大好評安田忠夫ロングインタビュー第3弾! 人生逆転を懸けた「猪木祭り」バンナ戦から、短期政権に終わったIWGP王座奪取のウラ側、睡眠薬の依存まで……今回も言いたい放題の12000字でお送りします!(聞き手/ジャン斉藤)
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安田 最近太り過ぎちゃってさ。こないだドクター林先生に診てもらったら「缶コーヒーをやめろ」って言われて。1日に3リットルぐらい飲むから。
――毎日そんなに飲んでるのにやめれるもんですか?
安田 量を減らせばね、すぐに痩せる。前も缶コーヒーをやめたらすぐに痩せれたし。何気にね、博打以外はやめれるんだよ(笑)。
――ハハハハハハハ!
安田 博打と借金以外はやめられる。俺に金を貸すってことは「あげる」ってことだから、そのへんをわきまえて貸してね。ガハハハハハ!
――心に深く刻んでおきますです(笑)。
安田 林先生のおかげでいろいろと助かってますよ。寿命は伸びてるかなあ。途中で切れていれば、こんなに苦労することなかったんだけど……って思うときもあるけど(苦笑)。
――それで今日は人生の絶頂期でもあった2001年大晦日の話なんかを中心にうかがいたんですが、安田さんが新日本プロレスをやめてPRIDEに出たとき……。
安田 (さえぎって)いや、やめてないんだって。ずっと新日本にいたんだよ。PRIDEに出たときも新日本所属。
――すると新日本から給料は出ていたんですね。
安田 出てた出てた。
――そもそもPRIDEにはどういう経緯で出ることになったんですか?
安田 結局、新日本で鳴かず飛ばずだったじゃないですか。グダグダしていたら藤田(和之)くんがPRIDEに出て勝って。「他に駒はいないか」ってことで猪木さんが俺にやらせようって話になったんでしょ。
――格闘技のほうが活きるんじゃないかってことですね。
安田 そういうところは猪木さんも見る目はあったんじゃないの。あの頃猪木さんが声をかけたのは藤田くん、石澤くん、俺とかでしょ。
――そのへんは猪木さんはセンスがありますよね。
安田 「猪木さんに声をかけられただけでも幸せだよ」なんて言われたけど。あの頃はまだ橋本(真也)さんの家に集まっていて、藤田くんも来ていたからPRIDEの話になったんだよ。「本当にいいのをもらったら倒れますけど、痛いうちは返せますから。負けると思ったらオッパイを噛んで帰ってくればいいじゃないですか?」なんて話になってね。
――タイソン耳噛みオマージュですね(笑)。
安田 そうそう(笑)。「じゃあやってみようか」ってことでアメリカで練習することになったんですよ。新日本をやめてはないんだよね。
――PRIDEからもファイトマネーをもらったんですよね?
安田 もらってた。俺はいくらもらってたたのかな。手にした額は100万とかかな。PRIDEはもっと出してたみたいけど、俺にの懐に入る前に猪木さんのところに抜かれてるってことだよね、あとから聞くにはさ。
――要するに猪木事務所のマネジメント料なんですかね。
安田 そこらへんはどうなってたかわからない。◯◯さんに聞いたほうが早いんじゃない。
――◯◯さんは表に出ていないですし、猪木事務所の代表だった倍賞鉄夫さんも亡くなってますし……。藤田さんがPRIDEで活躍すると、猪木事務所のスタッフの方の車のグレードが上がるという都市伝説は聞いてますけど(笑)。
安田 ガハハハハハ! そうそう、本当に酷い話だよね。俺もその一部よ。車のタイヤぐらいは貢献してるんじゃない?
――アメリカではマルコ・ファスの道場で練習してたんですか?
安田 いや、最初は違うよ。新日本が提携していたLAボクシングジム。キッタねえジムだったよ。そこの兄弟が教えてくれた。
――ああ、マッコーリー兄弟ですね。
安田 それよ。アイツら練習だったのに俺のことを平気で待たせたんだから。バンナに勝ったあとは態度がコロって変わってさ。2回目に行ったときは空港まで迎えに来てくれたんだから。
――安田さんは新日本所属でしたが、PRIDE挑戦に関して新日本プロレスはあまり協力的じゃなかったんですよね。
安田 そうなんだよ。日本で練習するところは新日本の道場しかないでしょ。吉江(豊)はずっと協力してくれたけどね、アイツは柔道をやっていたから。KENSOに「ちょっと付き合ってくれない?」って頼んでも「用事があるんで……」ってどっか行っちゃう。
――冷たいですね(笑)。
安田 たしかに他の連中からすれば「プロレスの試合にも出ずに何をやってるんだ?」って、やっかみもあったんじゃないの。新日本から給料が出ていたことは一部の人間は知っていたことだしね。
――長州さんはまだ新日本の現場監督でしたよね?
