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クラシックなファイトスタイルで己の道を突き進むHEAT-UP所属のプロレスラー、渡辺宏志インタビュー。新日本プロレス学校出身レスラーが明かす山本小鉄の思い出とは?


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――
渡辺さんが新日本プロレス学校に通われてたのはいつ頃なんですか?

渡辺 通い出したのは90年5月から、閉鎖される91年の9月末日までですから1年と4ヵ月ほどですね。

――
プロレス学校の最後を見届けたわけですね。

渡辺  
まあ、そうなりますね。校長だった山本小鉄さんの健康状態がよろしくなかったのが閉鎖の理由でした。山本さんがいなくなると、管理する人がいなくなるということで。

――
9月に閉鎖って学校としては中途半端な時期ですよね。通達はいつぐらいにあったんですか?

渡辺 
8月の末くらいには、もう。

――
最後のほうは会員さんはどれくらいいたんですか?

渡辺 
ボクが知るかぎりは20人ぐらいいたと思います。

――
一緒に通われていたのは、どなたになるんですか?

渡辺 
先輩にあたるんですが、中島半蔵さんがインストラクターというかたちでいらっしゃいましたね。あとは金原弘光さん、池田大輔さん、臼田勝美さん、SWSに入団した中原敏之さんですね。サスケさんとは時期が被ってはなかったんです。

――
サスケさんはデビュー後も新日本の道場に遊びに来られてたんですよね?

渡辺
  一度だけお会いしたことはありますね。ユニバーサルプロレスでデビューされて「MASAみちのく」のリングネームで話題になった頃ですね。新日本プロレス学校を足がかりに、いろんな団体にアプローチをして、入団をはたした先輩方はけっこういました。

――
渡辺さんも新日本プロレスのテストは受けられたんですよね?

渡辺 
はい。90年の暮れにテストを受けて、メニューはすべてクリアしたんですけど、身長のほうが……。

――
当時は180センチ以上が必須の時代だったりしましたねぇ。どのようなペースで学校には通っていたんですか?

渡辺 
当時のボクは16時まで働いてまして。仕事先が横浜駅の西口だったものですから、仕事が終わったらすぐに東横線に飛び乗って、自由が丘で乗り換えて。道場に着くのがだいたい17時ちょっと過ぎで。練習は20時までなんですが、毎週月曜日に山本小鉄さんが指導にいらしてくれて。 お忙しい方でしたので来られないときもあったんですが、ボクたちの指導をしてくださりました。

――他のレスラーと道場で遭遇する機会もあったんですよね?

渡辺 
シリーズオフになると皆さん自分の都合のいい時間帯に道場にいらっしゃって練習するので、主力の選手の方はけっこうをお見かけしました。選手の方がウエイトトレーニングをやるときに「ちょっと補助してくれる?」と声をかけられることもたまにありました。とくに闘魂三銃士(武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋)のお三方はすごくフランクに接してくださいましたね。 

――一緒に通われていて新日本のテストに合格した方はいたんですか?

渡辺 
ボクが受けた90年の暮れのテストで何人か合格したんですけど……すぐに新日本をやめられてしまいまして。 

――
池田さんもケガでやめられちゃいましたけど、藤原組でデビューしましたね。

渡辺 
池田さんは故郷の熊本に帰られたと聞いて、これからどうするんだろうと思っていたら、やめられて3年後に藤原組でデビューしまして。

――やっぱり新弟子は過酷という……。

渡辺 
よく言えば規律が厳しい世界ですね、悪くいえば……まあ、これはやめておきましょう(笑)。

――
ハハハハハハ。当時の道場の主といえば、橋本さんで。

渡辺 
橋本さんにはちょっと思い出がありまして。練習終了の時間になって ボクらが道場から退出するじゃないですか。入れ違いで橋本さんが道場に来られて練習を始めたんです。で、一緒に帰った人が「道場にウエイトのストラップを忘れた」と言うんですけど、道場に橋本さんがいるということで戻るのをためらってるんですよね。だったらボクが取りに行くということで道場に戻ってドアを開けようとしたら道場に鍵がかかってまして。中から「誰だ!?」って凄い剣幕で橋本さんの怒鳴り声が響いてきたんです。ボクが「プロレス学校の生徒なんですけど、忘れ物を取りに来ました」と伝えたら、一転して橋本さんは穏やかな声で「忘れ物?どうぞどうぞ」と入れてもらって。ストラップを見つけたら「そのストラップ、さっき使っちゃったんだよね」って笑いながら言ってくれて。

