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松根良太インタビュー  いかにして「沖縄から世界」は結実したのか

2022/07/05 17:06 投稿

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プレイヤーとしては修斗世界バンタム級王者、指導者としては平良達郎を修斗の頂点に導き、UFCに送り込んだ松根良太インタビュー。いかにして「沖縄から世界」は結実したのか(聞き手/ジャン斉藤、
撮影・黒田史夫




松根
 わざわざ沖縄までありがとうございます!

――とんでもないです! 先ほどまで平良選手とおふたりでどちらかに行かれてたようですね。

松根 達郎を協賛してくださっている企業の方々にご挨拶に行ってました。UFCでは日本のようにパンツスポンサーはできないんですけど……。

――UFC公認のスポンサー以外のロゴは入れちゃいけないですね。 

松根 それでも協賛に付いてくれてる方々のおかげで、UFCと契約する前にラスベガスで練習ができたり、達郎が練習だけに集中できる環境ができています。いまは試合が終わってオフなので、都内まで出向いて挨拶する予定もあるんです。

――沖縄以外でも協賛くださってる方々がいるんですね。

松根 内地の企業も何件かありますね。協賛を募集したら、これまで縁がなかった方からメールをいただいたり、パラエストラ千葉ネットワークの鶴屋さんの流れから協賛いただいた方もいます。
 UFCで勝ったとはいえ、まだ初戦を終えた段階。本人は実家暮らしなので、上京して1人暮らししている選手とはまた状況が違いますけど。そういったサポートを受けているから頑張ることができているし、勝つことで恩返しをしていきたいです。

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――平良選手が修斗世界フライ級王者になったときは、松根さんはリング上で涙を流してました。UFCデビュー戦に勝利したときはどんな感情だったんですか?

松根 第2章が始まった感覚ですね。パラエストラ沖縄の代表として、自分のジムから修斗の世界王者を誕生させることが第1章の終わりでした。

――新たな章がUFC。

松根 はい。初戦だったので「やった、勝てた!」というよりは「これから始まるんだな……」と。今回、勝てたことによって、コンスタントに試合も組まれていくと思います。UFCの場合つまづいてしまったら、次の試合は半年後か、もしかしたら1年後になってしまう可能性もありますし。

――UFCデビュー戦が試合当日に対戦相手の体調不良により、2週間延期になったときはどう思われました?

松根 あのときは達郎本人がすごく落ち込んでしまっていたので……。

――試合直前に試合がなくなったわけですからね……。

松根 そこをどうフォローすればいいか。UFCからは2週間後に同じ対戦相手でオファーがあったんですが、それを受けることが本人のためなのかと考えてしまいました。試合中止の件は試合の3時間前に連絡があったんです。そのときは相手は食中毒になったと説明を受けたんですね。昨日の計量の様子を見るかぎり、相手はすごく疲れてまして。計量で最後に来たのが彼だったので、減量がキツイのかなって思ったんです。なので食中毒だと聞いたときに一瞬「……本当なのかな」と。

――計量はクリアしたけど、体調が戻らなかっただけじゃないかと。

松根 でも、UFCはそのへんの体制をしっかりしてるので、ドクターストップは間違いない。日本からセコンドに来てもらった岡田(遼)なんかは「プロである以上、食中毒でも試合に来いよ」みたいに怒ってたみたいですけど。問題は2週間後に延期しても、本当に試合ができるのかと。

――2週間という期間で回復できるかどうかってことですね。

松根 検査したら他におかしい箇所が判明する可能性がありますよね。こっちが2週間後の試合をOKして、また練習して、また体重を落としたのに結局また試合ができない場合もある。達郎は試合がなくなって落ち込んでいたんですけど、仕切り直しのオファーに「2週間後、絶対に試合をやって帰りたいです。やります!」って即答したんですね。
 ボクは試合をせず日本に帰って、7月もしくは8月のデビュー戦でもいいかなって一瞬、思ったんですけど。本人は「やりたい、絶対やる。もうすぐやるって返事してください」ということだったので、これはもう乗らないとダメだなと。達郎本人は、また試合がなくなる可能性は微塵も思ってないんですよ。ボクとしてはUFCに「検査した結果、2週間後にできる体調なのかを相手に聞いてくれ」ってお願いしたんですが、UFC側は「それより試合をするかどうか30分以内に決めてくれ」と。試合3時間前に「今日の試合はない」と伝えられて、「30分以内に2週間後に試合をするか決めなさい」はけっこう厳しいですよね(苦笑)

――急展開すぎて混乱しちゃいますねぇ。

松根 「とにかく今日は試合ができない。2週間後に延期するか、どっちか決めなさい。やらないんだったら、このまま日本に帰っていいよ。やるんだったら、そのままホテルに残ってくれ」という言い方だったんです。ボクからすれば2週間延期になるなら、今回の補償やレンタカー費用の交渉をしようと思ったんです。でも、達郎がマネジメントしているイリディアムCEOのジェイソン・ハウスに「UFCほどの大企業にごちゃごちゃ言ってしまうと、もう帰りなさいって突っぱねられる可能性があるから、ここは飲んだほうがいいかもよ」とアドバイスされて。その言葉にボクもハッとしました。達郎は絶対に試合をやりたいんだから、ここでゴネるんじゃなくて、それこそ初戦なんだから大きな顔をしてる場合じゃないと。

――松根さんとしては選手の気持ちを汲んだり、コーチとしての立場だったり、いろんな面から判断しなきゃならないから大変ですね。

松根 ボクとしては「本当に2週間後にできるのか」という思いも多少ありましたが、本人がやる気になってる以上、試合があるつもりで準備を進めるしかないと思い直しました。

――こういう言い方はあれですけども、やっぱり第1試合のデビュー戦同士ということで、UFCから軽く扱われてるところは感じました?

