リッキー・フジのロックンロールなロングインタビュー第2弾!! 今回はカナダから帰国してFMWに参戦した当時を14000字で追います!
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ロックンロールなプロレス人生!! リッキー・フジ「今の俺からじゃ想像できないけど、UWFに憧れて……」
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――今回は、リッキーさんがカナダから日本に帰国以降のお話をおうかがいしたいんですけど……その前に、リッキーさんもカルガリーで接点があったダイナマイト・キッドさんがお亡くなりになりまして。
リッキー そうなんですよねぇ……。誰かがSNSで「Happy Birthday」と一緒に「Rest In Peace」とキッドのことを書いていたので、「Rest In Peace? どういうこと?」と思って調べたら、亡くなっていたんだ……って。
――60歳の誕生日にお亡くなりになったんでよすね。
リッキー それこそボクがFMWに出るためにカナダから帰ってくるときに、向こうでダイナマイト・キッドとチェーンデスマッチをやることが決まっていたんですよ。
リッキー だけど、その試合と並行してFMW参戦の話が挙っていて、どっちを取るかみたいになって。一緒に団体をやっていた相棒に相談したら「こっちはなんとかなるから、おまえは日本に帰れ」と言ってくれて。結局ダイナマイト・キッドとの試合をせずに日本に帰ってきたんです。
――それ以来、キッドと会う機会はあったんですか?
リッキー 96年のみちのくプロレス両国大会でダイナマイト・キッドが試合をしたじゃないですか。じつはボクもその場にいたんです。そのときは数年ぶりに再会したんですけど、「おお、元気か?」ってちゃんとボクのことを覚えててくれました。でも、こっちは「元気か?」って声をかけるのもためらぐらい身体がね……。
――全盛期の姿は見る影もなく、やせ細ってボロボロでしたねぇ。
リッキー カルガリーのダイナマイト・キッドの家に呼んでもらったこともあってね。相棒と一緒に行ったんですけど、「これ、日本でもらったんだぜ」と数々のトロフィーを見せてもらいましたよ。あと日本の小銭もね。
――日本で使い切れなかった小銭ですね。
リッキー そのときに出してくれた紅茶がメチャクチャうまいんですよ! いままで飲んだどの紅茶よりも、おいしかったんですよねぇ……(しみじみと)。紅茶といえばイギリスが有名じゃないですか。だから「もしかしたら、これイギリスの紅茶か?」と聞いたら「そうだ」と。イギリスの紅茶って本当にうまいんだなと思いましたね。
――ダイナマイト・キッドというプロレスラーがいなかったら、きっといまのプロレスも違っていましたよね。
リッキー 間違いないですね。それこそ、いま現役でやっている選手のファイトスタイルもそうですし、ひょっとしたらダイナマイト・キッドがいなかったら、レスラーを目指していなっかった人間もいるかもしれないですよ。なにしろボクもかなり影響を受けた1人で、ダイナマイト・キッドvs初代タイガーマスクを見てプロレスラーになろうと決心したんですからね。FMWにいた当時なんかは、ダイナマイト・キッドの影響を受けてダイビングヘッドバッドやツームストンパイルドライバーをやったりとかね。
――どのレスラーからもダイナマイト・キッドの魂が見えるという。
リッキー 先日『ジャストタップアウト』という興行で沖縄に行ってきたんですけど、そのときにキッドの従兄弟デイビーボーイ・スミスの息子ハーリーと会ったんですよ。彼とはカルガリーのスチュー・ハートのダンジェンで一緒だったので、その頃から知っているんですけど。
――ダンジェンとはハート一家の地下道場ですね。
リッキー そのときハーリーが言っていたんですよ。「イギリスでダイナマイト・キッドと会った。身体の調子が悪そうだったけど、なんとか元気だったよ」って。でも、その矢先のことだったんでね……。いやあ、本当にショックでしたね。ダイナマイト・キッドは伝説のプロレスラーでしたから。
――あらためてご冥福をお祈りいたします。それでリッキーさんがFMWに参戦するのはどういう経緯だったんですか?
リッキー あれはFMWの初期も初期でしたね。FMWが旗揚げしたのが89年で、ボクが帰ってきたのが90年だったんですが、お世話になった方に「今度こういう団体ができたから、俺が紹介してやるよ」と言われたんですよ。当時FMWには栗栖正伸さんがいらっしゃったんで「栗栖さんを紹介するから」と。ボクも新日本の新弟子の頃に栗栖さんとは接点があったので、そのままFMWに参戦することになったんです。
リッキー それこそ日本から雑誌が送られてきて、FMWが有刺鉄線デスマッチマッチをやっているのを見て、それを参考にカナダでもやらせてもらっていましたから。クリス・ベノワとジョニー・スミスに頭を下げて頼んで有刺鉄線デスマッチをやってもらって(笑)。日本に帰ってくる前からFMWの影響は多大に受けていましたね。
――FMWには最初からすんなりと溶け込めました?
