“裏・最強”が本領発揮! フェザー級転向初戦となった芦田崇宏戦を圧倒的な強さで制した金原正徳インタビュー(聞き手/松下ミワ)
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・朝倉未来のRIZIN LANDMARKと東三河弁■笹原圭一
――試合から5日ぐらい経ちましたが、勝利の味はいかがでしょうか?
金原 もうね、ひさしぶりに勝利の感覚を得たとともに、世の中のてのひら返しをしっかり味わっているところですよ!
――ハハハハ! そんな、てのひら返しとかありました?
金原 いっぱいありましたねえ。世間的には勝てば持ち上げられるし、負ければ落とされるのは当然なんですけど、それがけっこう自分に近いところであったんで「人間ってそんなもんなのかな」と、いろいろ感じているところです。
――でも、それを味わうのも勝ったからこそです!
金原 あそこで勝たなかったら……やっぱり怖さはありましたね。今回、復活するにあたって否定的な声がけっこう多かったんで。でも、やる・やらないは自分で決めたことなので、あらためて今回応援してくれた人を大切にしようと思いました。
――今回は引退撤回からの復帰戦でしたが、まず復帰と試合が決まった経緯はどういう感じだったんでしょう?
金原 去年の2月にビクター・ヘンリー戦で負けて、自分の中でやり尽くした感があったので「もうやめよう」と。それで引退したんですけど、ちょうどそのあと3月ぐらいからコロナで緊急事態宣言が出て、格闘技から完全に離れることができたというか。たぶん、引退しても練習は続けちゃうんだろうなと思ってたんですけど、コロナがあったので本当に夏ぐらいまではまったく動かなかったんですよ。
――RIZIN自体も8月まで大会がなかったですもんね。
金原 だから、誰とも全然会ってなくて。自分のジム(リバーサルジム立川ALPHA)も閉めてたし。で、さすがに運動不足でヤバイなというのもあって、誰かと会いたくて練習場所に行って「練習しましょうよ」と。それで夏ぐらいに少しずつ練習を始めたんです。そんなときに、QUINTETのオファーがあったんですよね。それがちょうど1年前ですよ。
――昨年10月27日の大会ですね。
金原 所英男さんに「QUINTETに一緒に出ませんか」と。その頃は自分の中では「MMAをもう一度」という気持ちは全然なかったし、グラップリングや柔術は50歳、60歳でもできる競技だから、それは老後の楽しみとして取っておいたんですけど、結局はそのQUINTETから練習を再開した感じですね。
――そこからMMAでの復帰を決めたのは、やはり所選手の一言で?
金原 そうです。太田忍戦を戦った所さんから「もう1回やりましょうよ」と。それで、今年の頭からMMAの練習を再開した感じです。そして、そのタイミングでRIZINからオファーが来たんですよね。それは「バンタム級グランプリに出ないか」と。
――現在進行中のバンタム級グランプリに。
金原 そのときは「バンタムではやるつもりはないけど、フェザー級ではやりたいから話があったらぜひ」というお返事を軽く投げ返して。そっからですね。
――1月にオファーがあったということは、周囲にはそれとなく引退撤回は伝えていたということですか?
金原 大晦日に佐伯(繁・DEEP代表)さんと話しているときに、「もう一度やろうと思ってるんですよ」と話した気はします。本当に世間話みたいな感じでしたけど。
――それがRIZINの耳に入って。
金原 その前に、佐伯さんとは引退興行をやりたいという相談もしていたんですよ。
――え、そんな話があったんですか!
