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■農山村集落からの「撤退」か「田園回帰」か


「896自治体 消滅の恐れ」毎日、「若年女性、896自治体で半減」朝日、「896自治体 若年女性半減」読売─5月9日、全国紙の一面にこんな見出しが躍った。もっとも扱いの大きい毎日新聞は以下のように続ける。

「全国1800市区町村政令市の行政区を含むの49.6%に当たる896自治体で、子どもを産む人の大多数を占める『20〜39歳の女性人口』が2010年からの30年間で割以上減ることが有識者団体の推計でわかった。896自治体を『消滅可能都市』と位置づけ、有効な手を打たなければ将来消える可能性があるという」

この推計を行なったのは、元岩手県知事、元総務大臣の増田寛也氏が座長を務める「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」。こうした地域では流出人口が出生率を上回って人が減り続け、医療・介護保険の維持がむずかしくなって、将来消滅する可能性があるというのだ。

増田氏とその研究グループが、「人口急減問題」について言及し、大きな社会的反響を呼び起こしたのは今回が初めてではない。『中央公論』昨年12月号の特集「危ない県はここだ─過疎から消滅へ 壊死する地方都市」で「2040年、地方消滅。『極点社会』が到来する」という論考を発表し、自治体関係者に動揺をもたらした。

そのポイントは、(1)東京圏をはじめとする大都市圏に人口が集中する傾向が続き、その結果、地方部では消滅が避けられない地域が続出。日本の中で大都市圏のみが存在する「極点社会」の形成が予想される、(2)大都市圏は「人口のブラックホール」といわれるように出生率が低い。人口集中がさらなる少子化をもたらし、国全体の人口が加速度的に減少、(3)その反転のためには、最後の拠点として、広域ブロック単位の地方中核都市に資源と政策を集中的に投入することが必要、というものである。とくに(3)について増田氏は、同号での藻谷浩介氏との対談で「山間部も含めたすべての地域に人口減抑制のエネルギーをつぎ込むのではなく、地方中核都市に資源を集中し、そこを最後の砦として再生を図っていく」「撤退戦」をやるしかないと語っている。人口30万人程度とされる地方中核都市に「わざわざ東京に出ていく必要のない若者を踏みとどまらせ」、「定住自立圏」をつくり出そうというのだ。

そうした増田論文に対し、明治大学教授の小田切徳美さんは、2014年4月25日の「自治日報」のコラム「『増田論文ショック』と農山村」で、「現時点で気になる点」として、以下3点を列挙している。

第1に、論文に刺激されて始まった論議の中に、「日本でも、欧州のようにコンパクトシティを実現して、農山村集落の撤退を始めるべきだ」という主張も少なくないが、都市部と農村部がくっきり区分されている欧州では、コンパクトシティに農村からの撤退という要素は含まれていない。むしろ欧州では、オイルショック以降、「逆都市化」と言われる都市から農村への人口還流が続いている。

第2に、撤退論が財政の窮乏化を論拠としていて、「財政が厳しい中でそんな所に住むのはわがままだ」という言説に出会うこともあるが、これは、人びとの居住範囲を財政の関数として捉える発想にほかならず、財政次第では、東京圏以外のどの地域にも人が住むことが不合理だとされてしまうこともあり得る。

第3に、撤退の対象とされる農山村で、とくに中国山地や九州北部等を中心に若者Iターン、田園回帰の動きが活発化していることを見逃している。

■「田舎の田舎」に子どもが増えている

第3の問題点に関して、今回の「自治体消滅」論のもとになったデータは、2010年の国勢調査にもとづくものであり、しかも市町村単位の人口データを基本に分析しているので、近年の動きをとらえきれていないのではないかと指摘するのは、島根県中山間地域研究センター研究統括監の藤山浩さんだ。藤山さんは4月27日の「山陰中央新報」のコラム「『田舎の田舎』に新たな定住の波」で、以下のように述べている。

