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UWFの熱を浴びて人生を変えられた方々にあの運動体を振り返ってもらう「こじらせU系・第7弾」。今回は日本が誇る漫画家・イラストレーター 寺田克也さんが登場! こじらせないファンの道とは……?(聞き手/ジャン斉藤)



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――
世界的なイラストレーター・漫画家の寺田さんは80年代からプロレス格闘技を見始めて、いまでもGLEATやフリーダムスまで現地観戦しているとうかがっています。プロレス格闘技ファンって長くやっていると、こじらせて正面から楽しめないケースが多いんですけど、長く見続ける秘訣をお聞きしたいなと。

寺田 オレはただ見ているだけで、面白い話はできないですよ。

――
そもそも寺田さんは80年代から存在していた、夢枕獏さんを中心とする格闘家愛好家グループの一員だったんですよね。

寺田
 いや、オレが入ったのは後年で。古参の人はそれこそ格闘技ライターの高島(学)さん、布施(鋼治)さん、カメラマンの長尾(迪)さんとかで。当時の獏さんは時々自腹で京王プラザで自主カンヅメやってたんです、月イチくらいで。

――
獏さんのお住まいは小田原で、格闘技観戦のたびにロマンスカーで上京されたりしてて。

寺田
 せっかく東京にいるんだからと、みんなで部屋飲みしたり、貴重な映像を持ち寄って「格闘技・裏ビデオ会」をやったり。

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『刃牙』の板垣恵介先生や町山智浩さんがそこでUFC以前のバーリトゥードの映像を見たというエピソードがありますね。

寺田
 あ、そうなんですね。オレはその頃まだ入ってないですね。町山さんとは小さい判型のときの『映画秘宝』でブルース・リー特集があったときに知り合いましたね。そこには獏さんとオレと、漫画原作者の梶研吾さん……あと板垣さんもいたか。ブルース・リーの対談をやって、その編集者が町山さん。獏さんとは知り合いになって単行本のカバーを描かせてもらって「今度(裏ビデオ会を)やるから来る?」みたいに誘われて。「ソ連にすごい選手がいるんだよ」ってまだ有名になる前のボブチャンチンをみんなで見て。あのロシアンフックはすごかったなあ。あ、まだロシアンフックという名前が付けられる前のことだけど。

――いまはどんな映像でも見られますけど、当時はマニアのあいだにしか流通してなかったですよね。

寺田
 ネット以前のクローズドな時代の面白さですよね。その会に参加したことで、海外の大会にも行く機会ができて……第2回アブダビコンバット(1999年)の現地観戦もそうですよ。

――
あの頃のアビダビは幻想の塊でしたねぇ。

寺田
 あのときは『タフ』の猿渡(哲也)さん、『ブラック・エンジェルズ』の平松(伸二)さん、獏さん、あとなぜか新潮社の校閲の人とか総勢10名ぐらいでツアーを組んで。

――
いい時代です!

寺田
 無差別級に出た(佐藤)ルミナがまだ有名になる前のティト・オーティズに負けたりして。そのときはリングスの日本人でいちばん強いと言われていた金原(弘光)選手も出てたんですけど。空港の待ち時間でお話させてもらったら、グチが多くて面白いなーと思って(笑)。

――
当時から金ちゃんはボヤキングでしたね(笑)。

寺田
 アブダビの王子様にみんなで定食を奢ってもらったりしました。アブダビになぜか日本の居酒屋があって。

――アブダビに日本の居酒屋(笑)。

寺田
 アブダビの王子って何人もいるんだけど、みんなそれぞれ趣味を持ってるんですよね。アブダビコンバットを開催した王子の趣味は格闘技で。格闘技っていうかブラジリアン柔術かな。

――
アメリカ留学中にUFCを見たことでブラジリアン柔術に興味を持ったんですよね。

寺田
 ブラジルからアブダビに柔術の先生を呼んで習って。そのうち柔術の選手を集めて試合が見たいっていうところからアブダビコンバットが始まったらしいんですけど。競技場の横にレストルーム的なところがあって、そこに日本の居酒屋っぽいレストランが入ってるんですよ。その店に王子様がオレたちを招待するってことで、焼き魚定食を食べていたら、後方の芝生の上にヘリコプターが降りてきて、王子がさっそうと登場……というような世界観で。

――
リアル高須クリニックどころのスケールじゃないですね(笑)。

寺田
 獏さんとはUFC観戦にも行ったり。UFC初観戦は高橋義生選手が出たとき(UFC12/1997年2月7日)。

――イズマイウ戦で日本人UFC初勝利を挙げた! あれ、現地で見たんですか?