リッキー そうですね。当時のFMWにはあんまり選手がいなかったんですよ。大仁田さん、ターザン後藤さん、サンボ浅子さん、それとボクですよね。あとはデビューしたての若手だけだったので。そういえば、ボクが日本に帰ってきた同時期に、ウルトラマンロビンの中の人……尾内淳なんですけど、彼も同じシリーズに参戦したんですね。
――ウルトラマンロビンさんはイギリスから日本へと戻ってきたんですね。
リッキー あとから聞いたんですけど、FMWの中では俺とロビンの2人が話題になっていたらしいんですよ。「次のシリーズでカナダから日本人が1人、イギリスから日本人が1人来るぞ」と。当時はインターネットもないわけで、どんなレスラーなのかはわからない。「イギリスから来るヤツのほうが凄いらしいぞ!」って噂になっていたらしいですね(笑)。
――なるほど~。
リッキー でも、彼はシリーズの途中でいなくなっちゃったんですよね。本人のコメントによりますと、やめた理由としては「イギリスに欲しいベルトがある」と。
――どうしても戻らきゃいけないと。リッキーさんが参戦した当時のFMWは大仁田さんが邪道としてブレイクする前でしたよね。
リッキー 主要メンバーのほかには、バトレンジャー、女子の1期生と言われるシャーク土屋、クラッシャー前泊、里美和とかだけでしたから。ボクが参戦する前に後楽園にご挨拶に行ったときに、ちょうど工藤めぐみたちが乱入してきたんですよ。のちにアウトブレイカーズという名前でFMWに参戦しますけど、当時は状況がわからないから「なんだコイツら?」みたいな感じで見てましたね。
――当時はそうやってFMWがいろいろと広がりを見せていくような時期でしたもんね。
リッキー ボクもボクで変な意地じゃないですけど、ほかのヤツらにナメられちゃいけないという思いもあったんで、巡業の移動バスの中ではずっとウォークマンを聞いてました。ある程度コミュニケーションは取ってましたけど、いまでこそ競技になってるがらエアギターをやりながら(笑)。
――リッキーさんはエアギアー選手権にも出てましたね(笑)。
リッキー あとから聞いたら、当時の女子の1期生たちはボクのことを怖がっていて「……この人、大丈夫かな?」という目で見ていたらしいですね(笑)。
――リッキーさんとしては、FMWにはそんなに長くいるつもりはなかったんですか?
リッキー なんというか、当時ボクは外国人レスラーみたいな扱いだったんですよ。つまり1シリーズを終えて、もし需要があるなら残るけど……という感じで。だから、ボクもシリーズが終わったらカナダでやり残したダイナマイト・キッドとのチェーンデスマッチをやるために正直、帰ろうと思っていたんです。でも、大仁田さんから直々にお電話がありまして。いまだに覚えてますけど「次のシリーズの後楽園大会で後藤さんと担架デスマッチをやってくれないか」ってね。
――担架デスマッチ!
リッキー 要するに、担架で運ばれるぐらいのダメージを負わせるデスマッチだということだったんですけど、もともとは後藤さんと栗栖さんの担架デスマッチだったんですよ。大仁田さんに「それは栗栖さんがやるんじゃないですか?」と聞いたら、「栗栖はダブルクロスして新日本に行っちゃった」って。
――ああ、栗栖さんは新日本に移籍しちゃいましたね。
リッキー だからまあ一つ大きなデスマッチをやって帰るのもいいかな……みたいな軽い気持ちで受けたんですけど、後藤さんには完膚なきまでに叩きのめされましたね(笑)。
――やっぱり後藤さんはキツかったですか?
リッキー キツかったですねぇ……。後藤さんも後藤さんで、カナダのどこの馬の骨かもわからないヤツにいい顔させられない……という理由もあっただろうし。後藤さんは当時大仁田さんに次ぐナンバー2でしたから。だからFMWを守ろうという意識もあったんでしょうね。その時点では、ボクは“外敵”なわけですから。
――当時は、団体やレスラーの格がいまよりも強く意識されていた時代でしたね。
リッキー あと当時のFMWというのは、茶化し半分のお客さんが多かったんですよ。そういうムードがあったから、後藤さんも「ナメられちゃいけない!」という思いが強くあったのかもしれないです。ボクなんか30年近く前から、いまとほとんど変わらないスタイルでプロレスをやってましたんで。お客さんからは「なんだ、あの長髪野郎は!」「アメリカかぶれしやがって」みたいな扱いでしたよ。
――よく考えるとリッキーさんはそのスタイルでよくやってましたよね(笑)。当時はUWFのブームもあったので、アメリカンプロレスに対する評価が凄く低い時期でしたし。
リッキー そうなんですよねー。髪はまだ黒かったですけど、後ろ髪は腰まであるぐらいのロン毛にピアスでしたから。当時は珍しかったと思いますよ(笑)。
――いまは長髪のレスラーがたくさんいましたけど、当時はプロレスに厳格さを求められてましたよね。それは後藤さんも「コイツはやっとかなきゃ!」ってなりますよね(笑)。
リッキー 一番嫌いなタイプなんじゃないですか?(笑)。「チャラチャラしやがって」って。だからお客の野次もヒドかったですしね。
――茶化し半分のお客さんに対して、怒った大仁田さんがマイクを投げつけた事件もありましたよね。後楽園ホールのバルコニーに向かって。
リッキー そうそう。バルコニーから好き勝手言っているヤツらに、大仁田さんがキレてマイクを投げつけたという。でも、あそこからですよ、FMWがバーンと盛り上がるようになったのは。プロレスって何がきっかけになるかわからないですよね。
――それまでのFMWは厳しい感じだったんですか?
リッキー まあ、あそこから走り出す前は、地方に行っても田舎のおじいちゃん、おばあちゃんがワケけもわからず見ているような客入りでしたからね。ボクは基本的に楽観的なんで、いざとなったらカナダに帰ればいいかなって思ってましたけど。ただ体感として、地方や後楽園に関わらず、FMWに上がるたびに熱を感じるようになっていったんですよ。後楽園でも、茶化し半分のお客がいなくなりましたし、逆に大仁田さんに対してリスペクト感、カリスマ性が出てきましたよね。途中からは「FMWは凄い団体になりそうだな」って。<14000字インタビューはまだまだ続く……>
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次回が、楽しみですね!