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猪木を語ることは自己の人生を語る行為である■斎藤文彦INTERVIEWS

2022/11/25 10:15 投稿

コメント:2

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  • 斎藤文彦
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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト
斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 
今回のテーマは
アントニオ猪木です!
 


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■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑
 



――
今月のテーマはアントニオ猪木です。

フミ 猪木さんが亡くなって4週間が経とうとしていますね(この配信は10月27日)。猪木さんに関して、きょうはふたつのことをお話ししようと思っています。まずひとつは、アントニオ猪木さんはこの世から去ってしまったんだけれど、ボクらの中では現在進行形の猪木さんがまだつづいている感じというか、続いているということです。もうひとつは、ビジネスとしてのアントニオ猪木。このふたつについてお話をさせてください。猪木さんが亡くなったのは10月1日の朝7時40分でした。このことをさまざまな方法で耳にした人たちがまず午前8時くらいから友人、知人たちに直メールを送るかたちでこの情報が広まっていったんだけど、アメリカの東海岸ニューヨーク時間でいうと、金曜日の夜7時です。そのあたりはさすがWWEだと思ったのは、その夜の『フライデーナイト・スマックダウン』生中継の番組オープニングと同時に猪木さんの訃報をアナウンスしたことでした。

――緊急対応したんですね。

フミ 「猪木さん死去」の情報が口コミで伝わり、さらにネットで拡散されはじめてから2時間足らずで、アメリカの生中継のテレビ番組でこのニュースが報じられた。ちゃんと猪木さんのグラフィックを画面に映して、番組オープニングと同時に実況のマイケル・コールと解説のコーリー・グレイブスが「レジェンドであり、スーパースターであり、プロモーターであり、そして政治家でもあったアイコン中のアイコンのアントニオ猪木さんがお亡くなりになりました」と視聴者に伝えました。この機会を逃すと、土日を挟んで翌週の月曜『マンデーナイトロウ』で触れるしかなくなるわけです。このニュースがアメリカに伝わったであろうと時点から2時間足らずで、『スマックダウン』の番組オープニングでこれに対応したWWEの制作力はさすがだなと思いました。

――猪木さんは世界的にも大物だったということですね。

フミ そうですね。また、コーリー・グレイブスの解説の中には「オフィシャルのレコード(記録)に入ってはいませんが……」と前置きをしたうえで「アントニオ猪木さんはWWE史上、ただひとりの日本人の世界チャンピオンでした」と補足したんです。

――なぜオフィシャルに入ってないのにチャンピオンなのか……最近のファンはわからないですね。

フミ 1979年のことだから、もう43年も前の話です。猪木さんが徳島で当時のWWFチャンピオンのボブ・バックランドを破ってチャンピオンベルトを腰に巻いた。その7日後の蔵前国技館で前王者バックランドを迎えて初防衛戦をしたとき、タイガー・ジェット・シンが乱入してきて、その時点で反則裁定だ、バックランドがフォールを取った取らないと、大混乱の展開になって、結果的にはノーコンテストになったんですが、猪木さんはこういうかたちでの防衛は納得できないということでベルトをいったん返上。猪木vsボブ・バックランドの再戦を翌月のマディソン・スクエア・ガーデンでやると日本のテレビと活字メディアでは報道され、事態は収拾された。ところが、いざニューヨークに着いてみたら、バックランドはWWF王者としてボビー・ダンカンと防衛戦。日本では王座決定戦として報道されて、猪木さんはWWFマーシャルアーツ王者としてその防衛戦をアイアン・シーク相手に行った。そもそも猪木さんの王座奪取は日本で起きたことであり、その初防衛戦がノーコンテスト裁定になったこともアメリカのテレビでは伝えられていなかった。そのまま猪木さんが王座を返上をしたこともあってWWEの記録にはオフィシャルなかたちとして残されなかった。だから今回、番組内で「オフィシャルのレコードには残ってはいませんが」と前置きしたうえで「日本人としてただひとりのWWEワールドチャンピオンでした」と40数年越しに初めて認めたことは画期的なことなんです。

――国が違うと情報が伝達されない時代のエピソードですね。

フミ それ以後、猪木さんはWWF世界王座に挑戦していません。今回の訃報はアメリカではFOXニュースですぐさま報道されました。それはやっぱり1976年のモハメド・アリとの格闘技世界一決定戦のインパクトがものすごく大きいんですね。もちろんあの試合だけが理由ではありませんが。プロレスラーであり政治家ということもあるし、猪木さんは98年に引退後、いったんアメリカに移住しましたよね。

――ニューヨークとロサンゼルスで生活されてましたね。

フミ あの時代の猪木さんは1ヵ月ごとに日本とアメリカを行ったり来たりする生活でした。これもあまり報道されていないことですが、猪木さんは申請からたった2週間でアメリカのグリーンカード(永住権)を取っちゃったんですね。

――わずか2週間とはすごい話ですね!