「県内中山間地域の218エリア公民館区や小学校区等の基礎的な生活圏について、2008年と13年の住民基本台帳による人口データを、県中山間地域研究センターで詳細に分析してみた。その結果、3分の1を超える73のエリアで、4歳以下の子供の数が5年前に比べて増えていることが判明した。全国的な少子化の時代に、これは驚きの結果である。しかも、子供が増加したエリアの分布は、山間部や離島といった『田舎の田舎』が大半を占めている。これまでの過疎の半世紀になかった現象だ」

藤山さんは現場での体験や現時点のデータから、以下のような注目すべき「地殻変動」が起きつつあると感じているという。

第1は、これまでのような都市優位の時代の終わり。2011年3月11日の東日本大震災は、太平洋側の都市部に集中しすぎたこの国のかたちの危うさを知らしめた。

第2は、若い世代のなかに、地元の人や自然、伝統とつながりをもち、自らつくり、育てる暮らしへのあこがれが生まれていること。

第3は、「田舎の田舎」への定住を主導しているのが、子どもをもつ30歳前後の女性であること。田舎暮らしを望む夫についていくというより、「私もがんばるから田舎で子どもを育てよう」というアラサー女性が多いという。

こうした中山間地域の現場での体験にもとづくデータ分析から「増田論文」「自治体消滅論」に疑問を呈する小田切さんや藤山さんが中心になって編まれた本が「シリーズ地域の再生」第15巻『地域再生のフロンティア─中国山地から始まるこの国の新しいかたち』である。そこで小田切さんは、「中山間地域のもついくつかの条件は、今後の環境に優しい循環型の地域づくりと適合する可能性があり、今後はその条件が都市とは異なる価値として人びとを惹きつけるかもしれない。そうしたときに中山間地域から撤退してしまうことは、将来世代の選択肢を奪うことになってしまう」と述べ、藤山さんは以下のような島根県での取り組みを紹介している。

島根県では、2011年度から12年度にかけて市町村と県庁各課、中山間地域研究センターが共同で「しまねの郷づくりカルテ」を作成し、全県中山間地域を公民館や小学校単位の基礎コミュニティとしての227エリアに分け、人口や各分野の統計データを集約し、定住促進に向けた地域診断資料としている。エリアごとに人口予測を行ない、長期的に高齢化率の上昇を抑え、小中学生数を安定させるために必要な新規定住増加数を割り出しているのだ。

「この数字は、決して達成不可能なものではなく、山間部や島嶼部等の比較的条件不利性が高い地域においても、こうした定住目標を達成しているところが現れ始めている。何よりも、ばくぜんと定住増加を考えるのではなく、地区ごとに明確な目標数値を地域住民で共有することが、具体的な行動につながる」と藤山さんは述べている。

その具体的な行動の一つが、本誌1月号「限界集落に新規就農の若者がやってくるまで」で坂本敬三さんが紹介している同県邑南町銭宝地区の取り組みだ。

同地区では、統計データだけでなく「小地域ならではのアナログな方法」で人口推計してみることにした。

「言ってみれば、気軽にできる集落点検です。90戸ほどの地域なら、地域に詳しい4、5人が集まれば、ある程度の予測ができます。電話帳を元に一戸一戸見ていき、例えば『○○家の息子は広島市に自宅を新築したらしい』などの情報があれば『Uターン不可』にカウントします。『△△家の後継者は農業大学校に入学した。どうも農業をする気らしい』。これは『Uターン見込み大』にカウント、といった具合。こうして予測した結果、30年後は現在の90戸から15〜20戸にまで減少するものと見込まれました」

「このままではまずい」──集落点検を行なったメンバーが皆そう思い、計画づくりに着手。1都市に出て行った地元出身者との交流その取り組みの一つが、本誌5月号「主張」でもふれた「ファーム布施」の農作業への地元出身者の参加、2子どもたちの課外授業やフィールドワークが可能な環境整備、3ターンの促進、4新規就農者の確保、5地域資源の洗い出し、6大学大学生との交流、7六次産業化の推進、をおもな柱とする事業を実施することになり、人が減るという危機感のなか、ターンも含めて、新たに人を呼び込むことが大きな課題となった。