松根 いや、それはまったくなかったですね。実際に向こうでUFCの体制だったり、APEXという会場だったり、UFC PIという練習施設を実際に目の当たりにしたときに、MMAを競技スポーツとして一流にしようとしている人たちなんだと感じました。UFC PIでもいろんな方に優しくされましたし。

――今回の判断も、ある意味でシステマチックなところがあるってことですね。

松根 そうですね。競技として、しっかりと捉えていると思います。

――でも、2週間延期されることで、松根さんの予定も大幅に狂ったわけですよね?

松根 はい、とても狂いました(笑)。ボクは帰国したら、小学2年生の長男のキッズ修斗のセコンドに付く予定が……。鶴屋(浩)さんが「俺が付いてやるよ」と代わってくれて。

――師匠の鶴屋さんが。

松根 ホントにありがたかったです。それと長男の誕生日は5月16日だったんですね。長男の誕生日も祝えなくて、父親として失格だったんですけど。17日に沖縄に帰ってきて、その足で長男の誕生日会をやりました。
 でも、それは達郎のためですし、奥さんももちろん了承してくれて。あとジムに関してはゴールデンウィークがちょうど重なって、ちょうど休みだったんですね。なので、1週間だけ指導員のスケジュールを変更すれば、どうにか回ったので。またジムの生徒も達郎を応援してくれていたので、なんとかこなせました。

――試合まで2週間をラスベガスでどう過ごすかということが、すごく重要になってきたってわけですね。

松根 問題は試合までの2週間、達郎のメンタル的なサポートをどうすればいいのかってことが……岡田はいったん帰国したんですけど。いま達郎のPR担当をEVER GROUNDという沖縄の格闘ショップの田川真利子がやってるんですけど。彼女も一緒に応援に来た流れで、店を閉めてラスベガスに残ってくれたんです。

――つまり1ヵ月近くお店をクローズですか。

松根 彼女が洗濯や食事とかのサポートしてくれましたし、「もしかしたら……」ということで国際免許も取ってきてくれたので、どこかに移動するにしても彼女が運転してくれたことですごく助かりましたよね。それまでは岡田が運転してたんですけど、岡田も帰らないといけない。レンタカーがなくなっちゃったら、毎回タクシーを呼ぶしかない。彼女が国際免許を取ってきてくれたことによって、レンタカーの延長をして気兼ねなく生活できました。
 あと彼女は聞き上手なので、達郎の話をいつも聞いてくれている。ボクと達郎だけで2週間いたら、ぎくしゃくしちゃったところもあったかもしれない(笑)。達郎と自分は先生と生徒の関係で、ちょっと親子関係に近い距離感なんです。達郎も自分に言いづらい部分もあったりする中で、彼女が中和剤になってくれました。岡田遼に関しては、お兄ちゃんみたいな感じなので。達郎の気持ちをリラックスさせるために岡田だったり、田川真利子がいてくれて助かりました。

――松根さんにとっては久しぶりの長期遠征だったんじゃないですか。

松根 ボクは久しぶりどころか、パラエストラ沖縄を立ち上げたこの10年のみならず、鶴屋さんのもとで指導をしていた中でも一番の長期遠征でしたね。いまは月1回、飛行機に乗るような生活なんですけど、だいたい3泊4日で帰ってきますし、海外に行ったりしても1週間ぐらい帰ってきてるので、3週間は初めてでした。達郎は今年の1月の半ばから2ヵ月間、ラスベガス修行に来てたので、その経験が活きたと思いますね。

――いきなりのラスベガスで2週間の延泊だったら戸惑ったかもしれないですよね。

松根 あとデビュー戦がラスベガスでよかったと思います。ラスベガスにAPEXという会場があって、さらにUFC PIという練習場所がある。食事も全部提供してくれるし、風呂やサウナまである。これがたとえばデビュー戦がオーストラリアやドバイだったら、やっぱりラスベガスとは環境は違ってました。もちろんUFCは試合に集中できる体制を整えてくれたと思いますけど。

――いまやラスベガス自体がファイト・シティっていう環境ですもんね。

松根 UFCって毎週のように大会を開いていますけど、コロナという特殊な事情もあってAPEXで開催してましたよね。常に選手や関係者たちが宿泊できるようにResidence InnというホテルをUFCが貸し切ってるんですよ。3棟もある大きな建物でプールがあるホテル。

――さすがUFC、ビッグスケールですねぇ。

松根 なので、ホテルで会う人会う人、一般人ではなくてUFCの選手や関係者だったり。そのホテルからUFC PIまで車で10分ぐらいですしね。

――そんな環境に身を委ねることでMMAという競技のメジャー化を実感したわけですね。

松根 本当に規模がすごかったです。企業として、会社として、MMAという競技をいかに世界に広めるかっていうことを本気でやってるんだな、と。

――そのうちUFCホテルをつくりそうですね。

松根 ああ、実際そんな話もあるみたいですねた。APEXという会場、UFC PIというジムもつくっちゃったので、次はホテルかもしれないと。ラスベガスって砂漠からつくった地域なので、意外と更地がありますから。

――最終的にテーマパークにたどり着いてほしいです(笑)。平良選手はもしかしたら本戦契約ではなく「ROAD TO UFC」に回されていたかもしれなかったわけですよね。
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コメント

格闘技が地道ながらもしっかり根付いていっているのを鶴屋さんの系譜からは感じます。人間性の教育があるからでしょうね。

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「打て」という”打”ではなく「投げろ」という“投”ではなく「極めろ」という“極”ではない 
自然の流れにのった技術がとぎれなく連係し、なめらかに回転することが修斗の姿である。

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このインタビューを受けての鶴屋さんのインタビューが読みたくなりました。

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