プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマはジャイアント馬場没20年追善興行」「飯塚高史引退試合」についてです!

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――
先日素晴らしい引退試合を行なった飯塚高史選手は、平成を走りきった数少ないレスラーのひとりですよね。

小佐野 昭和デビューのプロレスラーで、あれだけ元気な選手はなかなかいないよ。 四天王はいないし、三銃士にしても武藤(敬司)は長期欠場中で、蝶野正洋は実質リタイヤしてるようなもんだから。飯塚はヒールに転向してときに身体をガッチガチに作り直したでしょ。

――
まだまだできるんじゃないか……って思わせる肉体ですよね。

小佐野
 引退試合を見てて思い出したんだけど、80年代後半の新日本は小橋建太の対抗馬として飯塚を売り出したんですよ。89年に長州とタッグを組んで烈風隊に勝ってIWGPタッグ王者になったでしょ。

――
ありましたねぇ。

小佐野
 あれは異例のことだったんだよ。それまでの新日本では、新弟子から入った選手が上の選手とタッグを組んでチャンピオンになるなんて考えられなかったから。というのは、全日本プロレスがノンキャリの小橋を売り出したからなんですよ。まだシングルで1勝もしていない小橋が馬場さんとタッグを組んでアジアタッグに挑戦したり、ジャンボ鶴田と組んでメインで天龍さんと戦ったりしてね。

――
あのときの小橋は全日本プロレスでは異例の抜擢でしたね。

小佐野
 新日本プロレスの現場監督だった長州力が全日本のやり方を見て「ウチは飯塚だ」と思ったはず。 飯塚がベルトを獲ったときに全日本の担当記者や関係者は全員そう思ったからね(笑)。長州さんも全日本が新しい売り出し方をしたから気にしてたってことだよね。それまでの全日本はノンキャリアの新人があそこまで大々的に抜擢されることはなかったし、一度は書類選考で落とされた小橋が売り出されたわけだから。

――
飯塚もそれだけ期待の若手だったわけですね。

小佐野
 飯塚は若手の中では身体が大きいほうだったこともあったからね。馳浩と一緒にサンボ留学もさせてね。

――
でも、なかなか……エル・サムライやAKIRA(当時・野上彰)との闘魂トリオやJJジャックス(AKIRA)もうまくいかず。

小佐野
 飯塚本人の性格が大人しいということがよく言われるけどね。何かのテレビ番組でライガーが飯塚に強烈なダメ出しをしていたのが印象的で。「オマエは自己主張しないからダメだ!!」と。当時の新日本は、自分で考えてガンガン自己主張していかないと上にはいけなかった。長州力という強烈な現場監督相手にも自己主張する。 会社からきっかけを与えられてるだけじゃダメだったんだよ。それは越中詩郎のあがき方なんか見てればわかるよね。

――
反選手会同盟(平成維震軍)は取り残されたベテランレスラーたちが長州さんの許可を取らずに勝手に始めたものですね。

小佐野
 それもムチャクチャな話なんだけどね(笑)。でも、そうやって何か自己主張していかないと、流れから置いてかれるのが当時の新日本。だって先輩からすれば闘魂三銃士という強烈な後輩がいるし、後輩からすれば闘魂三銃士は強烈な先輩なんですよ。自己主張しないと自分のポジションなんか、あっという間になくなっちゃうんだもん。団体には大きな方針はあるんだけど、ファンやマスコミを味方にして盛り上がれば、会社も長州力も認めざるをえないからね。
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