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『さらば雑司ケ谷』や『民宿雪国』などの作品で知られる小説家・樋口毅宏氏インタビュー。前田日明やUWFに熱狂した時代を振り返っていただきました!(聞き手・ジャン斉藤)
樋口 ありがとうございます。ずいぶん前に発表した短編集ですが、あの話は95年にUWFが新日に葬られた虚しさと、前田日明と高田延彦が笑顔で再び会うことはない悲しみから書きました。それにいまのうちに書いておかないと、みんなラッシャー木村さんのこととかも忘れちゃいますもんね。
――ラッシャー木村モデルの話も面白かったです!昭和のプロレスファンなら誰でも楽しめますし、昭和のプロレスに詳しくてジャンルの魅力を理解してないと書けない本ですね。
樋口 斉藤さんはいまおいくつなんですか?
――45歳ですね。
樋口 というと、新日本プロレスの金曜夜8時は……初代タイガーマスクは間に合いました?
――ギリギリです。タイガーマスクや長州・藤波の抗争は面白かったですけど、まだ子供だったので猪木さんはそこまでじゃなくて。大人になってから猪木さんの発明や事業ネタが大好きになっていったんですけど。
樋口 あの頃の猪木さんは体力の低下が甚だしかったですもんね。
――それで今回、樋口さんにお話を伺いたいのは、その80年代からスターダムにのしあがった前田日明さんのことなんです。最近前田さんの第何次ブームかが到来してますが、朝倉兄弟経由なんかで知った最近のファンは前田日明というプロレスラーがどういう足跡をたどってきたのかをあまりよくわかってないというか。
樋口 そうでしょうね。
――先日樋口さんはこんなツイートをされていて。「前田日明をいまだに崇めている方たちにお聞きしたいのですが、田中正吾から始まり現在の反ワクチンまで、前田の『騙される力』についてどうお考えでしょうか」。いまのファンがどういう意味は理解できないし、よく知っているボクらでも新鮮だったんですね。
樋口 そうなんですか。それはボクからすると、そういう批判の声がないのは、また意外だなあという感想ですね。
――前田さんに批判的な人は多いんですけど、何かもう一周回っちゃって、どうでもよくなってるところはありますよね。
樋口 それはわかります。
――樋口さんの前田日明批判って、前田日明のことが大好きじゃないと辿り着けない境地なんじゃないかなと。
樋口 はい、ごたぶんに漏れずプロレス大好き少年でしたから。斉藤さんが80年代前半の猪木にピンとこなかったのは、猪木の体力が低下して凋落が始まったからですよね。猪木という絶対神に老いが忍び寄り、絶望にも似た気持ちにあった中、唯一の希望が前田日明だったんですよね。それこそ『週刊プロレス』の表紙が毎週猪木から前田に取って変わっていく。 「前田こそがプロレスの新しい希望だ」という時代はたしかにあって。旧UWFが潰れて新日本プロレスに前田日明が戻ってきたころですね。
――業務提携時代は魅力的だったと。
樋口 ところが……第2次UWFのときは前田の腹がどんどんタプンタプンに出ていき、「これはどうなんだろうな……」と思いました。それはリングス時代もそうですけど。 第2次UWFで試合中に前田のコンタクトレンズが外れて試合中断したこともあったじゃないですか。あれは白けましたよねぇ。試合を中断して落としたコンタクトレンズを対戦相手と探す格闘王!
