明日7月28日は「プロレスの神様」カール・ゴッチの命日です――というわけで、晩年のゴッチさんとワインや葉巻を嗜んでいた西村修にありし日の神様の思い出をたっぷりと語っていただきました。やっぱりゴッチさんは凄い!
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――7月28日はカール・ゴッチさんの命日ということで、晩年の“プロレスの神様”と親交が深かった西村さんにお話をうかがいにきました。
――西村さんがゴッチさんの住むフロリダを訪れたのは90年代前半になりますが、ゴッチさんとの付き合いが始まるのはだいぶあとのことなんですよね。
西村 じつはそうなんですよ。それは“派閥”の問題があったんです。私が93年にフロリダに行ったときはヒロ・マツダさんの道場でレスリングを学び、ブライアン・ブレアーのボディビルジムで身体作りに励んでこいというのが会社(新日本プロレス)の命令だったんです。当時のフロリダは、そのマツダさんとマレンコ道場の2つの派閥に分かれていて。
――マレンコ道場とは、全日本プロレスにも来日していたジョーとディーンの親父ラリー・マレンコが開いたレスラー養成機関ですね。
西村 当時のゴッチさんのところに誰か生徒がいたかは定かではないんですけどね。
――ゴッチさんは正式なレスリングスクールをやっていたわけじゃない。西村さんはマツダ派閥の人間だったからマレンコ道場には近寄りづらかったんですね。
西村 もともとマツダさんはゴッチさんの弟子でもあるんですけどね。マツダさんの得意技ジャーマン・スープレックスはゴッチさんに教わったわけですから。
西村 でも、ディーンとゴッチさんの仲は良くなかった。兄貴のジョー・マレンコとゴッチさんの仲は良いですよ。そこは完全な師弟関係でしたけど。
――ジョーは薬剤師として晩年のゴッチさんに薬を渡しに来ていたりしてたんですよね。
西村 あと投資家として不動産を扱っていたり、いまは郡の警察官をやってます。シェリフっていうんですね。
――やり手なんですね(笑)。ディーンは小さい頃からゴッチさんと接してはずなのにどうしてそんな仲に?
西村 まあ性格が合わなかったんでしょうね。ゴッチさんは頑固一徹な性格の方ですからね。曲がったことは絶対に許さない。ディーンとのあいだに何があったのかはわからないですけど、ゴッチさんから彼のいい話は一度も聞いたことないんです。
――兄弟でもそんなに仲が違うんですね。
西村 昔はマレンコ一家とゴッチさんはひとつの家に住んでいたんですよ。1階はゴッチさん、2階はマレンコ一家。朝起きるとゴッチさんとまだ幼いジョーが庭でスクワットや腕立て伏せを1時間くらいやって、それからジョーは学校に通ったそうですから。
――幼少の頃から深い付き合いだったんですね。
西村 話を戻すと、そんな派閥があったことでゴッチさんとは会う機会はなかったんですが、ラリー・マレンコのお葬式が94年にあったんです。そこで初めてゴッチさんと会話をしたんですけど、私が自己紹介したって「誰だ、おまえは?」みたいな怪訝な顔をするんですよ(苦笑)。
――ゴッチさんはなかなか他人を受け入れないんですよね(笑)。
西村 本当に親密になったのはマツダさんが亡くなられて、2000年8月に木戸(修)さんがゴッチさんを表敬訪問するというテレビ企画があったんですけど。私が現地のコーディネイトをしまして、それがきっかけです。「タンパに住んでるなら家に来なさい。いろいろと教えてあげるから」と。それから月に一度はフロリダに帰るそのたびにお会いすることになりまして。1週間に1回は電話で連絡を取るようになって。
――初対面から5年近く経ってのことなんですね。
西村 ちなみにそのとき木戸さんの奥さんもゴッチさんの家を訪れてるんですけど、「西村さん、ウチの主人がなぜ細かい性格なのかようやくわかりました。整理整頓はゴッチさんの影響なのね!」って感激してましたね(笑)。
――それほどの整理整頓ぶりなんですね(笑)。そんな性格のゴッチさんとのお付き合いは大変だったんじゃないですか?
