アントニオ猪木の元・娘婿で新日本プロレスの社長を務めたサイモン・ケリーインタビュー第3弾。今回はIGF旗揚げを振り返ります!(聞き手/ジャン斉藤)
パート1はコチラ→「プロレスに関わることは倍賞美津子さんに大反対されました」
パート2はコチラ→「猪木事務所の暴走、ロス道場設立、猪木vsMMAファイター」
パート3はこちら→第5代新日本プロレス社長から見たシンニホン暗黒時代
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負けたら即引退試合SP、過激な舞台裏「新日本プロレスはあのとき橋本真也がいらなかったんです」
中村祥之インタビュー ZERO-ONE激動の旗揚げ
中村祥之インタビュー 破壊王・橋本真也の死――不倫とゼロワン崩壊
「仲田龍さんが気力体力尽き果てたのはわかりますよ。ボクもやられましたから……」
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「仲田龍さんが気力体力尽き果てたのはわかりますよ。ボクもやられましたから……」
――今回はユークス体制の新日本プロレスになってからのお話です。猪木事務所は解散して、猪木さんは新生・新日本プロレスの中に入ってやっていく……ということになったわけですよね。
サイモン そうなんですけど、最終的にうまくいかなかったんですよねぇ。わかりやすい例をいえば、猪木vsモハメド・アリ戦の30周年記念イベントをやろうとしていた人たちがいたんだけど、社内には反対派もいたんです。 猪木派と反・猪木派に分かれてしまって……。
――当初は日本武道館で記念興行をやるという話だったんですよね。
サイモン それがNGになって、最終的に横浜・赤レンガ倉庫でパーティーだけやったのかな。猪木さんからすれば、興行をやらないなら意味ないじゃん!っていう。べつにMMAをやろうとしてたんじゃなくて、猪木vsアリ戦の記念に異種格闘技戦のトーナメントをやろうとしてたのが……。
――新日本からすれば「また格闘技路線は……」ということだったのかもしれないですね。
サイモン そうそう、当時は「そっちだけはやめてくれ!」という雰囲気で。 MMAじゃなくてもダメ。もっと楽しいプロレスをやりましょう!と。 アンチ猪木・大爆発で「ストロングスタイル系のものにも関わりたくないっ!」みたいな。
―― ユークス体制を機に新しい新日本プロレスを創っていきたいというか。
サイモン そういうことですね。「レッスルランド」や「ロックアップ」とかインディ系のサブブランドも始まって、いままでの新日本じゃないような方向性に向かって。 それがいいか悪いかでいえば、いまの新日本の調子がいいので正解だったのかもしれないですけど。自分的にはやっぱり「ストロングスタイル」という新日本プロレスのメインのメッセージだけはキープしたかったなという思いはありますね。
――もう猪木さんに発言権はなかったわけですか?
サイモン ないですね。 会議でもアンチ猪木の方が圧倒的に多かったので。多数決というわけじゃないけど、どうしても意見の多い方に動いていきますし。
――ユークス新日本には「アントニオ猪木」という看板を使ってビジネスをしようという動きはなかったんですか?
サイモン なかったですねぇ。最初は猪木さんの経費を含めてOKだったものが、だんだんとNGになっていったり。そうなると猪木さんサイドも火がついてきて、新日本の中でもバトルが起き始めて。それでIGFを作ることになって新日本と決別するわけですけど。
――IGFの資金って圧倒的だったじゃないですか。
サイモン 「猪木酒場」を手掛けていたジー・コミュニケーションという外食産業会社が「お金を出すから自分たちでやっちゃいましょう」という流れになったんですよね。ジー・コミュニケーションの経営は調子がよかったし、ほかにも猪木さんにお金を出す人はたくさんいたんですよね。
――90年代の新日本東京ドームが超満員になっていたのは、猪木さんの営業力が強かったという理由もあるみたいですね。以前NOAHの三沢光晴さんが参戦したから満員になったというニュースが流れたら、猪木さんが「俺が何枚切符を売ってると思ってるんだ?」って怒ったときがあって。
サイモン ホントに猪木さんこそ凄い営業マンだったので。猪木さんの力をもうちょっと利用していれば、もっといろんなことができたかもしれないですよね。あそこで決別しちゃったことで、猪木さんのスポンサー系はみんなIGFについてしまうことになったし。
――当時新日本の社長だったサイモンさんもやめられて。
サイモン こうなったら自分もやめるしかないでしょ。猪木さん側の人間がみんなやめていってるのに、自分だけ新日本に残る理由がない。新日本は大好きだし、新日本を立て直したいという気持ちはあったけど。猪木さんがいないきゃいられないでしょっていう。もうIGFに行くしかなかったですよね。
――新日本としてもサイモンさんがやめられることは「やっぱり」という反応だったというか。
サイモン やめるときは反発を食らいましたけどね。「やめるな」じゃないけど、「やめかたのイメージが悪い」ということですよね。
――ああ、新日本の印象が悪いですよねぇ。やっぱり仲間割れじゃないですけど。
サイモン あたりまえだけど、新日本の事務所で社長退任会見は開いてくれなかったんです。だからIGF事務所の近くの公園で(笑)。
――どんな場所で記者会見をやってるんだという(笑)。あれで猪木さんと新日本の仲の悪さがわかっちゃいましたよね。
サイモン でもまあスッキリしたというか。こっちもやりたいことができるということで、IGFの旗揚げ戦で火が付いちゃうんですよね。
――IGFの旗揚げ戦のタイトルは「闘今BOM-BA-YE」でしたけど、「闘魂」とか猪木さん絡みのワードは新日本が商標を持ってたから「闘今」になったんですよね?
サイモン そうですね。あとから新日本と話し合って使えるようになりましたけど。
――猪木さんがリング上で「1・2・3・ダー」をできなかったのもそういう理由で。
サイモン そうです。いろんなものが登録されてたってことですよね。
――ということは、猪木さんもまさか新日本と決別することになるとは思っていなかった、ということですよね。
サイモン 最初から独立する気があるなら、自分のものなんだから新日本には預けないし。 そういうこともあって新日本に対してストレスが溜まっていたこともあって。「最強のカードはなんだ?」ということでたどり着いたのがブロック・レスナーvsカート・アングルで。
――スーパーカードを組みましたよね。サイモンさんがまだ新日本の社長だった頃、ブロック・レスナーってIWGPのベルトを持ったまま新日本をジャンプしたじゃないですか。札幌大会で棚橋弘至の挑戦を受ける予定だったのに大会2日前に来日キャンセルして。
サイモン あれはブロックが悪者になってるけど、新日本がダメなんですよ。まず新日本との契約したときブロックはWWEと裁判中で。新日本が交渉している最中にゲストとして東京ドームに来たんですよね。
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この サイモンインタビューシリーズ、めちゃくちゃ面白い。
IGFがドタバタしてたのは、愛すべき厄介者 宮戸 のおかげか。