「学プロ出身」が貶められたのは過去の話。現在は新日本の棚橋・真壁をはじめカミングアウトした選手も珍しくなく、また2月末には関東関西九州のプロレス研究会が初めて集った「学プロサミット2013」が後楽園ホールで開催されるなど、学プロの文字を見る機会も増えた……といってもまだまだプヲタのあいだだけの話ではあるけれど。
そして学プロ出身者としてレスラー以外にも芸能人やメディアなどで活躍している人も目につくようになってきた。その中でも結成25年を越えるベテランであり、独自世界のコントで知られるリットン調査団は桃山学院大学プロレス研究会のオリジナルメンバー。そして同じく関西のプロレス研究会出身の現役選手といえば、大阪学院大学出身・DDTプロレスリングの男色ディーノ選手。今回はリットン藤原さんとの一騎撃ち対談、知る人ぞ知る変態対談になるか……と思いきや、藤原さんの「馬場原理主義」に男色殺法はどう対峙したのかッ!
藤原 ホントにいまのプロレス知らないんで、失礼なこと言うかもしれないですけど……。
男色 ワタシもプロレスに対して失礼なこといろいろやってるんで大丈夫よ(笑)。こちらこそ噂は前々から聞いてるので光栄だわ! 藤原さんは桃山学院大学のプロレス研究会が創設されたころのメンバーと聞いてたんですけど、だいたい30年くらい前かしら?
藤原 そうですねえ。研究会自体は(リットン調査団の)相方の水野(透)さんが作ったんですよ。最初の出会いは「プロレス研究会募集」ってポスターが校内に貼ってあって。ボブ・バックランドが描かれたやつ。それをジーッと見てたら、水野さんが後ろから肩叩いてきて「ちょっとチミチミ、プロレス好きなのン?」って。
男色 いきなり凄い声のかけ方ね(笑)。
藤原 あとでわかったのがお互い赤塚不二夫好きだったんだけどね。それで僕も「は~い、好きなのヨ~ン」って。
男色 それは運命の出会いよねえ! でもそれって他校にもプロレス研究会がなかった頃なのかしら?
藤原 一回、関西のいくつかの大学のプロレス研究会が集まる番組があったんやけど、いくつくらいやったかなあ……。
男色 ワタシのときは関西大学と立命館、同志社があって、あと京産大があったかしら? 逆にいえばそれくらいだったのよね。
藤原 僕のころはあんまり大学間の交流ってのはなかったんです。でも大阪学院大とは対抗戦してましたよ! 自宅に何ヵ月か2本のベルトがありましたから。
男色 ソレ、噂には聞いてたわ! 藤原さん統一王者だったのよね。
藤原 ただそれだと2本のベルトが行ったり来たりするだけだから元に戻さないかん、ていうんで「こっちは反則勝ちで王座移動するけど、こっちは移動しない」とかルールを決めた覚えがありますね(笑)。
─でも不思議なのが、そういう黎明期のころからなんで「実際にプロレスやろう」って思ったんですか?ただ皆でプロレス話するわけでなく。
藤原 どっから出たんやろな……。学園祭の実行委員会に頼まれたんじゃないかなあ。
男色 そういうのあるわよね! 小さい学校だとちょっと目立つことやってたら、すぐそういうの頼まれたりするのよ。でも、わたしたちの頃は試合するってのがあたりまえだったけど、当時はどんな感じだったの?
藤原 見本も教科書もなかったから、もう探り探りですよね。当時まだ出たばかりのビデオデッキで録ったTVの試合を何回も見て「この技ってこうやんのかなあ」とか。でも不思議なのが「ヘッドロックは左でやるもんやぞ」とか知ってたんだよね。
─ルチャと女子は右、とか『週プロ』には絶対載らない情報ですよね(笑)。どこで知ったんでしょう? ネットもない時代に。
男色 必死で見てるうちに共通点を探してたのかしら?
藤原 でも馬場さんは「ピート・ロバーツは左右両方できるんですよぉ(モノマネ入り)」って言ってたしなあ。でも確かに左から入るとスムーズなんですよね。そこは「よくできてる!」って。
男色 意外と合理的なのよ(笑)。理由はちゃんとあって、緻密にできてるのよね。
藤原 そういえば僕、関西学生プロレス界ではじめてドラゴンスープレックスを使ったんですよ。
─「藤波がMSGでドラゴンスープレックス初公開」みたいなエピソードですね(笑)。
藤原 それも相手が新日派で僕が全日派だったんで、実況やってた水野さんの「おーっと、掟破りの逆サソリならぬ掟破りの逆ドラゴンスープレックスだ!」という名調子も重なってね(笑)。
男色 スケール大きいわね(笑)。水野さんは実況担当が多かったのかしら?
藤原 そうですね。僕は派手で魅せる技を使いたいので、滞空時間の長いブレーンバスターを使ってたんですけど「おっと滞空時間の長いブレーンバスターだ!南海の自動改札も一枚のきっぷで2人通れる~!」とか言うてましたね。
男色 その頃はリングとかどんな感じでした?
藤原 たしかね、ビールケースを並べてその上に畳とマット、あとブルーシート敷いてやってたかな。
男色 それでずっと興味あったんですけど、どうしてプロレス研究会から芸人になろうと思ったのかしら?
藤原 ん~、子どもの頃からなりたいものがプロレスラーかお笑いかどっちかだったんですよ。でも当時プロレスラーにはなれるわけないと当時は思ってたんですよね。いま18歳くらいだったらなってましたね。いまならなれるじゃないですか? これ失礼ですけど。
男色 まあそうよね、正直な話。
藤原 当時は素人は絶対リングに上がれない、スクワット何百回できる人間しか上がれない、って線引きがあったじゃないですか。(ハッスルで)和泉元彌が勝ったときとかホント腹立ちましたね! だから最近の長州が出てるCM(『キリンのどごし生』)も見てて哀しくなりますよ! 普通に素人と試合してるじゃないですか。昔なら絶対やってないですよ。やっぱりプロレスは昔と変わってしまったのか……。
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