今回は東京10区の江端貴子氏に、政治家になったきっかけや原発事故後に女性議員として今できることについてインタビューしました。映像の後半では、高校生になるお子さんのことについて語っていただきました。
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名前:江端貴子(えばた・たかこ)
政党:民主党
選挙区:衆議院・東京10区
生年月日:1959年12月22日
血液型:A型
座右の銘:自分を超える
趣味:読書、本屋めぐり、野球観戦
好きな食べもの:おにぎり、鶏のから揚げ
お気に入りの店:ジュンク堂(池袋店)
HP:http://www.ebata-takako.jp/
──政治家になる前はどのような仕事や活動をしていましたか
大学ではコンピュータで分析をする研究室に所属し、その後国内のコンピュータメーカーに就職、金融機関や証券会社向けのシステム開発にたずさわる日々を送っていましたが、次第に経営に関心を持つようになりました。当時の日本には経営を学べるようなビジネススクールはなく、米国へMBA留学を決意し、帰国後に「ITがわかるコンサルタント」を募集していたマッキンゼーへ入社しました。
当時は、もう古い言葉ですが「マルチメディア戦略」といってさまざまな企業がITを使って経営を変えようと言っていた時代でした。マッキンゼーの女性コンサルタントには、髪はショートカット、化粧はスッピン、マニキュアを塗っていないという「3大特徴」というものがあるほど忙しく、連日徹夜は日常茶飯事でした。最初は1本200円だった栄養ドリンクが、次第に高価なドリンクになり、「よし、これなら今日もたたかえる」と...そんな多忙な毎日でした。
──当時は働きながら子育てするのは珍しかったのでは?
コンサルタントで出産する女性は社内で初めてでした。というのも、それだけ激務だったからです。子どもとは朝食を一緒にとり、保育園にいくところまではいいのです。しかしお迎え、夕食、お風呂、就寝までの面倒をみられません。私は二世帯住宅で親と同居し、子育てを手伝ってもらうことでなんとか仕事と子育てを両立できました。
その後アムジェンに転職し、家族全員で米国駐在も経験、アムジェン日本法人のマーケティング本部長、CFOとして充実した仕事をしましたが、母が要介護状態になり状況が変わりました。
──そこが政治家を目指すきっかけですね
最初は政治家になろうと思っていませんでした。私は仕事しながら結婚、出産を経験しましたが、それは親の協力があったからこそ可能だったことです。面倒をみてくれていた母親の介護が必要になり、介護サービス事業者に相談しに行くと、「同居者がいる場合、生活介護は受けられません」と言われました。ヘルパーの方に食事や入浴は頼めるけど、炊事、掃除、洗濯など生活に必要な介護は受けられないということです。女性の社会進出や、男女共同参画といいながら、介護制度は家庭に奥さんやお嫁さん、娘さんがいるものという前提のもとで設計された制度でした。
私は仕事をやめる選択肢をとりました。しかし制度の壁に直面した時のショックはずっと尾を引いていました。
そんなある日、国会中継をみていたら参院議員(当時)の円より子さんが予算委員会の質疑に立っておられ、その姿がとても凜として私の目にさわやかにうつりました。ホームページをみたら女性のための政治スクールをしていたので、その門をたたき、政治の道が開けました。
──江端さんが当選された2009年政権交代から2年が経ちました。ご自身が取り組みたいと思っていた介護問題の進捗状況は
来年介護保険の改正があり、私はそれに向けての民主党ワーキンググループの事務局次長となりました。今国会では、24時間見守れる様な介護サービスをいれていこうと、中学校の学区域を想定した医療、介護、見守り、食事サービス、高齢者住宅の整備を法案に盛り込み今国会で通させて頂きました。でも思い切ったことはできていません。
──「思い切った」というのは
私が経験したような、同居世帯への援助や、両親と住む独身男性の介護支援、たとえば90日の有給休暇がうまくとれないといった問題です。 そこまではまだ切り込めていません。
──子育てについて、夫婦が働きながら子育てをするような環境はまだ整っていないのでは
結婚して子どもを産みたい、でもできない人はたくさんいます。やりたいことができなくなると思えば、出産に踏み切れません。