金原 というか、ちょうど計画していたのが、今回のRIZIN.31と同日の10月24日ですよ。そういう話を1年前にしていましたね。
――はー、じゃあ今年の10月24日はどっちにしても試合する運命だったんですね。
金原 ホントですねえ。でも実際は、年明けから練習を再開して。ただ、常態化していた首のケガが悪化したんで3月に手術したんですよね。そこからどれぐらい回復できるかもわからなかったんで名言は避けてたんですけど、なんかポッと「復帰します」というのが記事になっちゃって。
――あらら。
金原 だから「もうこれは、やらなきゃな」と。だから、3月、4月とリハビリをして、5月ぐらいから本格的な練習をして。そんなこんなで10月24日のオファーで「相手は芦田(崇宏)です」という。話をもらったのは大会の2ヵ月以上前ぐらいでしたかね。
――じゃあ、準備もしっかりできたんですね。
金原 カード発表は1ヵ月前でしたけど、芦田戦のオファー自体は早めに来てました。ただ、大会の会場自体も発表されてなかったから「本当にあるのかな……」と不安はありましたけど(苦笑)。
――それは、例のクレベル問題の影響で(苦笑)。
金原 そうそうそう(苦笑)。まあでも、相手と体重だけ決まってて後ろにズレるぶんにはOKだし、コロナもあるので普通に大会が流れる可能性もあったし。最低限の準備だけはしておこうという感じでしたね。
――事前のコメントで「試合までの準備期間は幸せな時間だった」と言われてましたよね。
金原 前回のビクター・ヘンリー戦でいろんな人が離れていったから、負けたらその人たちに笑われるだけじゃないですか。だから「笑われたくない!」というのを糧にして頑張っていたんですけど、それも抜きにして普通に練習が楽しかったですね。たとえば、コロナの期間ってまったく練習してないから「疲れた! もう動けねえ!」みたいなことがないじゃないですか。それを感じられるのも懐かしかったし。腹は減るけど、食いたいときに食いたいものを食えるわけでもない。でも、引退期間は昼間から酒も飲んでたし、夜中にウーバーイーツ頼んだりしてましたからね。そこに制限をかけて練習するのも幸せでしたね。
――練習はロータスが中心だったんですか?
金原 今回はそうです。八隅(孝平)さんのもとに選手が集まってきているんで、今回は長い時間練習させてもらいました。もともと八隅さんにはセコンドにもついてもらってたんで。
――セコンドといえば、今回は矢地祐介選手もいましたね。
金原 矢地くんはYouTubeをキッカケに知り合ったんですけど、そこで「一緒に練習しましょうよ」と。矢地くんがロータスで練習していたのは知っていたんですけど、いつも入れ違いで「こんちわっす」ぐらいの感じだったんで。
――矢地選手もロータスに行ってだいぶ変わったと聞きますもんね。
金原 いやー、変わったと思いますよ。本当に考えて練習しているし、言動も変わってきていると思うし。
――しかも、今回はあえて矢地選手のような自分より大きな選手と練習していたということでしたが。
金原 ロータスは普段70キロで戦っている選手が多いんで、今回フェザーに上げて試合をするから、大きい人と組んでそれを筋トレ代わりにするという。矢地くんも70キロでもかなり大きいほうだと思うんですよ。そこらへんのメンバーと組めていればフェザーでも組める自信はあったし。しかも、矢地くんにお願いしたのは武田(光司)選手と戦ってるからというのもあったんですよね。
――つまり、対BRAVEということですね。
金原 ボクは、矢地くんの武田戦の前に仮想・武田の役をずっとやっていたんですよ。で、矢地くんにも「終わったら付き合ってね」ということで。矢地くんはサウスポーだし、同じく対BRAVEジムだし。スパーリングもずっと一緒にやっていてお互いにわかりやすかったんで、今回セコンドもお願いしたかたちでしたね。なんか、正のパワーをもらえるかなって。
――セコンドまでお願いするということは相当関係性が深まったという。
金原 本当にここ数ヵ月です。急速に接近しました。
――今回の芦田戦はどういう戦いをしようと考えていたんですか?
金原 まあ、事前に八隅さんに言われたのは「仕上げすぎない」ことですね。
――つまり、オーバーヒートしないように。
金原 早めに仕上げすぎちゃってパンクしないようにと言われました。試合が決まるとみんな焦って追い込むじゃないですか。でも、もともと持っているものがあるから、それをうまく引き出せばいいから、と。ボクもそんなに頑張る歳でもないんで。だから、八隅さんはスパーリングもしっかり見てくれて、行きすぎる気持ちをしっかり止めてくれたという。
――試合も、どちらかといえばちょっと受け身の感じでスタートしましたよね?
金原 本当はもっと行きたかったんですけどね。思ったより相手のほうが来たし、もらい事故みたいになりたくなくて。攻防をうまくやりたかったんで、自分は距離を取りながらやりました。作戦的にもそんな感じですね。
――そんな中、1ラウンド途中のヒザはめちゃめちゃ効きました。
金原 あれは普通にクリンチ相撲からのヒザだと思います。もともとクリンチ相撲は好きなので、そこでタイミングよくヒザが出たというだけで、とくに狙っていたわけでもないですけど。相手の「うー、うー」という声も聞こえてたんで、やっぱり効いたんでしょうね。
――あれは、セコンドからの指示だったんですか?