安田 いたけど関係なかったよね。あの人は総合格闘技が嫌いだったけども、猪木さんのやり方には文句は言えないじゃない。
――ちょっと話は戻りますが、ロサンゼルスではどんな練習したんですか?
安田 ボクシングだよ。最初は変なデブにさ、面白いようにやられてね。「チェリー」なんて呼ばれてバカにされて。俺、英語はわからなかったけど、バカにされてるのはわかっていたから。
――ロサンゼルスは1人で行ったんですよね?
安田 1人だよ。まあ金があったから大変じゃなかったけどね。「金がないから帰る!」と言えば、新日本から送ってきたから。
――脅しですね!(笑)。
安田 でも、そのときは博打はやってないよ。マジメに練習してたよ。
――PRIDEデビュー戦は佐竹雅昭戦で。
安田 試合の3日前にブライアン・ジョンソンが来てくれたんだけど、「LAボクシングのことは忘れて俺の言うことを聞け」と。ブライアンの作戦は相手を捕まえて押し込んで倒す。倒したら極める。
――倒して極めることはできませんけど、コーナーに押し込み続けた末の判定勝ちでしたね。
安田 それだけで勝っちゃったんだけど、何もできなかったよね。やろうとしていたことがほとんどできなかった。相手も弱かったんだけどね。佐竹は練習ではメチャクチャ強いって聞いたんだけど。
――佐竹さんは「日本最強なんじゃないか」って評判になるくらい練習では強かったみたいですね。
安田 らしいね。あとで聞いてビックリしたよ。そんなこと、やる前は知らないからさ。俺は基本的に試合前には何も見ない。いや、佐竹の前は何回か見たかなあ。そういうの試合前に見ると身構えちゃうじゃない? それがストレスになって睡眠薬を飲むようになっちゃって、あとで大変なことになるんだよ。
――総合格闘技がきっかけで睡眠薬に依存しちゃったという。
安田 相撲の場合は今日負けても明日があるでしょ。15日間のトータルだけど、PRIDEはその日だけで勝負が決まっちゃう。そういう経験がないからさ。
――相撲は積み上げてきたものもありますし。
安田 そうそう。PRIDEは初めてやることだからね。試合そのものに緊張はないけども、それまでがね……。泣きを入れる場所もなかったし。好きな女がいれば、他人には見せられない部分をさらけ出すというか、泣きつけるんだろうけど。だからあの頃は『週刊ゴング』の金沢くんにお世話になったよね。ハルシオンを飲んでラリって電話してたみたい。
――GKが「好きな女」代わりですか(笑)。「電話してたみたい」ってことは、安田さんはおぼえてないんですね。
安田 翌朝携帯を見ると、アチコチに電話しててビックリする。娘のところにも電話をしてるから「変なこと言ってなかった?」ってまた電話してね。金沢くんとかは俺がそういう状態だったことは知ってるから、相手してくれたんだけど。俺も追い詰められていたんだよぉ。
――そんな思いをしてまで総合格闘技になぜ出たんですか?
安田 だって命令だもん。命令というか、猪木さんに「行けるか、おい?」と聞かれたら「いや、無理です」って言える? 「行けるか、おい?」って「行け!」ってことだから(笑)。
――そこは問答無用なんですねぇ。
安田 「ギャラはいくらですか?」とかも聞けないでしょ。そんなこと言ったことないよ、俺は。バンナに勝つまではね(笑)。
――言ったは言ったんですね(笑)。
安田 2回目の試合(レネ・ローゼ戦)も、本当は試合の予定なんかなくて、アメリカに練習に行くはずだったんだよ。成田空港に向かってる途中に「試合があるから飛行機キャンセルした」ってことで。
――まさに「いつ何時、誰とでも戦う!」世界(笑)。
安田 「ギャラをいっぱいやるから」って話だったけど、まあ大した額じゃないんだよ。2〜300万くらいだったかな。
――安田さんとしてはあまりにも急なオファーはイヤでした?
安田 ちゃんと練習はしたかったけど、新日本の給料とは別にギャラがもらえるからラッキーみたいな(笑)。
――ハードなボーナス感覚なんですかね。いつ試合をするかわからない状態が続くって精神的にキツくないですか?