寺田
 そう。最初はナイアガラフォールズというアメリカとカナダの国境でやるってことで、オレと獏さん、梶さんと18時間ぐらいかけて着いて。ホテルに入ったら長尾さんと布施さんが走ってきて「獏さん、会場がアラバマに変わりましたよ!」と。

――
当時のUFCはMMA反対派の政治家のキャンペーンでPPVや会場から締め出されてましたね。

寺田
 なのでナイアガラフォールズの会場が使えないだろうって予測は立てていたみたいですけどね。だからアラバマの会場を押さえていたし、飛行機もチャーターしてて。長尾さんがプレスだから、オレたちも選手と一緒に飛行機に乗れるかもしれないと。

――
たしかに日本から飛んできたお客さんからすれば災難ですよね。

寺田
 アラバマは南なのでアメリカ縦断ですよ(笑)。空港の待合いに行ったら酒を飲んでいるのか真っ赤な顔したマーク・コールマンや、ダン・スバーンたちがワイワイやってて、レフェリーのビックジョン・マッカーシーが「ボーイズ、静かに聞け!」と叫んでて。

――
コールマンとスバーンはメインで対戦する者同士なんですけどね(笑)。

寺田 飛行機には選手の家族たちも乗っていて、選手が枕投げして遊んでるんですよ。酒を飲んで盛り上がっちゃって悲壮感ゼロ。

――
洗練される前のUFCって感じですねぇ。しかし、初観戦から貴重すぎる経験です!

寺田
 経験つったってオレはくっついて行って帰ってくるだけでなんにも苦労しないし、ただ楽しかっただけですよ。その帰りにニューヨークに寄ったのかな。中井(祐樹)さんとニューヨークのヘンゾ(・グレイシー)のジムに行って、中井さんとヘンゾがスパーリングするというすごいものを見て。終わったら中井さんは「ちょっと向こうにビートルズのいいバーがあるんで行ってきます」と1人で飄々と行っちゃって。

――UFC以前はプロレスを追っていたんですよね。

寺田 オレは新日本プロレスから見てたわけですよ。子供の頃からいえば日本プロレスだけど、その頃は家族が観てるからってだけで。でも、プロレスラーという存在はすごく子供には響くというか。小学校の図書館に世界のプロレスラーみたいな本があって、そこにアブドーラ・ザ・ブッチャーや当時の怪奇レスラーが妖怪と同じレベルで載っていたし。『タイガーマスク』のアニメとかも好きで。プロレスというものは、フィクションと混然一体となっている世界観として入ってるから。テレビで流れるプロレスは『タイガーマスク』のアニメほどは飛んだりしないから、実際のプロレスにハマったっていう印象はそんなになかった。

――フィクションやキャラクターとしてのプロレスに惹かれていったんですね。

寺田
 新日はなぜか見てたけど、プロレス自体にはそんなに深く入ってなくて。でもアントニオ猪木のキャラクターは面白かったし、もちろん梶原一騎世代だから梶原フィクションの中にも染まってるわけじゃないですか。そうすると、みんな『週刊プロレス』のターザン山本にハマっていくわけですよね。

――
梶原一騎、ターザン山本という媒介を通してプロレスを楽しむと。

寺田
 プロレスラーはすごいなって思ったのは、佐山(聡)さんの初代タイガーマスク。テレビを見ていたら、すごく小さめのマスクを被ったタイガーマスクが出てきて。その不格好さにお客さんはみんな笑ってるんだけど、動いた瞬間にどよめいて。あそこで初めて「人間もすごいんじゃないの?」という意識を持つようになったんです。やっとフィジカルな部分でのすごさを客観的にわかるようになってきたのが、タイガーマスクの登場。オレはやっぱり絵が好きだったから、人体に最初から興味があるし、人間はどう動けるのか、どうしてこんな動きができるのかに興味があって。

――ファンタジーとフィジカル両方から楽しめるようになったんですね。

寺田
 高校生だったけど、佐山タイガーでどっかんと来て。しかもダイナマイト・キッドとかキャラクターが揃ってた。かなり熱心に佐山タイガーの試合は見てたから、これはもうUWFに行くしかないですよね。「佐山さんはなんでやめたの?」「格闘技をやるらしいよ」となったら、ブルース・リーの影響もあるから絶対にUWFを見るでしょう。

――
その寺田さんが柳澤健さんの『1984年のUWF』のカバーイラストでタイガーマスクを描いたんですね。

寺田 あれは単純に柳澤さんから描いてって言われたから描いただけだけど、感慨深かったですよ(笑)。やっぱりタイガーマスクは大好きだったし、本も面白かったし、いい仕事をさせてもらったなって。

――
先ほども名前が出ましたが、プロレス格闘技史を語るうえで梶原一騎の存在は大きいですよね。

寺田 やっぱり梶原さんがいなかったら極真がああいうかたちで大きくはなってないですよね。

――
梶原一騎のフィクションを極真の弟子や新日本のレスラーたちが超えていくダイナミズムもあって。

寺田
 人間は面白いもので、フィクションを真実だと思えば「できるんじゃないか」っていう意識が芽生えるので。極真初期の内弟子たちはみんなまさにそうですよね! 佐山さんは最初からフィジカルが超人的だったので、タイガーマスクなんかもできちゃったんでしょうけど。UWFは猪木イズムから作られてるし。「いつなんどき誰とでも戦う」「誰がいちばん強い」とか、アントニオ猪木がどういうつもりで言ったのかはどうでもよくて、その教えを受けた弟子たちの中には刻まれてるから。だったら「もう真剣勝負をやるしかないんじゃないの?」ってなりますよね。

――
ファンや選手が「プロレスは世界最強」と洗脳されていったわけですよね。

寺田
 ただ、当時のオレはプロレスと真剣勝負の区別がつかないから。いまになれば後出しでみんないくらでも言えるけど。はっきり言って、オレはわかってなかった。<12000字インタビューはまだまだ続く>
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