金原 いや、自分の判断です。ローかなんかを空振りして、向き直りで一回左をもらったんですよ。それはダメージがあったわけじゃないですけど、一回下がって、クリンチ相撲をやろうかなと思ったときにタイミングよくヒザが当たったというだけなので。
――そのあとの肩固めも非常に惜しかったですよね。
金原 あのとき、ヒザが効いたのがわかったんで、本当は離れてストライキングをやりたかったんですけど、相手がリストを持って巻き込んできたんで寝技に行って。ただ、残り時間がなくて自分も焦っちゃって。強引に肩固めにいったけど浅かったですね。あそこでまたつくり直す時間があったらフィニッシュできたっすけど。
――そして、2ラウンド目はまたしてもヒザがハマりました。
金原 2ラウンド目は、八隅さんから「しっかりガード上げて、ディフェンスをしっかりしろ」ということと、前蹴りで距離とってヒザを合わせろという指示があったので、そのままそのとおり。だから、そこはセコンドの指示をしっかり聞けて、冷静にそれを選択できた感じでした。
――最後はキッチリKO勝利という。
金原 まあ、腹が効いてたんで、自分が仕掛けるものに対しては全部反応してくれたんですよ。腹を守るためにフェイントには全部反応してくれたんで。そうなるとこっちの攻撃は全部入りますから。やっぱり一番苦しいのってお腹なんでね。人間が防衛本能で一番守るのはお腹ですから。
――へえ、顔よりもお腹なんですね。
金原 だから、ボクはけっこうボディに返すんですよ。腹ってよけられないから。
――金原選手の最後の攻撃で芦田選手がグラっとなって。あれはけっこう危険な倒れ方でしたが、ああなった理由ってどういうことだったんでしょう?
金原 ああ、そこはボクもわからないですけど、踏ん張れなかったんじゃないですかね? 自分としてもKOした感触のパンチでもなかったので、「あ、効いたんだ」とビックリしましたけど。
――何かダメージの蓄積だったんですかね?
金原 けっこう右は何回かパンチが当たっていたので、それもあったのかもしれないです。
――そういう伏線があって踏ん張れなかったかもしれない、と。一方、芦田選手からマウントを返されて上のポジョションを取られたときの圧はどうでした?
金原 ……あれはね、ホントにお恥ずかしい話です。ボクはトップキープが売りの選手なのに、あんなに簡単に返されちゃって。
――そうなんですね。
金原 いや、わかってたんですよ! もともとブリッジする選手だし、芦田が足を引っ掛けてきてたのも。でも、自分の練習仲間は寝技できる選手が多いので、あんまりブリッジで逃げる選手がいなかったんですよ。だから、普段と違った逃げ方をされちゃうと……。
――ああいうことが起こる?
金原 そういうことですねえ。あれは完全に自分のミスです。お恥ずかしいです!
――それにしても、今回フェザー級で戦ったことで、どこかコンディションも凄くよく見えました。
金原 それは、おっしゃるとおりですね。全然違います。やっぱり、バンタムのときはいろいろ不安がありました。リカバリーしているときに食いすぎて、夜中にゲロ吐いたりすることもありましたし。
――え……。
金原 ボクはバンタムのときでも、61キロで計量して68キロとか69キロまで戻してたんですよ。そういうのもあったんですけど。
――でも、過剰に食べすぎちゃっていたのは、やはり不安で?
金原 いやー、やっぱり大きいほうがどうしても有利になるじゃないですか。そういう体格差をつけるためにバンタムまで落としていたので。でも、ダメだとわかっていても食べちゃうし止まらないんですよね。それに、ホントに鬱になるんですよ。
――過度な減量はそうなると聞きますよねえ。
金原 減量鬱というヤツですよね。だから、バンタム時代はお菓子とかお肉とかめちゃめちゃ食糧を買い込んで、試合が終わったら凄えいろんなものが届くんですけど、本人は買った記憶がないんです。
――覚えてないんですか……。
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喋る姿が目に浮かぶ!
喋り方と声が田端信太郎とそっくり!