西村 私はいまでこそ若手レスラーの面倒を見たりしてますけど、プロレス界に入ってからは先輩との付き合いが多くて。ヒロ・マツダさん、藤波辰爾さん、マサ斎藤さん、タイガー服部さん……常に先輩ばっかり。先輩への気の使い方という部分では慣れてるというか。
――だからゴッチさんとの付き合い方もわかってたんですね。
西村 それとドイツ人の感性を理解していましたから。ゴッチさん自身はベルギーのアントワープ生まれなんですけど、育ったのは南ドイツのバーバリアン地方なんです。
――ドイツ人とアメリカ人ではそんなに性格は違うもんですか?
西村 いやあ、もうまったく違いますね。ドイツ人は勤勉真面目で頑固。私、ドイツ人の女性と付き合ったことがあるからわかるんですよね(笑)。
――だからゴッチさんの流儀が理解できる(笑)。
西村 97年にオットー・ワンツのところをツアーしていた頃にドイツ人女性と付き合っていて。彼女と付き合うということは、その両親、地域の仲間とも触れ合うということですから。その経験があるのでゴッチさんの考えてることは理解できたんですよ。ゴッチさんは典型的な頑固なドイツ人です。日本にだっているじゃないですか、とんでもない頑固ジジイって。
――偏屈な下町のオジサンですかね(笑)。
西村 現在の文化にいっさい適合しない生き方。それはゴッチさんの生き方なんですよね。勝ち気な根性はすさまじいものがあって、80歳を超えても絶対に負けないぞという姿勢ですから。
――常に張り合ってくるというか。
西村 自分に負けない、他人にも負けない。自分に厳しいけど、他人にも厳しい。ゴッチさんはずっと何かと戦ってるんです。ご飯を食べても酒を飲んでも、私より食べたり飲もうとするんです。80いくつなのにですよ?
――とんでもない80歳ですね(笑)。
西村 500グラムのステーキ、2人前のサラダ、大盛りのデザートをペロリと食べるんですよ。ワインを2本も開けてね。
――聞いてるだけでお腹いっぱいです!
西村 もの凄く元気。パワーも凄かったですね。手押しの差しってあるんですけど、82歳のゴッチさんに勝てなかったですもんね。
――それはトレーニングを怠っていなかったんですね。
西村 亡くなる直前まで腕立て伏せ毎日200回やってましたから。
――凄い(笑)。
西村 昔は何千回の世界ですけどね。ゴッチさんがよく言っていたのは、それは自分自身に言い聞かせていたんでしょうけど「若い頃からやるべきである。年寄りになってもやらなきゃいけないんだ」ってことです。
――晩年のゴッチさんは、多くのレスラーやプロレスファンが訪れたガレージや庭つきの家から、小さなアパートに引っ越したそうですけど、練習はちゃんとしてたんですね。
西村 リビングが8畳くらいのアパートです。大きな机があっていつもそこで本を読むんですよね。小さなベットルームと小さなキッチンもあって。
――西村さんはそこのアパートでゴッチさんとスパーをやられてたそうですね。
西村 スパーリングと言っても一方的な技かけですよ。「こうやるんだ!」と何かしら教えてくれて。あとはブリッジや腕立て伏せのやり方。引っ越した先のアパートに登り綱やコシティはなかったですけど、プッシュアップバーやブリッジ用のゴムマットはありました。首の運動、スクワットは毎日やってたんでしょうね。
――試合をするわけでもないのに。もう習慣だったんでしょうね。
西村 ゴッチさんがアパートに引っ越した理由は奥さんなんですよ。ゴッチさんが70いくつのときに奥さんが亡くなってしまって。その家にはあまりにも奥さんとの思い出が詰まり過ぎてるし、庭の掃除から何から自分ひとりでは面倒が見きれない。それで家を売却することになるんですけど、購入予定の見学者に全部やらせたらしいですよ。
――何をですか?
西村 ロープ登りからスクワットから(笑)
――ハハハハハハハハハハ! 不動産購入と無関係ですよ!(笑)。
西村 ブリッジもやらせて、最後はゴッチさんとスパーリングまでやったそうですよ(笑)。
――家を譲る条件がゴッチ式トレーニング!(笑)。
西村 かなりの大金持ちがゴッチさんの家を購入したんですけど、「家を買うときに全部やらされた」って言ってましたね。いまでも家の外見は変わりないんですが、家の中はリノベーションしちゃって豪華な内装になってるんですけど。
――そのお金持ちはゴッチさんのことをご存知だったんですか?
西村 それが知らなかったそうなんですよ。でも、次から次に日本からゴッチさんの家の見学者が来るもんだから、あとからカール・ゴッチというプロレスラーを勉強したそうです(笑)。
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