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追悼・石の拳――3月22日にお亡くなりになったブランコ・シカティック。現在にいたるプロ格時代の扉を開いたのは、
K-1GP初代覇者シカティックの拳だった。そんなシカティックの輝かしい日々をドージョーチャクリキ・ジャパン代表の甘井もとゆきに振り返ってもらった。



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――
ドージョーチャクリキ・ジャパン代表の甘井さんに先日お亡くなりになったブランコ・シカティックさんについてお伺いいたします。ドージョーチャクリキ・ジャパンは5月17日にシカティック追悼大会を開催されますね。

甘井 はい。かつてシカティックが在籍していたオランダのトム・ハーリック会長と相談して開催を決めました。この追悼大会は無観客イベントでYouTubeの配信のみになるんですが、シカティックの T シャツの売り上げを献花代としてクロアチアに送ろうと思っています。

ブランコ・シカティック追悼大会配信ページ
https://www.youtube.com/watch?v=GLZvBwZYTmU&feature=emb_title

追悼大会PV
https://www.youtube.com/watch?v=4SFxAkqwGjk&feature=emb_title

ブランコ・シカティックTシャツ
https://core-choco.shop-pro.jp/?pid=150104522

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甘井 本当はクロアチアまで、お葬式に行こうとは思ってたんですが、いまは新型コロナウイルスの影響で飛行機は飛んでないですからね。

――
シカティックはまだ65歳ですから早すぎますよね……。

甘井
 ブランコ最後の来日は2017年なんですよね。パンクラスとK-1に自分の弟子を連れて来日して。最後の試合は2005年7月18日の後楽園ホールの金山裕文戦です。

――
1999年には沖縄でも試合してKO勝ちしてますね。

甘井 真樹ジム沖縄主催の大会ですね。ブランコは試合開始直後に回転後ろ回し蹴りを必ずやるんですけど、それが当たって、その後のボディ追撃で試合が終わっちゃったんですよね。だから20秒程度で終わってるんです。

――
牽制気味のパフォーマンスの蹴りが!

甘井
 ブランコは2010年に足を怪我したときにウイルスが身体に入って、3ヵ月ぐらい入院したときから体調が悪くなって。ブランコが亡くなった日にクロアチアで大地震があったんですよ。向こうで震度4~5の地震は珍しいんですけど、レンガ造りの家が倒れたみたいで車も動けないような状況になって。

――
大変なときに亡くなられたんですね。

甘井
 奥さんも大変だったと思います。奥さんは元・女優さんで美人な方なんですけど。ブランコは軍人で格闘家ですからクロアチアではエリート中のエリートですよね。トムもオランダからクロアチアまで車で行けるから、葬式にも顔を出せるんですけど、コロナのせいで無理なんでしょうね。 

――
お別れもできないんですね……。

甘井
 トム会長がオランダにチャクリキを作って、ブランコがそこで練習して。 それから2人が仲良くなってトムはクロアチアに別荘を買うまでになったんですよ。クロアチアは温かいですから、老後はクロアチアで……なんて言ってたんですけど。

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チャクリキを支えた軽量級の雄ギルバート・バレンティーニ、シカティック、会長のトム・ハーリック、そして若き日のピーター・アーツ。

――
シカティックといえば初代K-1GP優勝者として歴史にその名を刻んでいますが、引退後はどんな生活をされていたんですか? 

甘井
 引退後は要人警護の仕事をしてましたよね。 大統領の警護とか。

――
それくらいクロアチア政府から信頼されていたってことですか。

甘井
 ブランコはクロアチアでは英雄ですからね。もともと彼は軍隊で教官をやってたんですが、1994年に一度引退したのはクロアチアの独立紛争に参加するためなんですよ。 

――
凄まじい引退理由ですね……。

甘井
 ブランコはクロアチアの名誉のために刑務所にも入ったことがありますからね。ブランコとズボニミール・ボバンというサッカー選手は独立する前に、スポーツの場でクロアチアの国旗を掲げたんですよね。それが当時の政府には反逆罪にあたるということで刑務所に半年近く入れられて。

――
それが第1回K-1GPだったんですね!

甘井
 だから彼らはクロアチアでは英雄なんですよ。

――
シカティックはK-1参戦したときはもうけっこうなお歳でしたよね。

甘井
 38歳なのに34歳とウソをついてK-1に出ましたね(笑)。

――
ガハハハハハ!歳がいってると出られなくなると思ったんですかね。

甘井
 緊急参戦なので、あのときの大会パンフレットに唯一プロフィールがなかったのはブランコだけですから。ピーター(・アーツ)のセコンドで来るはずが一つは枠が開いたから出るという経緯だったと思いますよ。

――
K-1に参戦しなかった世界線があった。

甘井
 あの時点でブランコは100戦以上も戦ってるんですよね。それまではほとんど負けてなくて、キャリアでの負けは晩年に参戦したK-1でのことなんですよ。

――
日本のファンが見たのは晩年のブランコ・シカティックだったんですね。
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