同地区では新規就農者の確保のために、地区の集落営農2法人と2戸の園芸農家の協力を得て、1「法人への就農」島根県の集落営農組織派遣事業を活用、2「園芸農家での研修」青年就農給付金を活用、3「自営就農と定住に向けた空き家の改修」の3段階の就農支援を地域が行ない、それ以外の支援については行政が行なうことにした。そして、子どものいる家族、または今後子どもをもうける予定の家族を条件にIターンを募集、昨年3月、大阪在住の30代夫婦が就農、待望の第1子も誕生した。

「先は長いですが、少しでも地域が元気になるように今後も皆で知恵を出し合いながらやっていきたいと思います」と、坂本さんは述べている。

■「超限界集落」で小学校再開

「50歳以下の住民がゼロ。学校もなくなったはずの地区。そこに、小学1年生が。じつは、このままでは地区が消滅すると危機感を抱いた町が、一度は休校になった小学校を再開したのです」4月13日・NHKニュース「おはよう日本」のナレーション

再開したのは熊本県多良木町の槻木小学校。かつて林業や炭焼きで栄え、国の営林署も設置されていた最盛期の1959昭和34年には約400世帯、約1500人の人口を抱えていた槻木地区も、現在は約64世帯、人口約120人。高齢化率は73で、昨年までもっとも若い住民は53歳だった。小学校は2007年に1人の卒業生を送り出して閉校。かつて中学校が1校、小学校が2校あった大字ごと「限界集落」化し、消滅が危惧されていた。

小学校の再開を町に提案したのは、槻木地区の将来について町から相談を受けた熊本大学教授の徳野貞雄さん。徳野さんは「シリーズ地域の再生」第11巻『T型集落点検とライフヒストリーでみえる─家族・集落・女性の底力』で、同地区130名の他出者の半数は、それほど遠くないところに居住していると述べている。

▼地区内の別居を含めて多良木町内に15人(11.5%)、彼らは、車で40分以内で実家に行くことができる

▼隣接する球磨盆地内の市や町に36人(約27.7%)、実家まで車で1時間半の近距離

▼熊本市を中心とする県内に33人(25.4%)、実家まで車で2時間半の中距離

▼福岡・大阪・東京など遠距離の県外に61人(46.9%)

「山を越えた町場の方にいる人も条件が悪かったから出て行っただけで、こちらに実家もあるし親もいる。学校というのはたんに教育の現場だけでなく、地域で30〜40代が暮らしていくために、絶対にお子さんがいるかぎり、学校がなければいけない」「おはよう日本」で徳野さん

徳野さんは槻木地区の将来について、(1)消極的な現状維持を図っていく「老衰型集落化」、(2)山を越えて町の中心部に移転する「全面移転」、(3)「中核的世帯」の導入と他出子サポートという積極的な努力と施策を集落の維持・存続のために遂行する「集落存続」の三つの選択肢を町当局や議会、住民に示し、話し合った。すると(2)の全面移転は住民の強い否定的な意見が出、また行政も財政的な負担が重すぎて実現できない。(1)の老衰型集落化は、住民の半分以上は「受け入れざるを得ない」という態度であったが、行政から「集落が消滅するまで最低30年以上はかかるなかで、道路の維持や住民の生活保障など、財政的支出の累積は膨大なものになる」ため、この案も強く避けたいということになった。残された案は3の積極的な集落存続ということになり、槻木小学校の再開を前提とした外部からの、子のいる30〜40代の世帯の導入が決定し、「集落支援員制度」を活用して公募することになった。採用されたのは福岡県内で社会福祉協議会のケアマネージャーだった上治秀人さん41歳。奥さんの美由貴さんは、看護・助産師である。そして6歳と3歳の娘さんが2人。

