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私の国 インドネシアを 舞台にした映画 『アクト・オブ・キリング』
特別ゲストとして招かれ 試写会へ 行ってまいりました。
私は インドネシアの 民族衣装〝カイン・カバヤ〟を着て のぞみました。
ジョシュア・オッペンハイマー監督から お花のプレゼントを戴きました。
1950年代、 60年代の世界は、 アメリカとロシアという
二大パワーで 牛耳られて おりました。
スカルノ大統領は 世界の中立国と 社会主義国 アジア、 アフリカ、
ラテン・アメリカ、 アラビア諸国をまとめ 第三勢力を 創りあげ
パワーのバランスを 取ろうとしました。 そして、 スカルノ大統領は
「アジアのライオン」と 呼ばれ、 リーダー核となっていきました。
それを 面白く思っていなかったのが ホワイト・ハウスでした。
加えて、 太平洋諸国で アメリカに基地を 拒否したのは
インドネシアの スカルノだけでした。 ペンタゴンは スカルノを
憎んでおりました。 当時、 中国は国連に 加盟しておらず
スカルノの 働きで加盟。 スカルノは 中国の 毛沢 東主席、
北朝鮮の 金 日成主席、 ユーゴスラビアの チトー大統領、
エジプトの ナセル大統領、 インドの ネルー首相らと
親しくしていました。
1965年以前の インドネシアは 容共的な(アメリカから見て)
スカルノ大統領のもとで インドネシア共産党は 350万人もの党員と、
傘下に多くの 大衆団体を抱える 有力な政治勢力の ひとつでありました。
しかし、 かねてから それを快く思っていなかった 陸軍は、
その力を削ぐ機会を 狙っていました。
スカルノ大統領の 親衛隊の一部が、 アメリカらと通じて 大統領の 暗殺を
目論んでいた アメリカで 訓練を受けた 軍部のトップの 6人の要人を
殺害して しまうという 〝事件〟が起きました。
当時 軍部の7番目であり 事態の収拾にあたり、後に 大統領になった
スハルト少将らは、 即座に 10月1日早朝、 放送局を占拠、
背後で〝事件〟を操っていたのは 共産党だと発表 非難しました。
そして 国民感情を あおり、 憎しみを募らせ 復讐を募り
赤狩りを始めました。 大量殺人を 正当化したのです。
実際、 大量殺人されたのは PKIのメンバーの他に
事件に全く 関係のない人々や スカルノ新奉者や 中国人たちでした。
この映画は 「9・30事件」(実際には 9月30日から 10月1日未明に
かけて) 後の 100万人とも 200万人ともいわれる 大規模の
〝赤狩り〟と称し、 大量大虐殺を 描いたドキュメンタリーです。
米テキサス出身の 映像作家ジョシュア・オッペンハイマー監督は、
はじめは 被害者遺族を 取材していたのですが、
当局から 被害者への接触を 妨害され、加害者側に変更。
加害者側が 自慢げに 嬉々として 過去の殺人行為を 再現してみせたのを
きっかけに カメラの前で再現してみませんかと 話すと快諾、
映画化されました。 大虐殺を実行した〝プレマン〟と呼ばれる
民間のやくざや パンチャシラ青年団(民兵)たち、
その代表アンワル実行者(実在の) 本人たちに 直接取材をし
虐殺の 場所、 やり方などを 一部始終を 映画に収めたのでした。
上映前の ジョシュア・オッペンハイマー監督
1965年10月1日未明に 起きた 政変で、 スカルノ大統領と 11日間
連絡が取れなくなり、 私は ヤソオ宮殿に 独り残されました。
武装した護衛官たちや 使用人は、 周りに大勢いましたが
誰が 味方で 誰が敵なのか、 全く解らず不安で 恐怖の 日々を過ごしました。
万が一の時には、 裏庭の 小川まで 窓から飛び降り 広い庭を何分で
突き走ることができ、 そして 堀を乗り越え あの冷たい川の中で
忍者のように 竹をくわえて どれ位長く 川に入っていられるかなど
日々イメージし続けていました。
素早い動きができるよう 毎日ズボンを履いて 就寝し 朝を迎えていました。
