7538179bd4c000987667358fd0883e0367994d56
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは追悼ロード・ウォリアーズです!


<1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!>

SWSは企業プロレスだったのか

『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一

名子役から名優へ…中嶋勝彦

デビュー戦から見た木村花というプロレスラー

小川良成…孤独と苦難から生まれた「孤高のテクニシャン」

新型コロナ禍の中のプロレス


W-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近?

追悼“喧嘩日本一”ケンドー・ナガサキ

【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」

新生NOAHは何が変わったのか?

獣神サンダー・ライガーと山田恵一

プロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」

ケンドー・カシンの数奇で偏屈なマスクマン人生


日本のプロレスを変えた「浅井嘉浩」という男


革命戦士・長州力、笑顔でリングを降りる――

追悼・青木篤志さん

望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜

三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負


ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合

北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾


柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」


多発するプロレスラーのケガを考える


愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間

全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話


プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん


あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩


最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん

中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士

最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司

縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生

WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ

「情」で生きる佐々木健介の激烈人生! 

プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩

大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 

暴走親方、諏・訪・魔!!

嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!


冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…

完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田

超獣ブルーザー・ブロディ

【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生

“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴

癌に勝った絶対王者・小橋建太

“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?

呪われたIWGPが最高権威になるまで

悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 

燃える男、アニマル浜口――!!

“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合

全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準

馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス


ジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 

我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 

猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代

レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!

「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラス

プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス

『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!

80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!

“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰

昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!

史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!

全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信

鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”

高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで

「プロレス取材の難しさ」

一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!

オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿



――
伝説のタッグチーム、ロード・ウォリアーズのアニマル・ウォリアーさんがお亡くなりになりました。

小佐野 アニマルはまだ60歳だったんだよね。その年齢を聞いてビックリ。なんだ俺のひとつ上なんだって。 日本人プロレスラーで60歳はヒロ斎藤かな。

――
そう言われるとビックリしますよね。

小佐野
 三沢(光晴)や武藤(敬司)はひとつ下だから。

――
相棒のホーク・ウォリアーは2003年に46歳の若さで亡くなっています。プライベートは明日なき暴走スタイルだったホークと比べてアニマルはマジメだったそうですね。

小佐野
 ホークは“トンパチ野郎”だったからね。アニマルはおとなしかったよ。見かけは怖い感じがするけど温厚な性格。ホークは陽気だからとっつきやすいけど、誠実なのはアニマルのほうなんだろうね。彼らが来日後の話なんだけど、アメリカに取材に行ったときにどこかの会場で迷ってしまって選手のドレッシングに入っちゃったんだよね。そうしたら誰かにガーッと怒鳴られて「マズイところに来ちゃったな……」と思っていたら、アニマルが声をかけてくれて「OK、OK、 こっちに来てくれればいいから」とケアしてくれたんだよね。日本人のマスコミに対しては友好的だったよね。おそらく日本でいい思いしたからだろうね(笑)。1週間で1人1万ドルだったかな。

――
アニマルは常識人だったという。

小佐野
 ホークのほうがアニマルより4つ年上なんだよね。ウォリアーズの初来日は85年だけど、アニマルは24歳であの風貌だった。

――
貫禄がありすぎますね(笑)。ロード・ウォリアーズ旋風は来日前から凄かったじゃないですか。

小佐野
 きっかけはテレビ東京で放送されていた『世界のプロレス』からだよね。

――
タイトル通り世界のプロレスの試合を紹介する、当時としては貴重な番組ですね。

小佐野
 『世界のプロレス』でしか動くウォリアーズは見れなかったから。 当時は“まだ見ぬ強豪”という存在がいなくなった時代だったこともあって、ウォリアーズは突如として現れた、まさに“まだ見ぬ強豪”といえるタッグチームだった。しかもテレビマッチとはいえ、あの秒殺劇の連続。 あんな勝ち方を見せられたら、みんな衝撃を受けるよね。

――
『世界のプロレス』で扱うまでは、その存在は日本では知られてなかったんですか?