――優しく対応してくれたんですね。

渡辺 
あと道場って日曜日はお昼から18時ぐらいまで開放されてたんです。ある日、日曜日の昼から練習をしていたら、そこに居合わせた橋本さんにおつかいを頼まれたんです。「タバコを買ってきてくれないですか」と。橋本さんからは5000円札を預かったんですけど、道場に帰って品物とお釣りを渡そうとするじゃないですか。橋本さんはお釣りを受け取ろうとしないんですよね。

――
大物レスラー仕草じゃないですけど(笑)。

渡辺
  「橋本さん、それは困ります」って返そうとしたんですけど、橋本さんは「忙しいところ用事を頼んじゃったからさ、お茶でも飲んで帰ってよ」って橋本さんは問答無用で道場から出て行ってしまって(笑)。

――
破壊王らしいですね(笑)。

渡辺 
あと覚えてるのは、関西のテレビ番組の収録が道場であったんです。 そのとき吉本興業の清水圭さんがいらして、金本浩二さんと一緒にボクも番組に出演したことがありました。番組のマスコットキャラクターでコンちゃんというウサギの着ぐるみが出てたんですけど。その収録の際に着ぐるみを着ていたのは金本さんの妹さんだったんです。

――
えっ、どういうことですか? 

渡辺 
番組からは「絶対に金本選手本人には言わないでくれ」って釘を刺されまして。妹さんが「大阪から上京したお兄さんがどんな風に生活しているのかをそれとなく見たい」という希望がありまして。それで収録のときに着ぐるみの中に入ってるということだったんですね。

――
その企画は、金本さんの東京の生活の様子を探るものだったんですか?

渡辺 
というわけではなかったですね。そういう番組に妹さんが関わったという感じで。企画自体はコンちゃんとあっち向いてホイの勝負をするというもので。金本さんとボクともう1人のプロレス学校の生徒があっち向いてホイをやると。そのコーナーが終わったあとのおまけの撮影で「コンちゃん、ちょっと金本選手に攻撃してみて」という指示があって。 見よう見まねで空手チョップをやったりするんですよ。逆に金本選手が着ぐるみの頭をポンと叩いたりとか。そうしたらコンちゃんが鳴きマネをしながら逃げようとしたら、金本選手が「なんか女の子っぽいですね」みたいなことを言って、スタッフは皆慌ててましたけどね(笑)。 

――
それで最後に種明かしをすると。

渡辺 
いや、それもなかったですね。

――ないんですか(笑)。

渡辺 
少なくともボクがいる場では種明かしはなかったですね。もしかしたら番組で種明かしされたのかもしれないんですけど、関西ローカルの放送だったのでボクらでは見ることはできなかったんですよね。

……という話でしたけど、じつはこの番組は『探偵ナイトスクープ』だったことが判明。企画自体も金本選手の妹さんがお兄さんの様子を伺いに東京までやってくるというもので、着ぐるみはウサギではなくコアラ! 番組収録から数ヵ月に開催された新日本プロレスの大阪大会で金本選手には種明かしがされたようです。時間をかけたドッキリだったので渡辺選手には説明が行き届いてなかったのかもしれません……。

――山本小鉄さんの教えで印象に残ってるものはありますか?

渡辺 やっぱり受け身、ロープワーク、スパーリングですね。 山本さんの指導はそこが中心だったんですけど。山本さんが来られる前、有志でスパーリングをしていたら、途中で山本さんが道場に入ってこられて嬉しそうにボクたちを見てるんですよね。その日、山本さんは終始上機嫌だったことを覚えてます。やっぱり山本さんはスパーリングが好きですからね。

――弟子たちが自主的にスパーしてるのが嬉しかったんでしょうね。
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