「上治氏夫婦は、将来子どもたちを自然豊かな山村で育てたいという希望があり、高齢者の福祉と地域づくりとを自分の仕事として選択できるのは、非常にラッキーだと思って応募してきた」と、徳野さん。

4月10日、その上治さんの上の娘さんを迎えて槻木小学校の入学式と開校式が行なわれ、NHKのニュースや全国紙が「超限界集落救えるか 異例の小学校再開」「過疎地に活気『感無量』」などと伝えたのである。

■自分の山は自分で手入れする

『家族・集落・女性の底力』では、槻木地区の集落点検でわかった人びとの日常の仕事就業構造についてもふれられている。それによれば、現在どのような日常の仕事をしているかという問いに対して1位〔自営の農林業〕23%、2位〔山の手入れ〕22%、3位〔家事・手伝い〕20%だが、「もっとも重要だと思う仕事」については圧倒的に〔山の手入れ〕が第1位で35%だった。

これまで日本の林業政策は、「山林所有者の多くは地域に住んでいないか、住んでいても山の手入れをする意欲も能力もない」という前提に立って、森林組合や事業体に作業を委託する「施業委託型」を中心に進められてきた。

2009年の結城登美雄さんの『地元学からの出発 この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』に始まった「シリーズ地域の再生」全21巻の最終配本は、5月に刊行される『林業新時代─自伐がひらく農林家の未来』である。そこではまず、九州大学教授の佐藤宣子さんが、農林業センサスの分析から(1)素材生産の16.5%程度を「自伐林家」家族農林業経営体で保有山林から自ら生産が担っていること、(2)農業と林業の結びつきは地域的に多様であること、(3)自伐林家は農産加工や産直、6次産業化など相対的に活発な農業経営を行なっていること、(4)集落レベルでの森林資源保全の活動が2000年代後半から活発化していることを明らかにしている。ついで筑波大学准教授の興梠克久さんは、小農の兼業化を規模の経済性、生産性重視の視点だけから評価する見方に対して、(1)兼業農林家にとって農林業は生きがいそのものであり、生活基盤でもあること、さらに小型でも生産力はけっして低くない機械体系も開発されて、価格変動への対応が柔軟な小農経営の足腰の強さのゆえんにもなっていること、2兼業農林家は農山村地域の主要構成員であり、水・土地・林野などの地域資源の共同管理をはじめ、相互扶助組織の維持や伝統文化の継承も担うとともに、社会的費用の節減、農山村の活力維持にも役立っていることを明らかにしている。

また、鳥取大学准教授の家中茂さんは、全国の自伐林業の現場に身を運び、現場の声を紹介している。高知県仁淀川町の最上流の集落・上名野川で「定年帰林」した父親の後に続いて、Uターンで自伐林業をやるようになった片岡博一さん48歳の声はこうだ。

「みてください、スギとヒノキしかありません。どうしてもこれでしか食う道はない。儲けはしないけれど、生活はできる。町では食うに困る人がいるというが、田舎では食うに困る人はいない。田舎におったら、ほんとの人間の生活ができる。のんびりとしてね、やれるでしょ。田舎には田舎のいいところがありますよ」

「限界集落で生活できないのか。そんなことはない。ぜんぜん生活できる。勝手に仕事がないと思って、勝手に田舎を捨てていった。高知まで1時間で通える。だから、限界集落というのは思い込んでるだけで、上名野川が最先端」

 東京一極集中の果ての「人口のブラックホール化」という「規模の経済の2周目の危機」に対し、「自治体消滅論」をふりかざし、中山間地域からの撤退と中核都市への政策と資源の集中を図るという新たな戦略 ── その向こうには、県や町村制の廃止につながる「道州制」が見え隠れする。こうした流れに立ち向かうためにこそ、「小さいからこそ輝く地域」の事例と論考にあふれた「シリーズ地域の再生」全21巻は刊行された。
(農文協論説委員会)
※本記事は農文協のHPに掲載されている「農文協の主張」(2014年7月)から転載しました