寿の会での元子さん。ハワイ好きの元子さんのためにハワイアンな雰囲気に。
小佐野 元子さんの体調はあまりよくなかったということで、元子さんを元気づけようという趣旨もあってね。入院されていたこともあって、電話でしゃべれる機会はここ1年はなかった。私も元子さんもハワイ好きなので、ウチの家内が作ったフラワーレイを時々送ったりはしていて、そのお礼のメールが元子さんの姪御さんを通じて送られてきたり、昨年末には元子さんからハガキをもらったりはしてたけど。
――訃報を聞いたときはどう思われました?
小佐野 やっぱりショックだった。元子さんには取材抜きにして、ずっとお世話になっていたから。元子さんはもうプロレス界の方ではないし、ここ最近は個人的な付き合いをさせてもらっていたので、知り合いの方がお亡くなりになったという寂しさですよね……。
――小佐野さんと元子さんのお付き合いは相当長いですが、初めてお会いしたのはいつなんですか?
小佐野 1980年、私が大学1年のときに『月刊ゴング』でアルバイトを始めたんだけど、そのときに竹内(宏介、当時『月刊ゴング』編集長)さんに全日本の会場で「馬場さんの奥さん」として紹介されて。もう驚きましたよ。その当時、馬場さんが結婚していたなんてことは公にはされてなかったから。
――噂にもなってなかったんですか?
小佐野 何も知らなかった。プロレス界の中で隠してるわけでもなかったけど、わざわざ記事にする人もいなかった。プロレス業界の人はみんな知っていて、みんな馬場さんの奥さんとして接してるんだけど、世間には知らされてないだけ。公表されたのは82年の夏のことだから。
――小佐野さんが『月刊ゴング』でバイトを始めた2年もあとですね。
小佐野 馬場さんと元子さんはもともと1971年にハワイで結婚式を挙げてるんですよ。それからは一緒に住んでいるし、元子さんは巡業もついて回っていた。これは聞いた話だけど、ハワイで結婚式を挙げたときにある週刊誌にスクープされそうになった。でも入籍はしてない。そこは元子さん側の親の反対とかいろいろな理由があったみたいで。
――だから結婚式だけで籍は入れなかったんですね。
小佐野 だからその週刊誌には「記事にはしないでくれ。入籍したら記事にしていい」という話をして。そこの編集長は了解してくれて、その週刊誌の編集長が馬場さんとの約束を代々受け継いで、82年に入籍したときに「じゃあ書きますよ」と。そうなったら馬場さんもダメだとは言えない。
――それで元子さんの存在を公表することになったんですね。
小佐野 82年の七夕の日に、馬場さん1人で記者会見をやって結婚してることを明かしたんですよ。
――七夕に!(笑)。それまで世間的には馬場さんは独身として通ってたわけですよね。
小佐野 私だって馬場さんは独身だと思ってたくらいだからね。当時の私は18歳、元子さんは40歳、馬場さんは42歳ですよ。それから『ゴング』が週刊化されて、私は全日本プロレスの担当記者になったんだけど。広報の担当はいるんだけど、重要な取材のゴーサインを出すのは元子さんだった。
――その若さで馬場夫妻と向き合うのは大変だったんじゃないですか?
小佐野 巷でも言われてることだけども、元子さんは厳しい方だったからね。こっちも血気盛んなだから当然ぶつかるし。元子さん「これはなぜダメなんですか?」って聞いたら「私がイヤだからよ!」って言われてね(笑)。
――ハハハハハハハ! 「私がイヤだから」と言われたら困りますよ(笑)。
小佐野 「それじゃあ話にならないですよ!」なんて食い下がってね。そんな会話の繰り返しですよ。マスコミの中には元子さんが苦手だっていう人が多かった。私も何度かケンカしながらこうして最後まで付き合えたのは、何かあっても後に残らなかったからだと思う。元子さんもガーッと言うけども忘れちゃうし、私もあまり気にしない。何か言われたからといって元子さんのことが嫌いにはならなかった。
・小佐野さんが「敵」認定されたとき
・馬場元子と三沢光晴、決裂の理由
・「それは馬場さんが悪い」と擁護しれくれた
・馬場さんのターザン山本に対するボヤキ……12000字インタビューはまだまだ続く
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コメント
歴史的価値の高い素敵な記事。
良くも悪くも昭和の価値観が昔のプロレスを面白くしていたのだなあとしみじみしますね。
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(ID:19092843)
馬場さん、元子さん、三沢さん、曙さんもみんな亡くなってしまったなあ。合掌。