安田 そこはあまり関係なかったかなあ。レネ・ローゼ戦は「3日後に試合だから」って感じだし。
――それはそれでイヤですよ!(笑)。その年の大晦日のバンナ戦も試合1週間前にようやく相手が決まったんですよね。
安田 俺はてっきりまたレネ・ローゼだと思ったんだよ。レネ・ローゼを想定してマルコ・ファスのところで練習してたから。
――バンナを仕留めたギロチンはそのときマルコに教わったんですよね?
安田 あの技でマルコにやられてたんだよね。「その技いいね。これだけ教えてくれ」ってことで。マルコはいろんなことをいっぱい教えてくれるんだけど、俺はそんなにできないから。袈裟固め、肩固め、ギロチンだけでいいんじゃないかって。結局、勝った要因は相撲じゃない。捕まえて外掛けで倒してね。
――マジメに練習されてたんですね。
安田 俺は「練習しない」と言われてるけども、ちゃんと練習はしてるから! ガチンコや一発勝負なんてのは、練習しなかったら勝てるわけないし。
――そこは相撲でわかってるわけですね。
安田 相撲で同期だった八角理事長が凄い鏡だったんだよ。あの人は身体が小さいけど、マジメにやっていたからあそこまでいったんだよ。だから練習がいかに大事かは知ってるんだけど、それをストレートに言っちゃうと面白くない。ナマクラキャラで売っていたら「練習は才能ないヤツがするもんだ!」って言うしかないでしょ。そうしたら山本小鉄くんに本気で怒られて(笑)。
――ハハハハハハ! 小鉄さんは“練習の鬼”ですもんね。
安田 冗談で「いやあ、ボクはナマクラですから」なんて口にしたら本気で怒られてね。あの人は身体が大きい人間が大嫌いだから。
――小さい身体を鍛えあげてプロレスラーになった人ですね。
安田 星野(勘太郎)さんは俺のことをかわいがってくれたんだよね。星野さんが「いいんだよ、コイツは好きなようにやらせれば」って言ってくれてね。山本小鉄さんは星野さんは大先輩で逆らえないから「はい!!」としか言えない。
――安田さんもやるときは必死に練習してたんですね。
安田 よくあの歳でアメリカまで行って練習したよね〜。だって1日2回だよ。しかもチャリンコで1時間かけてホテルからジムまで通ってね。
――ナマクラとは思えない!(笑)。
――そう思ちゃいます?
安田 そりゃ思うよ。後悔したくはないけど、後悔するのであればね。プロレスに入ったときはノラリクラリやってたら、マサ(斎藤)さんが言うわけよ。「安田、38から40歳までが一番力が出るからな」って。そのときは「出るわけないでしょ、その歳で」って思ってたんだけど、マサさんが言うように力が一番出たよね。
――その成果が出たのがバンナ戦だったんですね。
安田 猪木さんから「バンナでいいか」って聞かれて「ああ、いいですよ」って。K−1の選手ってこと以外よくわかんなかったんだけどね。そのあと藤田くんに電話して「バナナみたいな名前のやつとやるんだよ」って伝えたら「安田さん、おいしいですよ。頑張ってください」ってね。
――本当は藤田さんがバンナと戦うという話だったんですよね。
安田 でも、タイでケガしちゃってね。俺は相手が誰でもよかったんだけど、まいったのは猪木さんから「『男はつらいよ』の寅さんの格好で入場しろ」って言われたこと。「それだけは勘弁してください」って。こっちもオチャラケでやってるわけじゃないからさ。「その格好で出るんだったら出ません」と断ったから。
――あのとき『男はつらいよ』で源公を演じた佐藤蛾次郎さんが来場していたのは、本当は安田さんと一緒に入場する予定だったからですよね。
安田 調印式のときはその格好に渋々出たんだけどね。スーツを着ていたのに裏で「寅さんの格好に着替えてくれ」って言われてさ。あの会見のときにイスに座ってたバンナが貧乏ゆすりしてるのを見て「コイツも緊張してるんだ」と思ったらリラックスできたんだよね。
――バンナは総合格闘技デビュー戦でしたね。
安田 その姿を見たら安心しちゃってさ、そのまま大井競馬場に遊びに行ったんだよ。
――ハハハハハハハハ! さすがだなあ(笑)。
・いまだから言えるノルキヤ戦試合放棄の真相
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