プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは追悼ロード・ウォリアーズです!
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愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間
全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話
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中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士
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WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ
プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩
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嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!
冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…
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【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生
“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?
呪われたIWGPが最高権威になるまで
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燃える男、アニマル浜口――!!
“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合
全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準
馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス
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我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!
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レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラス
プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス
『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!
80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!
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昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!
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一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!
オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿
――伝説のタッグチーム、ロード・ウォリアーズのアニマル・ウォリアーさんがお亡くなりになりました。
――そう言われるとビックリしますよね。
小佐野 三沢(光晴)や武藤(敬司)はひとつ下だから。
――相棒のホーク・ウォリアーは2003年に46歳の若さで亡くなっています。プライベートは明日なき暴走スタイルだったホークと比べてアニマルはマジメだったそうですね。
小佐野 ホークは“トンパチ野郎”だったからね。アニマルはおとなしかったよ。見かけは怖い感じがするけど温厚な性格。ホークは陽気だからとっつきやすいけど、誠実なのはアニマルのほうなんだろうね。彼らが来日後の話なんだけど、アメリカに取材に行ったときにどこかの会場で迷ってしまって選手のドレッシングに入っちゃったんだよね。そうしたら誰かにガーッと怒鳴られて「マズイところに来ちゃったな……」と思っていたら、アニマルが声をかけてくれて「OK、OK、 こっちに来てくれればいいから」とケアしてくれたんだよね。日本人のマスコミに対しては友好的だったよね。おそらく日本でいい思いしたからだろうね(笑)。1週間で1人1万ドルだったかな。
――アニマルは常識人だったという。
小佐野 ホークのほうがアニマルより4つ年上なんだよね。ウォリアーズの初来日は85年だけど、アニマルは24歳であの風貌だった。
――貫禄がありすぎますね(笑)。ロード・ウォリアーズ旋風は来日前から凄かったじゃないですか。
小佐野 きっかけはテレビ東京で放送されていた『世界のプロレス』からだよね。
――タイトル通り世界のプロレスの試合を紹介する、当時としては貴重な番組ですね。
小佐野 『世界のプロレス』でしか動くウォリアーズは見れなかったから。 当時は“まだ見ぬ強豪”という存在がいなくなった時代だったこともあって、ウォリアーズは突如として現れた、まさに“まだ見ぬ強豪”といえるタッグチームだった。しかもテレビマッチとはいえ、あの秒殺劇の連続。 あんな勝ち方を見せられたら、みんな衝撃を受けるよね。
――『世界のプロレス』で扱うまでは、その存在は日本では知られてなかったんですか?
小佐野 その頃ウォリアーズが主戦場としていたジョージアやカロライナはAWA地区だったでしょ。『週刊ゴング』や『週刊プロレス』 が契約していたカメラマンがどの地区に強いかどうかが影響してくる。たとえばロサンゼルスにカメラマンが常駐していたから、ロス地区の情報が当時の日本にはガンガン入ってきた。その頃カロライナがいくら黄金マーケットだったとえいえ、カメラマンがいなかったら情報は入ってこないからね。それにウォリアーズは無名だったから、日本でネームバリューがない選手のためにわざわざカメラマンを飛ばすこともないし。
――知られるざる存在だったウォリアーズが『世界のプロレス』を通して輸入されたんですね。
小佐野 写真じゃなくていきなり映像で日本に入ってきたこともインパクトがあったんじゃないかな。
――ウォリアーズの秒殺劇というのは、テレビマッチというプロモーション用の試合だったことから発生したんですよね。要するにウォリアーズの強さが際立だつような試合が『世界のプロレス』で放送されたことで、それがそのままウォリアーズの実像だと日本のファンは捉えた。
小佐野 当時の日本にはテレビマッチという概念がなかったからね。でも、ウォリアーズのファイトスタイルも衝撃だったんだよ。昔のパワーファイターというのは、言い方が悪いけど“木偶の坊”でというイメージが強かった。たとえばビリー・グラハムは一本調子な試合運びだったりとかね。でも、ウォリアーズの動きは素早かったでしょ。単なる筋肉マンじゃなかったから。
――「筋肉マン=木偶の坊」というイメージは、あらゆるジャンルのスポーツにも浸透してましたね。
小佐野 あれだけ動ける筋肉マンが出てきたらビックリするよね。とんでもないパワーがありながら、2人とも飛べたのが大きかったんじゃないかな。緩急がつけるパワーファイターなんていままでいなかった。パワーファイターは大味な試合をするというのが定番だったから。
――あのキャラクター性だけではなかったということですね。
小佐野 当時は長い試合が好まれる時代だったしね。それまで短い試合で話題になったのはザ・シークぐらいですよ。初来日のときに坂口征二さんとUN選手権をやったんだけど、3本勝負なのに10分かかってないんだから(笑)。
――ハハハハハハハ! シークは長い試合は似合わないとはいえ(笑)。
小佐野 私は当時アメリカに直接取材に行ってるからテレビマッチはなんぞやというのは理解してるんだけど。ファンは知るよしもなかったし、あんな2人がやりたい放題やって3分で試合が終わっちゃうんだから話題にはなりますよ。
――ウォリアーズの衝撃的なキャラも相まって“秒殺”が定着しちゃったってことですね。
小佐野 それにあのペイント、ヘアスタイルもそれまでにはない奇抜さがあったし、テーマ曲はブラック・サバスの『アイアンマン』。ヘビメタがプロレスの入場曲に使われたのは初めてでしょ。それまではディスコ系か映画のテーマ。
――当時の選手入場テーマってセンス抜群でしたけど、けっこう呑気でしたよね。
小佐野 ビジュアルからファイトスタイル、入場テーマまですべて新しかった。時代の変わり目のプロレスラーだったんだと思うよ。こないだ『ニコニコプロレスチャンネル』で木原の親父ともウォリアーズの話をしたんだけど、プロレスファンのファッションも変えたからね。それまではジーンズにウエスタンバックルを付けた、 いわゆるザ・ファンクス系のファッションが流行りだった。
――憧れはファンクス兄弟!
小佐野 ところがウォリアーズが登場してから頭はバンダナ。巻くタイプじゃなくて被せる感じ。タンクトップやラグトップを着て、ズバズのバギーパンツを履く(笑)。
――うわっ、ズバスって死ぬほど懐かしい!! そんなウォリアーズファッションは佐々木健介さんなんかはモロ直撃世代ですね(笑)。
小佐野 健介にとってウォリアーズを自分のプロレスラー人生も大きく変えたからね。パワー・ウォリアーに返信することでトップレスラーの階段を登ることになって。ホークが急逝したときの健介はWJの頃でお金はまったくなかったから、自分のマイルを使ってアメリカに渡って。話を戻すと、ズバズはウォリアーズが権利を持っていたからね。 NFL のチームと提携してたし、あれで大儲けしたはずだよ。
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コメント
このシリーズにハズレ無し。
奥が深い。
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ロード・ウォリアーズ夢と憧れをありがとう!