本当に 誰が 敵か全く解らない いつ何が起きるか 解らない
恐怖の中にいました。
日本大使館に 助けを求めなさいとの 声もありましたが、
日本大使に迷惑が かかかると思い、 大事な物だけ 預けることにしました。
お留守だったので 料理人ご夫婦に 託しました。 すると 帰宅した
斉藤 鎮男大使は 私の荷物を 庭に 放ったそうです。
料理人夫婦が 大変恐縮して 私の元に 戻しにきました。
そんなとき 日本の 佐藤 栄作首相は 600万円という ポケットマネーを
斉藤 鎮男大使を 通じて スカルノ大統領を 失遂させるため
暴漢グループに 資金調達をし、 殺戮の援助をしました。
彼は 後に 1974年 ノーベル平和賞を 受けたのです(笑)
この作品で 初めて真実が 描かれ それが世界に伝わるのことを
大変うれしく 思います。 ひとりでも多くの方々に みていただきたいと
心から 思う 映画です、 ジョシュア・オッペンハイマー監督の
偉業に 心から 感謝してやみません。
ちなみに 私の著書 「デヴィ・スカルノ回想記」の中に
この政変時期の 私たちのことが 詳細に書かれています。
読んでいただくと インドネシアがたどった歴史も 解ることができます。
記者会見後の 囲み取材を受ける 私たち。
2人で 記念撮影
上映後、 西麻布の 「みかわ」で
左から NHKの小川監督、 原田さん 、私、 ジョシュア、 ローラさん。
映画は 来週 4月12日(土) より
[東京] 渋谷シアター・イメージフォーラム [愛知] 名演小劇場
[福岡] KBCシネマ
4月19日より [千葉] 千葉劇場 [大阪] シネマート心斎橋
[京都] 京都シネマ [岡山] シネマ・クレール
4月26日より [東京] 新宿シネマカリテ [大分] シネマ5
順次公開 [北海道] シアターキノ、 シネマ・トーラス
[青森] シネマディクト [宮城] フォーラム仙台
[山形] フォーラム山形 [新潟] シネ・ウインド
[長野] 松本CINEMAセレクト [神奈川] 川崎市 アートセンター、
シネマ・ジャック&ベティ [静岡] 静岡シネ・ギャラリー、シネマイーラ
[石川] シネモンド [兵庫] 元町映画館 [広島] サロンシネマ、
シネマ尾道 [山口] 山口情報芸術センター [愛媛] シネマネティック
[佐賀] シアターシエマ [熊本] Denkikan [宮崎] 宮崎キネマ館
[長崎] セントラル劇場 [沖縄] 桜坂劇場 ほか
全国順次 ロードショーです。
皆さまに 是非 観ていただきたい映画です。
アクト・オブ・キリング 公式HP
http://www.aok-movie.com/
★O.A.のお知らせ★
明日 4月5日(土) テレビ朝日 24:15 ~ 24:45
『ポータル ANNニュース & スポーツ』で
この『アクト・オブ・キリング』 が 紹介され、 私も登場します。
実際に虐殺を行った 加害者を取材、 殺人の様子を
再現、 演じてもらい、〝国民的英雄〟として
今も楽しげに暮らしている 「プレマン」と呼ばれている彼ら、
再演後、 どのような変化が起きたかも 注目するところです。
明日 4月5日(土) テレビ朝日 24:15 ~ 24:45
『ポータル ANNニュース & スポーツ』、
「くつろいで見られる」 新しいニュース&スポーツ番組です。
「一週間で一番早いエンタメ情報 今週ナニ見る?ナニ読む?ドコ行く?」では、
最新エンタメを 番組独自のセレクトで紹介します。
その中での 登場となります。
インドネシアの知られざる悲惨な大虐殺、
日本の人々は ほとんどこの事実を知りません。
ドキュメンタリー映画 『アクト・オブ・キリング』が
どのような映画か 公開前に 知っていただくために
是非 ご覧ください
皆さまは どう思われましたか?
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では 皆さま 次号をお楽しみに。
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