小佐野
 その頃ウォリアーズが主戦場としていたジョージアやカロライナはAWA地区だったでしょ。『週刊ゴング』や『週刊プロレス』 が契約していたカメラマンがどの地区に強いかどうかが影響してくる。たとえばロサンゼルスにカメラマンが常駐していたから、ロス地区の情報が当時の日本にはガンガン入ってきた。その頃カロライナがいくら黄金マーケットだったとえいえ、カメラマンがいなかったら情報は入ってこないからね。それにウォリアーズは無名だったから、日本でネームバリューがない選手のためにわざわざカメラマンを飛ばすこともないし。

――
知られるざる存在だったウォリアーズが『世界のプロレス』を通して輸入されたんですね。

小佐野
 写真じゃなくていきなり映像で日本に入ってきたこともインパクトがあったんじゃないかな。

――
ウォリアーズの秒殺劇というのは、テレビマッチというプロモーション用の試合だったことから発生したんですよね。要するにウォリアーズの強さが際立だつような試合が『世界のプロレス』で放送されたことで、それがそのままウォリアーズの実像だと日本のファンは捉えた。

小佐野
 当時の日本にはテレビマッチという概念がなかったからね。でも、ウォリアーズのファイトスタイルも衝撃だったんだよ。昔のパワーファイターというのは、言い方が悪いけど“木偶の坊”でというイメージが強かった。たとえばビリー・グラハムは一本調子な試合運びだったりとかね。でも、ウォリアーズの動きは素早かったでしょ。単なる筋肉マンじゃなかったから。

――
「筋肉マン=木偶の坊」というイメージは、あらゆるジャンルのスポーツにも浸透してましたね。 

小佐野
 あれだけ動ける筋肉マンが出てきたらビックリするよね。とんでもないパワーがありながら、2人とも飛べたのが大きかったんじゃないかな。緩急がつけるパワーファイターなんていままでいなかった。パワーファイターは大味な試合をするというのが定番だったから。

――
あのキャラクター性だけではなかったということですね。

小佐野
 当時は長い試合が好まれる時代だったしね。それまで短い試合で話題になったのはザ・シークぐらいですよ。初来日のときに坂口征二さんとUN選手権をやったんだけど、3本勝負なのに10分かかってないんだから(笑)。

――
ハハハハハハハ! シークは長い試合は似合わないとはいえ(笑)。

小佐野
  私は当時アメリカに直接取材に行ってるからテレビマッチはなんぞやというのは理解してるんだけど。ファンは知るよしもなかったし、あんな2人がやりたい放題やって3分で試合が終わっちゃうんだから話題にはなりますよ。

――
ウォリアーズの衝撃的なキャラも相まって“秒殺”が定着しちゃったってことですね。

小佐野
 それにあのペイント、ヘアスタイルもそれまでにはない奇抜さがあったし、テーマ曲はブラック・サバスの『アイアンマン』。ヘビメタがプロレスの入場曲に使われたのは初めてでしょ。それまではディスコ系か映画のテーマ。 

――
当時の選手入場テーマってセンス抜群でしたけど、けっこう呑気でしたよね。

小佐野
 ビジュアルからファイトスタイル、入場テーマまですべて新しかった。時代の変わり目のプロレスラーだったんだと思うよ。こないだ『ニコニコプロレスチャンネル』で木原の親父ともウォリアーズの話をしたんだけど、プロレスファンのファッションも変えたからね。それまではジーンズにウエスタンバックルを付けた、 いわゆるザ・ファンクス系のファッションが流行りだった。 

――
憧れはファンクス兄弟!

小佐野
 ところがウォリアーズが登場してから頭はバンダナ。巻くタイプじゃなくて被せる感じ。タンクトップやラグトップを着て、ズバズのバギーパンツを履く(笑)。

――
うわっ、ズバスって死ぬほど懐かしい!! そんなウォリアーズファッションは佐々木健介さんなんかはモロ直撃世代ですね(笑)。

小佐野
  健介にとってウォリアーズを自分のプロレスラー人生も大きく変えたからね。パワー・ウォリアーに返信することでトップレスラーの階段を登ることになって。ホークが急逝したときの健介はWJの頃でお金はまったくなかったから、自分のマイルを使ってアメリカに渡って。話を戻すと、ズバズはウォリアーズが権利を持っていたからね。 NFL のチームと提携してたし、あれで大儲けしたはずだよ。
この続きと、和田京平、内柴QUINTET、皇治、前澤智、瀧澤謙太、大原樹里…などの10月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める「10万字・記事18本の詰め合わせセット」はコチラ
 

この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事90円から購入できます!