小飼弾です。ブロマガをお届けいたします。
200 Any Questions OK
Q. なぜNatureは追試もされていない論文を掲載したのか?
弾さんはブロマガ#19で「俺の幹細胞がそんなにちょろいなわけがない」と言いましたが、やっぱりそんなにちょろいわけがありませんでしたね^^;)しかし弾さんはとにかく、なんでNatureまでちょろっとだまされちゃったんでしょうか?
A. 権威の連鎖
ここでNatureに限らず、科学誌はどのように論文がウソでないことを担保してきたのかを確認しておきます。
- 発行者(パブリッシャー)はレフェリー (査読者)に論文を回す。
- レフェリー はそれぞれの方法で論文を検証する。
- が、レフェリー がどのように論文を検証するか、レフェリーの裁量に任されている。
つまり、「疑ってかかる」のはあくまでレフェリーであって、レフェリーから上は「信じてかかっている」わけです。そしてレフェリーたちは、論文の整合性はチェックしても、その論文に記載されているデータは執筆者任されているわけです。
つまり、基本はあくまで「信じる」であって「疑う」ではない。性善説であるわけです。そして見ての通り、性善説というのは、偽情報に対してはかくも脆弱であるわけです。
なのになぜ、科学コミュニティは基本性善説を改めないのでしょうか?ましてや幹細胞研究においては、ES細胞論文不正事件という教訓があったにも関わらず。
実は権威の連鎖という性善説の採用は、科学コミュニティの専売特許ではありません。それどころかおよそコミュニティというコミュニティがデフォルトで採用している仕組みなのです。
その中でも飛び抜けて多用されているのは、DNSでしょう。ウェブページ一つアクセスしただけでも、そこに含まれるURLの数だけ問い合わせがなされているわけですが、各ドメイン(厳密にはゾーン)には、必ずSOAレコードというものが存在します。 Source of Authority、 「権威の源」というわけです。「このドメインに関して責任あるデータはここにあります」ということを示す大変重要なレコードなのですが、たとえば www.dan.co.jp. であれば、
- . jp であれば、ここに尋ねて
- .jp. co であれば、ここに尋ねて
- .co. dan であれば、ここに尋ねて
という具合に、権威の連鎖が dan.co.jp まで続いているわけです。別の言い方をすれば、このSOAレコードを乗っ取ってしまえば www.dan.co.jp を乗っ取れてしまうわけで、この方法でtwitterアカウント@Nが乗っ取られたのは記憶に新しいところです。
このとおり、「権威に基づく性善説」が「ウソインジェクション」に対して脆弱なのは--後述のとおり実は紀元前から--よく知られています。
にも関わらず、科学コミュニティに限らず、およそありとあらゆるコミュニティは、それをデフォルトにしてきたのでしょう?
A. 性悪説は費用が性悪すぎる
権威に基づく性善説の脆弱性は、紀元前には韓非によって指摘され、ルネサンスには再びマキャベリによって指摘され、そして拙著「中卒」でもわかる科学入門でも指摘している古くて新しい問題なのですが、はからずしもこれらの著者がぜんぜん性悪説的でないことからして「うまく行かない」ことが実証されているように思えます。韓非がいかに性善的だったかは「始皇」を、マキャベリがいかに性善的だったからは「[わが友マキアヴェッリ]」をそれぞれご覧ください。私に関しては…読者のみなさんにはもういうまでもありませんんね:-)
つまり、性悪説というのは、性悪説の提唱者ですら受け入れられぬ代物だったわけです。なぜ受け入れられないかといえば、ずばりコスト。性悪説というのはつまるところ全数検査であり、レフェリーたちにそれを求めたら、とてもじゃないけど自分の研究までしている暇も予算もなくなってしまいます。就活だって今のように書面とちょっとした面接なんてわけにはいきません。本当に履歴書に書いたとおりの能力を面接官たちの前で実演しなければならないんですから。性悪説に基づいた世界、それは「シグルイ」の世界に他なりません。本物であることを証明するためにいちいち命をかけていては、ネコでも生き残れないでしょう。
たとえ騙される損失が信じる得の100倍であっても、騙される確率が万が一であるならば、性善説は性悪説の100倍得だというわけです。
A. 権威を笑うものは権威に呪われる
しかし、我々が採用しているのはあくまで「権威に基づいた性善説」であって、ピュア性善説ではありません。どんな場合でも相手が性善的に振る舞うことが保証されているのであれば、ウソつきは必ず得することになりますから、みんな嘘つきになるはずです。そしてみんな嘘つきになったとしたら、対策としてみんな性悪説を採用せざるを得なくなってしまいます。ぬふぅ。どうしたらシグルイを避けられるのでしょう?
我々にとって幸いだったのは、我々がとても長寿な生き物であるということ。人生80年として、明日は二万九千二百二十回も来るのです。つまり、今日だまされたとしても明日以降それを取り戻せれば人生終わりよければすべてよし、というわけです。
今日の正直者が明日も正直である保証というのは、本来全くありません。しかしもし今日ウソをついたら、向こう一年は信用してあげないことにしたら、うそをついたら失われる向こう一年が保障になります。さらに正直者でありつづけたら、信用に必要な担保を徐々に減らしてあげますよということにすれば、正直者が福を見て、ウソ付きが泣きを見るシステムの一丁あがり。
これが、権威というシステムです。見てのとおりきわめて人工的なもので、常に人の手によって維持管理していく必要がありますが、しかし「全品検査」よりはずっと安上がり。「私の権威に対する軽蔑を罰するために、運命は私を権威にしてしまった」とはアインシュタインの弁ですが、それぞれアインシュタインを疑った上でアインシュタインになるより、アインシュタインを信じた方がずっと安上がりである以上、「とりあえずアインシュタインを信じておく」のは理にかなっています。
それでは、権威システムがうまく回るためには、一体何が必要でしょうか?
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