不定期更新「ジャン斉藤のMahjong Martial Artas」――今回のテーマはさらば“人間”ロード・ウォリアーズです!


【1記事から購入できるバックナンバー】

・リアリティショーからこぼれ落ちたハルク・ホーガンの「リアル」







9月22日にアニマル・ウォリアー(享年60)が死去したこともあり、あちこちでその偉大な業績が語られているザ・ロード・ウォリアーズ(パートナーのホーク・ウォリアーは2003年に亡くなっている)。
筆者はかつて『俺のプロレス』(扶桑社・刊)という雑誌でウォリアーズ大特集を組んだことがあるが、そこに掲載された選手・関係者の証言をもとに伝説の暴走戦士を振り返ってみた。
 
「日本のメタル・ゴッド」こと音楽評論家の伊藤政則氏は、ロード・ウォリアーズの大躍進にはMTVの影響もあったと分析した。MTVとは1981年にスタートした24時間音楽のビデオクリップを放送する音楽専門チャンネル。映像の作品性を高めることで、音楽を「聞く」ことから「見る」ことへと変えた80年代を代表するメディアである。

あの当時はもうMTVが誕生してメタルのプロモーションビデオもガンガン流れてた頃なんだよね。82~83年ぐらいにはモトリー・クルーなんかのLAメタル勢がガンガン流れてたから、ウォリアーズあたりもああいうビジュアルイメージを考えるのは非常に簡単だったと思うよ。
 ジューダス・プリーストのロブ・ハルフォードもそうだし、ああいうスタッドをつけたコスチュームっていうのはテレビでアピールしてたからね(伊藤政則)

ロード・ウォリアーズのテーマ曲はブラック・サバスの『アイアンマン』。アニマルはこの選曲をこう述懐していた。 

『アイアンマン』はロード・ウォリアーズにぴったりの曲だっただろ。あれはホークとクルマに乗っていたときに、カーラジオから流れてきたんだ。「おい、これだ! これを入場曲にしようぜ!」という感じで決まったんだ。俺のお気に入りの曲だったんだよ(アニマル)


伊藤政則はこの『アイアン・マン』の選曲センスを絶賛。

日本におけるロード・ウォリアーズの幻想が膨らんだのは、疾風のようにリングインし、あっという間に相手を片付けて去っていく“秒殺”スタイルだが、これは“プロレス文化の誤解”から生まれた副産物だった。ウォリアーズの知名度を大きく挙げたのは、テレビ東京の番組『世界のプロレス』。そこで放送されたウォリアーズの試合はいわゆるテレビ向けのプロモーションマッチで、格下相手に秒殺劇を繰り返していたが、ウォリアーズ以外のトップレスラーもテレビマッチでは短時間でフィニッシュしていた。なるほど日本のプロレスファンはテレビマッチの強さをウォリアーズの実力と捉え違えてしまったわけだが、それでもあの肉体から繰り出す怒涛の波状攻撃とは見事にマッチしていた。
この続きと、アポロ菅原vs鈴木みのる、斎藤裕、和田京平&木原文人、ウォリアーズ里…などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
 

この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!