――それじゃあまるで達川光男ですね(笑)。
樋口 そもそも前田って圧倒的な知名度にもかかわらず、名勝負と言われるものが少ないですよね。
――たしかに90年代に入ると「これだ!」という名勝負がないんですよね。
樋口 断っておきますがボクは前田日明の試合はほとんど見てると思います。第2次UWFはすべて見ています。会場にももちろん何度も行ってます。
――いわゆる密航者だったと。
樋口 そこまでではないです。「密航者」って地方巡業まで追いかける人ですよね。ボクは東京なのでそこまでは。
――ちなみにボクは地方在住の小学生・中学生だったこともあって会場で見たことはないし、リアルタイムではないのでUWFの熱狂の測定は難しい立場なんですね。
樋口 第2次UWFで前田の名勝負と言われてるものは、なんだろうなあ……最後のほうに大阪城ホールで船木(誠勝)と2回目の対戦をやったときかな。この試合はよかったという印象がありますけど、いま見直したらどうなんだろうなあ。
――1回目の船木戦が酷かったという感想が多いですね。
樋口 武道館でやった試合ですよね。船木のパンツの銀ラメが剥がれたやつ。
――こないだ船木さんに取材をしたときにその試合を振り返ってもらったんですけど。1回目は前田さんと信頼関係がなかったことが大きな原因だったと。
樋口 船木さんが第2次Uに移った当初はあまり勝てなくて、ケガもあったことで東京ドームのビッグマッチにも出れなかったんですよね。復帰後に山崎(一夫)に勝って、前年に横浜アリーナで“疑惑の決着”があった高田にも勝った。
――高田さんが船木さんの打撃でKOされたのにうやむやのまま続行されて、従来のプロレスを否定するUのリングで高田さんが古典技のキャメルクラッチで勝利したという……。
樋口 2回目の横アリ見に行ってます。船木さんは藤原(喜明)さんにも勝ち、階段をかけ上がるようにして大阪城ホールで前田さんとの頂上対決を迎えて、新旧交代かという盛り上がりでしたから。あれは面白かったです。『週刊プロレス』の増刊号も出ました。タイトルは「誰が悪いのか はっきりさせたい!」。
――前田さんとフロント陣が揉めていた頃ですね。
樋口 あのときターザン山本(当時・編集長)が試合後の前田は船木を両手で抱きしめてるのに船木はそうでもなかったと。「ハムレットの心境か」と書いてましたよね。
――いまでもそうやって覚えてるんですから、ホントに前田が好きだったんですね。
樋口 あれだけ前田日明に熱狂していたのにここまで評価が下がっているのはなぜかといえば……逆に斉藤さんにお聞きしたいんですけども、前田日明は新日本プロレスからリングスに至るまでガチンコはあったんですか?
――いわゆる競技としてのガチンコはないでしょうね。前田さんの評価が下がったのは、ガチンコをやってないからなんですか?
樋口 はっきり言ってそれに尽きます。じゃあ新日本でやったアンドレ・ザ・ジャイアント戦はどうなんだと言われてしまいそうですけど。
――アンドレ戦は“壊れた試合”ですね。
樋口 前田日明最大の魅力って長州力顔面蹴撃事件もそうですが、アンドレ戦のようにプロレスから外れたときに発揮されるんですけど、リアルファイトがあったかといえば、なかったという。他のUWF系の人たちはガチンコをやった。新日本でいえば永田裕志や石澤常光(ケンドーカシン)もやってるし、ライガーだってやってる。パンクラスのリングで鈴木みのるvsライガーがありましたから。でも、あれだけ大きい声で格闘技は何たるかを話して、格闘王を名乗っていた人がガチンコをやったことがない。そこが失望した最大の理由ですよね。
――ただ「プロレスからはみ出したもの=リアルファイト」なのかという疑問もあって。前田さんが新日本の前座にやっていた頃は、何も決まってない勝負をあったりするわけですし、リングスでも特殊な勝負は続いてましたね。
樋口 新日本でやったドン・中矢・ニールセンとの異種格闘技戦も、前田の顔面にパンチがガンガン入ってましたもんね。まともにもらいすぎだよって。
――ところがプロレスからはみ出したもの魅力は、ガチンコと隣接してるので、「前田はどうなんだ」という疑問は当然持たれますよね。
樋口 そのドン・中矢・ニールセン戦も、あとになって前田がその試合を引き合いに出して永田のヒョードル戦を批評にしたときに、永田から「一緒にするな」って返答されましたね。
――永田さんが前田さんに「ヒョードル戦とニールセン戦はジャンルが違うだろ。胸を当てて考えてみろ!」って言ったやつですよね。
樋口 あれはなかなか面白いやり取りでした。あのニールセン戦やアンドレ戦はたしかに前田の魅力ではあるんですけど。
――たとえば第2次UWFで田村潔司をボコボコにした試合はどうなんですか。
樋口 あれは前田日明の公開リンチですよね。
――公開リンチ!
