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2人ともスネークピットジャパン出身でアチコチのリングで活躍する鈴木秀樹阿部史典の対談です!


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鈴木
 今日はなんなんですか?

――おふたりはプロレスデビューする以前からお知り合いだということで、ぜひ昔話に花を咲かせてもらいたいなと。

鈴木
 そんなんでいいんですか(笑)。

阿部
 斉藤さんらしい企画だと思いますね(笑)。

――
初めて会ったのは2人が通われていた高円寺のスネークピットジャパンなんですよね?

阿部
 ボクが小学5年生のときですよ。ちなみに鈴木さんがIGFでデビューすると聞いてはじめてサインをもらったのはボクです(笑)。

鈴木
 会ったときのことはおぼえてるよ。ヒョロヒョロで小さかった。このまんま。

阿部
 当時は49キロしかなかったんですけどね(笑)。

鈴木
 コイツは「プロレスごっこ」ができると思ってスネークピットに来て。イメージ的にはアイスリボンのプロレスサークル?

阿部
 そんな感じです。プロレスゲームから好きになって、ここにくればロープワークや毒霧がマスターできると思って。もう全然そんな感じじゃなかったですけどね。

鈴木
 おぼえてないと思うけど、「ムーンサルトプレスとか練習しないいんですか?」と聞かれて「レスリングができないとしょうがないぞ」と返した記憶がある。

阿部
 おぼえてますよ。小学生がレスリングなんかわかるわけないのに。

鈴木
 何年くらい通ったんだっけ? 

阿部
 2~3年ですね。中3まで。

鈴木
 あの頃はビル・ロビンソン先生がまだいたし、いまプロでやってる選手でロビンソンに教わっていたのはボク、阿部……くらいかなあ。

阿部
 (さえぎって)いやいや、ボクは教わったとは言えないですよ(笑)。ロビンソン先生から英語でいろいろと言われましたけど、当時は小学生ですからよくわからなくて。 

――
ビル・ロビンソンが偉大なレスラーだということは知らなかったんですか?

阿部
 申し訳ないですけど、知らなかったですね。

鈴木
 知らないよな? だってボクも最初は知りませんでしたからね。名前は知っていたけど、世代が違うからロビンソンの試合を見たこともないですし、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの意味もわからなかったし。

阿部
 小学生がキャッチを知っていたら逆に怖いですよ。でも、教わったことができるようになると楽しかったりしますよね。

鈴木
 器用だったよ。うまかった。

阿部
  あとロビンソンに教わったのは定アキラくんですね。

鈴木
  アイツは部活やバンドもやってたからそんなにジムには来てなかったけどね。

阿部
 アキラくんは不良というか、ギャングなんです。ボクはタバコの吸い方を教えてもらいましたし(笑)。ケンカのときはキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの技術を使ってましたからね、そりゃあ強いですよ。

――キャッチを使う不良って凄いですね(笑)。 

阿部
 指導のときに知ってる技が出てくると興奮しましたね。探りの中からロックアップとかは「こんなことをやりたかった!」って。

鈴木
 たしかにゲームの『ファイヤープロレスリング』はロックアップから始まるな(笑)。 

阿部
 あとスモールパッケージホールドやスクールボーイとか。スモールパッケージはテイクダウンにも使えるし、ボクは身体が小さいので相手の中に入りやすいんですよ。あとドラゴンスクリューもテイクダウンじゃないですか。プロレスでよく使われている形からはだいぶ遠いんですけどね。

鈴木
 ロビンソンはシングル・レッグダイブからのテイクダウンの一つとして教えてくれたんだけど、もともとは地味な技なんですよ。相手に密着してクルッと回るだけなんで。 そこから進化していっていまのかたちになって。

――
武藤(敬司)さんが高田延彦戦でよみがえらせましたね。

阿部
 スパーリングでピンフォールがあるってのは新鮮でしたね。昔の全女の「抑え込みマッチ」みたいな。

――
全女は「抑え込みマッチ」でベルトや引退を懸けてたのは強烈ですよね。

鈴木
 健全といえば健全な世界ですよね。ジャガー横田さんとか「抑え込みマッチ」で本当に強かったみたいで。だから女子プロレの中で一番上にいて。

――
男子にはない戦いですよね。

鈴木
 そういう話のつながりでいうと、フォールしてもカウントを取りに来ないレフェリーもいるからね。試合が始まってレスリングをして肩をつけにいくじゃないですか。レフェリーに言わないとカウントを取らないときがあるんです。もちろん全員じゃないですよ。女子プロを経験しているレフェリーは取りにきますね。それは女子プロには抑え込みの文化があったからなんでしょうね。 

――全女の新人レスラーは勝ち負けによって試合機会や給料が違ってくるという話ですから。レフェリーも押さえ込みには敏感なんでしょうね。

鈴木
 女子のレフェリーじゃないですけど、和田京平さんは必ず選手の肩口に回り込んで確認しながら叩きますね。さすがだなって。

阿部
 京平さんは絶対に回り込んで叩きますね。際どいときは地面を確認して叩いて。

鈴木
 昔のレフェリーはそう。ダメなレフェリーは肩が見えるか、見えないかの位置で叩いちゃうから。

――
鈴木さんとしては阿部さんがプロレスラーになると思いました?

鈴木
 ジムをいきなりやめちゃったんだよな。そこで記憶が止まってて。久しぶりに会ったのが澤宗紀さんの結婚式の2次会で。目の前の坊主頭のコイツが現れて。

阿部
 2014年頃ですね。あのときは愛知でお坊さんをやりながら、スポルティーバの練習生だったんですよ。 

鈴木
 ジムをやめるときも実家のお坊さんになるからなんとか……。

阿部
 そういう理由でやめましたけど、スネークピットをやめるときは怖かったですね。菓子折りを持って親に連れて行きましたから(笑)。

――
なぜそこまで!?(笑)。

鈴木
 それは阿部だけじゃないんですよ。それでジムをやめられなかった人もいましたからね。

阿部
 やめるときは電話じゃダメなんですよ。

鈴木
 まあ、まだそれは常識としてわかるんだけどね。

阿部
 あのときは怖くて宮戸さんとどんな話をしたのかおぼえてないですよ(笑)。

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