キャルイム のコメント

少年法必要派なのでかじった程度ですが絡ませていただきます。
犯罪を犯した人と犯してない人の違いは何ぞや。個人に責任があるのか、環境に責任があるのか、です。
個人に責任があるという人は、隔離することによって周囲の人々を守ろうとします。大概これは少年法反対論者が多いと思います。犯罪者と自分を乖離させるものです。
環境によって犯罪が生まれるという人は、犯罪者と自分の本来的な違いはなく、環境によって法律を守ったり法律を守らなかったりするということです。例えば、親から殴られることが日常化している子供にとって、殴ることは暴力ではなく正当な「罰」として受け入れられるようなものです。
もちろん、単純に二極化できるものではありません。
問題は>>247さんがおっしゃるように、犯罪に比べてどれだけの責任を負わせるべきか。無差別に20歳以下だからという理由で少年法を適用してもよいのか。少年法は甘すぎるのか。
まず年齢ですが、これは明確な根拠があるとはいえません。何歳だろうと人を殺す人はいますし、環境を変えたくても変えられない人だっています。そもそも年齢なんて時間の積み重ねでしかないので、19歳と満20歳の違いなんて微々たるものです。
社会への影響を考慮する、とは、言い換えれば、見せしめでしょう。厳罰化と実名公開の部分はこれにあたると思います。
そもそも、加害者、被害者、両者の家族及び環境がどれだけのものだったのか、私達には分かりません。例えば、虐待をするのが悪いことと分かっていても、虐待をした母親がどんな思いや背景をもって虐待をしていたのか知ろうともせずに責めて何が解決するでしょう。

以前から書いているように、社会福祉、社会的受け皿を整備しなければ、社会に出てきても何も変わらないのです。
厳罰化して喜ぶのは検察だけなんですよ。警察組織としては再犯者を捕まえられて喜ぶかもしれませんね。
遺族の立ち直りを援助したり、加害者の更生保護、職場の提供や福祉の紹介、加害者家族の援助なんて(組織としては)知ったこっちゃないんですから。

法律は変わるものですし、法律の穴を掻い潜るものはどんな年齢でもいるものです。しかし、無責任に厳罰化(年齢の引き下げ、刑法の適応、実名の公開等)をしては、より一層生きづらい社会が待っているだけです。
どうやったって、社会からあぶれる人は出てきます。そのために必要なことは社会福祉の整備です。それが出来ていないうちからの厳罰化はしてはいけないのです。

No.260 139ヶ月前

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