樋口 だってまだ新入りペーペーの田村潔司をあんな酷い目にあわせる必要ないじゃないですか。あの試合で田村は眼窩底骨折をして半年以上休んだわけですから。前田日明ってああいう人。自分に歯向かわない人をボコボコにする。田村もそうだし、リングスになってから坂田(亘)にもそう。
――バックステージ暴行事件ですね。椅子でめった打ちにして。
樋口 ヌルヌル秋山成勲の事件があったときは擁護してたでしょ。あの人は本当に相手を選んでます。
――樋口さんみたいに途中で幻滅する人がいる一方で、いまでもカリスマ的存在じゃないですか、
樋口 熱狂的なファンは多いですよね。でも、ボクは前田に関わらず、自分の“教祖”をちゃんと批評できないのは本当の信者ではないと思っています。「こういうところは本当に大好きで影響を受けたけど、これはどうなんだ」という批評はちゃんと持ってないといけない。それはたとえば小沢健二に対しても同じですけど。小沢健二が20歳以上、歳の離れた女性と不倫したことに対して、これまで何があっても褒め称えてた人たちが急に黙ってしまう。ボクからするとエセ信者ですよ。でもまあ前田日明と小沢健二だと、明らかに後者のほうが計算高さと小賢しさを感じさせるけどね。気付かない人ってもはや鈍感の領域を超えて病院で診てもらったほうがいいよ。
――よく信者って盲目扱いされますけど、樋口さんの信者の定義は面白いですね。
樋口 うーん、結局ボクは正統な信者ではないんでしょうね。だから全面的に誰かを信じるっていうことはないんですよね。盲目的に何かを崇め奉ることはない人間なんです。
――それでも盲目的に「好きだ!」っていう存在はいないんですか。
樋口 好きな人はいますよ。 たとえば、ビートたけしさんも大好きですが、たけしさんもいまは見事に晩節を汚してますからね。前田は前田で好きですけど、「前田日明なら何をやっても許されるのか」ということですね。
――新日本業務提携時代の前田さんが猪木さんに言い放った名言。
樋口 斉藤さんには釈迦に説法ですけど、猪木さんが藤原喜明とシングルマッチをやったときに金的を食らわしたあとに藤原を絞め落とした。藤原のセコンドだった前田はその横暴に激怒して、即座にリングに上がり、勝ち名乗りを上げる寸前の猪木に左ハイキックを打ち込んだ。そして控室に戻ったあとにそう叫んだんです。この言葉を前田日明に返したいですよ。「何をやっても」というよりも「何を言っても」かもしれません。
――前田さんはけっこう言いますからねぇ。
樋口 IWGP王者の天山広吉と、三冠王者の小島聡がダブルタイトル戦をやって、天山が脱水症状を起こして倒れたときがあったじゃないですか。
――60分フルタイムドロー寸前の59分45秒で、天山選手がまさか負けちゃったやつですね。
樋口 前田はあの試合を批判して「俺らの若い頃はもっと熱い照明の中、館内にクーラーが効かない中、戦ったんや」って言うんですけど。 ボクはCSのテレビ朝日チャンネルに入ってるので、いまの新日本も見られるし、80年代の古い新日本プロレスの試合も見てるんですよね。「こんな地方大会の映像があるんだ」っていうものまで。そこで確認できるのは、前田の無気力試合の数々!
――それはいつ頃の前田日明なんですか?
樋口 ヨーロッパから凱旋帰国したあとですよね。凱旋試合でポール・オンドーフに3分36秒で勝ったあとから、第1回 IWGPの猪木戦やアンドレ戦。そこまではまだいいんですけど…… 変なパーマをかけだして藤波辰爾とタッグを組んだりするあたりからは無気力試合ばかりですよ。20代の前田日明ってどんな感じだったんだろうってチェックするとビックリします。 覇気がなくて何もいいところがない。あれ、いまの新日だったら邪道・外道にクビにされてるね。ヨシタツみたいに。
――ヨシタツみたいに!! 前田さんって新日本・前座時代をプロレスラーの誇りとしてところがありますよね。
樋口 平田淳嗣と戦っていた頃ですよね。ダラダラやってると山本小鉄さんが竹刀を持って現れたので「ヤバい。早く終わらせよう」という。旧UWFが潰れて新日本に戻ってきてからは凄いですけどね。「この1年半がなんであったかを証明するためにやってきました」と名言を吐いて。
――藤波さんと名勝負もやった。前田さんの全盛期はあの時代だったということですね。
樋口 そうだと思いますね。そう考えると凄い短い。圧倒的に名勝負が少ないんだもん。
――ボクは前田さんのことを歴代最高のトラッシュトーカーだと思ってるんですね。コナー・マクレガーより上(笑)。
樋口 喋りは立つ。 “言葉のプロレス”でのし上がって行ったところもありますよね。「言うだけ番長」。読書家であることは間違いないし、話も面白いんですけど、すぐに他人のことを悪く言うでしょう。 こないだも前田が水道橋博士の『アサヤン』という番組に出たんですけど……。
――そこまでチェックしてるんですか! 前田好き(笑)。
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