Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは米没後30周年! 改めてしのぶブルーザー・ブロディ最期の1日です!
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筆者のフェイバリット外人プロレスラー、ブルーザー・ブロディが亡くなって今年で30年が経(た)つ。30年などという時間が、こんなにあっさりと経過してしまうとは、驚きを通り越して唖然(あぜん)とする思いである。
ブロディのことをよく知らないファンにとっては、真壁刀義のギミックの多くが、ブロディ流を取り入れているという説明が最も分かりやすいかもしれない。入場テーマ曲の「移民の歌」、小道具のチェーン、得意技のニードロップ。これらの原型はブロディにあるのだ。ブロディは、殴る蹴るを主体とするブローラースタイルのプロレスラーのプロトタイプとなっており、一時期はブロディの歩き方、吠(ほ)え方、髪型、シューズ、入場時の観客席での暴れ方などをコピーした大型外人レスラーが山ほどいたものである。
ブロディはまた、インディペンデント・プロレスラーの草分け的存在でもあった。日本とプエルトリコで外人エースを務めながら、アメリカではWWFやNWAといった大手プロモーションに背を向け、各地のインディマットのトップを張り続けた。プロモーターにとってはけして仕事のしやすい選手ではなかった。あくまでも自分の条件にこだわり、また家族との時間がとれなくなるようなハードスケジュールは受け入れなかった。安易なジョブは絶対にしなかったし、試合中にフィニッシュを勝手に変更してしまうことでもおなじみだった。自分の値打ちを知り、無慈悲なまでにビジネスに徹し、いくらわがままだと思われようと、バックステージでいくら煙たがられようと、客席を満員にすることで周囲を黙らせた。野蛮な容貌、粗っぽい試合の中にも、プロとしての矜恃(きょうじ)が孤高に香り立つような選手、まさに”インテリジェント・モンスター”だったのだ。
ブロディは1983年からプエルトリコマットに登場している。ヒールでスタートしたブロディだったが、1年後にはベビーフェイスに転じた。アブドーラ・ザ・ブッチャーらにいたぶられていたジ・インベーダー1号ことホセ・ゴンザレスを救出したことで、ベビーターンを果たしたのだ。ブロディとゴンザレスはその後タッグパートナーにもなっている。
ブロディ刺殺事件が発生したのは1988年7月16日(土)(現地時間)のことだった。出来事の説明や解釈にはさまざまなバージョンがあるが、ここではブロディが没した直後のレスリングオブザーバー1988年8月1日号で、デイブ・メルツァー記者が収集した情報をベースに、謎に包まれたこの事件を改めて追ってみたい。
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コメント
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(ID:2884205)
なんとも奇妙な事件ですね❗