第40回「政治家に訊く」は浅野貴博氏です。
浅野氏は北海道釧路市の酪農家に育ち、神戸大学大学院卒業後、2003年から鈴木宗男氏の秘書を経て、2009年総選挙に新党大地公認で出馬しました。2010年鈴木宗男氏の実刑判決確定、失職にともない、現在は新党大地代表代行を務めています。
今回は政治家になるきっかけや力を入れる政策だけでなく、収監中の鈴木宗男氏の様子などについても話を伺いました。
名前:浅野貴博(あさの・たかひろ)
政党:新党大地
選挙区:比例区
生年月日:1978年4月5日
座右の銘:我以外皆師
趣味:読書・音楽鑑賞・スポーツ・人間観察
好きな食べ物:辛いもの全般、トウガラシ入りラーメン、タイ料理
ブログ:http://ameblo.jp/asanotakahiro
私の実家は酪農経営をしています。牧場は遊び場のような所で、幼少期から手伝いをしていました。
私は2人の姉がいる末っ子長男で、実家の後を継ぐ意志がありました。両親とは実家を継ぐ約束をし、高校時代は獣医師資格を取得ようとしていました。しかし外国語に興味があり、外交官になりたいという思いがありました。酪農を継ぐというマニフェスト違反になってしまう...と迷いながらも、父に想いを伝えました。
もちろん父はショックを受けていたと思いますが、「おまえが決めたなら一生懸命勉強しろ」と言ってくれました。一方母親からはそれから1ヶ月ほど「今からでも遅くないから酪農を継ぎなさい」言われ続けました。
──大学は地元・北海道を離れたと伺いました
地元を離れ、関西外国語大学・国際外国言語学部へと進みました。
新しく住んだ大阪に対して、当時は恐いイメージを抱いていました。次第に関西弁も柔らかく聞こえるようになり、親近感がわき、最初のイメージとのギャップに驚きました。
学生時代は中国に留学したことが印象的です。北京と広州で合計約1年生活しました。そこでのつながりは財産になっており、昨年繰り上げ当選したときにも連絡をいただきました。
──鈴木宗男代表との出会いは大学時代ですか?
鈴木代表と初めて会ったのは、高校3年生の時で、北海道の自宅にトイレを借りに来ていました。力強く手を握っていただきました。こんなパワフルでエネルギッシュな人がいるんだなという印象でした。当時、まさか自分が鈴木代表の秘書になるとは思っていませんでした。
──政界への直接のきっかけは?
2003年のことです。私は外交官への試験に落ちてフリーター生活を送り、行き場所がなくなっていました。その頃、鈴木宗男代表が437日間の交流期間を経て、出所して間もない時期でした。郵政選挙があるということで、選挙の手伝いをしないかという話があり、地元に戻りました。
──鈴木氏の印象はどのようなものでしたか?
秘書になるための面接を受けた時は、ものすごいオーラを感じました。父親と一緒に座っていて、鈴木代表が部屋に入ってくると部屋の中の空気が変わります。
面接中は電話が途絶えませんでした。交わした言葉はほんのわずかで、「君は家の手伝いをしているのか」「はい、幼少のころから手伝っておりました。実家での経験は大きな糧となっています」「おお、そうか」というやりとりだったことを覚えています。
最初は地元の選挙の手伝いをして、その後2004年1月末に東京事務所で欠員が出たので東京の事務所で働くようになりました。
──9月に繰り上げし、政治家になりましたが"これはやりたい"というものは?
取り調べの全面可視化法案を絶対に成立させたいと思います。新党大地として、鈴木宗男代表の後を継いだものとしてやらなければいけないことです。石川知裕氏が任意の事情聴取の状況を録音していましたが、改めて検察の取り調べのひどさが明らかになりました。取り調べを録音し、検証可能な措置をとらなければ事実は明らかになりません。私は日本を冤罪が生まれる国にしてはいけないと思います。(つづきは映像にてご覧下さい!)
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THE JOURNAL編集部
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