それぞれの人生には何段階かのステージがあり、それに応じて働き方を選択できるような世の中でなければいけないと思います。いまも未解決の問題がたくさんあります。例えば、子育ての時に短時間労働になると時給が下がる現状があります。これだけITが進んでも在宅就労の体制が整っていません。非正規雇用を選ぶと正規に戻れないような問題もあります。給料が保証されるような仕組みづくりなど課題は山積しています。
──家族のかたちも多様になっています。そこに3月11日東日本大震災がおこり、身内を頼るような子育て、介護が難しくなっている気がします
東日本大震災で身寄りがなくなっている家庭が多いです。私はすべてを自治体や国に頼るのも膨大なコストがかかり、限界があると思います。鳩山政権時代の「新しい公共」が重要で、コミュニティで支えるということが大事です。介護の世界に民間を一気に入れると、もうかるサービスしか残らないので、官でも民でもなく地域の力を借りるのが大事だと思います。
──被災地との関わりは
3月11日以降、事務所でボランティアをしたり、救援物資を運びました。そのほかに法案を整理して欲しい、医薬品の供給を増やして欲しいといった声を聞く動きもありました。
ようやく「復旧」「復興」という段階ですが、政府などさまざまな会議で交わされるのは、男性中心の意見が多いです。地震や津波による建物やインフラなどハード面の復旧は大切ですが、子どもを持つ親の多くは原子力発電所の事故による放射能の影響を心配しております。
民主党の女性議員一期生が呼びかけ人になり、「子どもたちの未来を守る女性議員ネットワーク」を立ち上げて活動をし始めました。山崎摩耶(やまざき・まや)さんが代表、永江孝子(ながえ・たかこ)さんが事務局長です。岩手、宮城、福島の3班にわかれ、私は福島のリーダーです。
私は福島県の小中学校に行きましたが、原発事故が収束していないこともあって「復興」のイメージまで結びつくのは難しい感じがしました。まずは子どもたちの環境、悩みを見聞きし、そこに関わっている教育関係者がどんな思いでおられるかを聞いていきます。また、放射能の問題は地元選挙区の東京でも心配されています。地元では親子との対話「ファミリートーク」で、みなさんと意見交換できればと思っています。
──被災地の意見を聞くことやボランティアは個人、企業でもやっています。被災地の意見を最終的にはどのような形にするのでしょうか
法律や制度に働きかけることが私たちの役割のひとつだと思っています。
福島県の小国地域は原発から50キロ離れていますが、特定避難勧奨地点とされ、できれば避難してくださいという地域です。小国地域の小学校のなかで、「地点」に指定されたお子さんとそうでないお子さんが出てしまいました。 PTA活動などでひとつの意見を国や県にだしていたのですが、それによってコミュニティが分断されてしまうような事態も出ています。
今後も被災地に通って意見を聞きながら、制度をかえる必要があれば省庁に直接意見を持っていき、もし法律が必要になる場合は、議員立法も視野に入れた活動にしていきたいですね。
そして子どもたちに対するガイドラインをぜひつくりたいと思っています。現在、政府は放射線量が少ないということで「安全」を言っていますが、万が一、線量数値が上がった時にどうするかの行動指針です。「雨の日は必ず傘をさしてください」「洗濯物は外に干さないでください」といった具体的なガイドラインはすべての地域で必要だと思います。
──子育ての状況は
高校2年なので物理的には手がかからなくなりました。ただやはり弁当だけは必要なので毎日5時半に起きてつくっています。
夕方近くになると「メシは?」と電話がくることがありますが、高校生の男の子となると親と会話をしようとしません。コミュニケーションの時間が取れないのは残念なところです。
──部活はやっていますか
部活は陸上部で短距離をやってます。
──洗濯物が多そうですね
毎日しなければいけないので、朝は洗濯機の時間と、街宣の時間をみはかりながら、時には洗濯機のなかに洗濯物をおいていかざるを得なくなることも...。この季節だと生乾きでにおったりするんですね。
──生活感を持ち続けることは大事ですか
介護の話をしましたが、介護に限らずあらゆる制度に血が通っていないなと思います。管理する側の視点で予算がつけられがちで、使う側から見ると、なぜと思うような対象者の区切り方に疑問が出るようなことが多いですよ。
自治体の方ともコミュニケーションをとって、普通に暮らしている人の声を制度にいれていくことは大事な仕事だと思います。
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THE JOURNAL編集部
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