フミ イミグレーション関連のすごく優秀な弁護士さんが就いていたこともありますが。アメリカは移民の国、オープンな国といわれていますが、メキシコや中南米からのアンドキュメンテッド・ワーカー(不法就労者)の大量流入の問題などがあり、実際にはそれほど簡単に就労ビザは取得できないし、グリーンカードを取るのはすごくたいへんなんです。だけど、猪木さんの場合は、申請書を提出してから2週間でグリーンカードが下りた。それはなぜかというと、出身国で伝記が何冊も出版されているような偉人であり、パーラメント(国会議員)だったからです。プロレス本というジャンルの中に“猪木本”というサブジャンルがありますよね。猪木さんに関する単行本はそれくらいたくさん出版されている。プロスポーツのスーパースターで、政治家としても活躍し、日本で伝記が何冊も出版されているような偉い人、さらに今後も継続的に収入が見込める有名人が引退し、余生をのんびり暮らすためにアメリカに来ているということで、一発でグリーンカードが取れちゃったんです。

――皇室クラスの待遇といっても大げさじゃないです(笑)。

フミ 日本における参議院議員は、アメリカでは上院議員とよく似たポジション。アメリカの司法当局からみてもただ者じゃないわけです。でもまあ、日本とアメリカを股にかけた猪木さんのこういう現実の社会での偉大さが理解できるのは、50代以上のプロレスファンなのでしょう。98年の引退試合からもう24年という長い時間が経過していますし。

――40代前半の人は、現役時代の猪木さんの試合を見たことがない。40代以下になっちゃうと、「ダーおじさん」や「ビンタの人」というイメージですね。

フミ スーツ姿の猪木さんしか知らない、黒タイツと黒シューズのアントニオ猪木をまったく知らない層ということですね。猪木さんがすごいところは、プロレスではありがちな1試合だけの限定復帰を決してやらなかったことです。ジャニーズの男性アイドル(滝沢秀明)とスパーリング的なことをやったときも、ウォームアップの上下を着たままでしたし、引退後、一度もリング上で裸になっていないんですね。

――2001年の大晦日にサスケとタッグを組んで紅白仮面&ジャイアント・シルバとタッグマッチ的なことをやりましたが、そのときも裸にはなってないですね。

フミ いわゆる全身裸に近い状態で、黒タイツに黒シューズのアントニオ猪木は二度とリングに現れなかったわけです。そこが猪木さんの美学というか、引退したからには、お客さんの前で裸にならないということだったのかもしれない。そして一度もリングには復帰してないのに、亡くなるその日まで、マスコミやメディアの前から姿を消したことがなかった。だから現役時代を知らない人たちにとっては、いつもぱりっとスーツを着て、赤い闘魂マフラーを巻いているイメージだけが強いわけです。

――あれが引退後の猪木さんの正装ってことですね。

フミ 普段からスーツを着ている人たちから見ると、猪木さんのズボンの長さが最高というか絶妙だったらしいんですね。スーツのパンツの裾のほど難しいものはなくて、短過ぎちゃいけないし、長過ぎちゃいけない。いまはデニムだったら、わりとロールアップして短く履く時代ですよね。昔のジーンズだと、スニーカーを履いたとき、裾がぎりぎり地面に近く、カカトに付くか付かないかぐらいの長さがベストといわれていたんだけど、スーツの裾だけはとにかく難しくて。革靴にかぶさるくらいがいいらしいんですけど、猪木さんのスーツの裾の長さが絶妙過ぎて、スーツマニアから見ると最高だったらしいんです。 

――まさかスーツの裾から猪木さんの魅力が語られるとは思いもしませんでした(笑)。

フミ 先ほどもお話したように、アントニオ猪木は死んでも生きているという意味で、こうやって語っているだけで、猪木さんは現在進行形の存在でありつづけるといえるんですね。

――亡くなってからますます猪木さんのことが語られてますね。

フミ もちろん、一番語りやすいプロレスラーであることはたしかなんだけど、それにしても、誰もがアントニオ猪木を語りたがる。これはどういうことかっていうと、アントニオ猪木を語ってはいるんだけれど、じつはそのひとりひとりが、ご自分の人生について熱く語っているんです。アントニオ猪木さんから勇気をもらったとか、元気をもらったとか、こんな試合を見て感動した……とか。猪木さんがこの試合をやったとき、ボクは高校生だったとか。それぞれ自分の人生と重ね合わせて、それぞれのアントニオ猪木が存在するわけです。1万人のプロレスファンがいるとすると、1万通りのアントニオ猪木がちゃんと存在している。猪木さんのことを語りつつ、必ず自分の人生を語っているんです。<14000字インタビューはまだまだ続く>
この続きと平本蓮、中邑真輔、猪木追悼、齋藤彰俊、石渡伸太郎、臼田勝美……などの10月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「16万字・記事15本」の詰め合わせセット」はコチラ

https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2129474

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コメント

長時間の放送でも聞け無かった事が載ってる素晴らしい記事。
「フミさんが語り足り無いのでは?」「もっと聞きたいのに」って思った聴者に届けてくれた。

No.1 24ヶ月前

40年来のテリーファンの自分としてはテリーの話しが一番興味深かったw
盟友のパットパターソンはともかく、AWAの象徴みたいなニックボックウィンクルと何を話していたのかは気になります。

No.2 24ヶ月前
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