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――新日本プロレスの親会社がブシロードだったり、ABEMAがDDTやNOAHを傘下に収めたりと、企業プロレスがあたりまえになっているプロレス界ですが、過去でいえばメガネスーパーを資本としたSWSが企業プロレスと扱われていますが、正直あれは企業プロレスと呼ばれるものではないですよね。
――要するにスポンサー・プロレスということですね。
小佐野 SWSも企業プロレスをやりたかったんだけど、結果的にタニマチ・プロレスになってしまったのかな。
――あのSWSから見た企業プロレスとタニマチプロレスの違いってなんですか?
小佐野 ひとつには、レスラーがオーナーを経営者と見ているか、単なるタニマチとして見ているのか。そこの意識の違いかな。ビジネスとして成立するかどうかはわからないけども、少なくともビジネスとして物事を考えているのが企業プロレスなんだと思う。
―― SWSにはそのビジネス的視点がまったくなかったということですか?
小佐野 だって当時のメガネスーパーの田中八郎社長は最初から「儲けなくてもいい」って言ってたからね。 「SWSは金儲けじゃなく私のロマンだ」と言って取り組んだから、60億かかろうが70億かかろうが関係ないと。
――SWSは最終的に100億円近く使ったわけですもんね……。
小佐野 始めからビジネスとして考えていなかったし、 それに地方巡業にしても、あの舞台装置やスタッフの数からすると、いったい何人入れば採算が取れるの?って。とても売り興行にはできない。SWSの地方興行はほとんど手打ちでやっていたんだけど、どうやっても黒字にはならなかったと思う。東京ドームとかビッグマッチなら話は別だけどね。
――それは長期的視点による投資ではなかったんですよね。
小佐野 そうじゃないよね。ひとつのメリットとしてはメガネスーパーの知名度が上がったということは田中社長は言っていたけどね。宣伝効果はたしかにあった。
――お金を出してくれたことはありがたいけども、会社組織としては評価しづらいところがあるわけですね。
小佐野 SWSに参加した選手たちは散り散りになったけど、いまになったら感謝してるはずですよ。少なくとも天龍(源一郎)さんはSWS以前からトップレスラーだったけど、他のレスラーはあんなにいい待遇を受けたことないんだから。とくにあの頃は何年も現役が続けられる時代ではなかったから、おいしい話があったら飛びつくよね。
――いまみたいに50代60代でもプロレスができる時代ではなかったですね。
小佐野 あの時代のレスラーは40歳がギリギリやれる年齢だと思っていたからね。みんな自分のタイムリミットを知っていたから、できるだけ良い条件の団体を選ぶでしょ。SWSがなくなったあとに天龍さんが WARを旗揚げしたのは42歳だったけど、 そんな歳で新団体を作るのか?ってみんな驚いた。昔だったら引退するような年齢なんだから。
――SWSは金権プロレスだとして『週刊プロレス』から大バッシングを浴びました。当時はプロがお金で動くことが批判される時代で。
小佐野 いまだったら批判はされないよね。90年代は野茂英雄がメジャーリーグに挑戦したときでさえマスコミは大バッシングしたからね(笑)。 SWSはそれより前の出来事だから。
――野茂バッシングもSWSと同じくマスコミの傲りが招いたものですよね。
小佐野 あのSWSの失敗があったから、そのあとプロレス界に企業が入ってきてもファンはアレルギーを起こさなかったし、プロレスラーも経営方針に理解を示すようになった。SWS消滅以降しばらくプロレス界には大きなスポンサーは付かなくなったからね。みんな寄ってたかってメガネスーパーを叩いたから、プロレスに興味のある他の企業も敬遠しちゃってね。
小佐野 時が経ってから振り返ってみると、あのバッシングはよくなかったんじゃないかという話にもなって、田中八郎氏の評価も変わってきてるし。
――問題は運営の仕方だったということですね。
小佐野 そこはブレーンの問題があったんだと思うよ。はじめが若松(市政)さん主導で、途中から天龍さんが入ってきたけど、既得権があるわけだよね。桜田(一男)さんは桜田さんでアメリカでも試合をやっていたから、日本とアメリカ両方で稼げればいいぐらいの感覚で。
――SWSの中心人物だった桜田さんは「なんか揉めてるけど、まあいいや」くらいの感覚でしたよね(笑)。
小佐野 若松さんはそれまでプロレス界であんまりいい思いをしてこなかった人だから。国際プロレスから新日本に移って、マシン軍団のマネージャーとしてブレイクはしたけど、レスラーとしては評価されなかった。表舞台を歩いてこなかった人がああいう立場になったら浮かれちゃうところもあるし。
――若松さんはいい人ですけど、SWSマネーを掴んだこと豹変したところがあったんですか?
小佐野 少なくとも我々マスコミの前ではまるっきり変わらなかったけど、坂口さんに言わせると「若松は変わった」と。「俺には後ろ盾があるんですよ」というものを匂わせるようになったみたいだね。
――しかし、若松さんは大当たりの宝くじを拾ったようなもんですね。
小佐野 若松さんのおかげで多くのレスラーがいい待遇を受けられたんだけど、若松さんは自分のような不遇の立場のレスラーを集めちゃったところもあった。
――たしかに燻り加減があるレスラーがSWSには集まってましたね。
小佐野 地味目なレスラーが多かったよね。それと若松さんは人間性は別として、プロレスにビジネス的な視点がある人ではなかったから。
――プロレス団体の運営に関わったことがない。
小佐野 ブッカーすらやったことがないよね。
――80年代当時ブッカーという存在は認識されていたんですか?
小佐野 そんなには感じてなかったかな。だって当時は誰がブッカーなんてわからなかったから。全日本で佐藤昭雄さんがやってた時代はわかったけど、新日本で誰がその役をやっていたのかはわからないし、おそらくブッカーのシステムがあったわけじゃなく、大筋は猪木さんで考えて、毎日の現場監督は坂口さんがやっていたんじゃないかな。それに当時のマッチメイクは外国人を呼んで、大まかな流れの中で組み合わせてくだけだからね。
――明確なシステムがなかった。
小佐野 全日本にしても馬場さんと元子さんが大まかに考えて、周りの人間に何か知恵はないかとか聞いたりして、最終的には仲田龍と『週プロ』の市瀬(英俊)くんがまとめたりね。
――あの頃「俺が猪木さんにアイディアマンだった」と主張する人がウジャウジャいるのは漠然としていたからですね。
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中学生だったあの頃、週プロ信者だったので否応なしにSが嫌いでした。正直すまんかった。