かつて盛り上がった海外移住ブームが再燃している。
終活中の高齢者に今後の人生設計を聞いても海外への移住希望は根強く、これから消費税も上がる日本では、目減りする年金頼りの老後には満足できないのかも知れない。
先日、ロングステイ財団が主催したセミナーに伺ったが、海外移住に関心を持つ人は定年後のシニアだけでなく若いカップルまで広がっていた。子供への教育投資も質の高い国際人養成の為となれば割安に思えるという。
高度成長期からビジネスマンの海外勤務がめずらしくなくなり、駐在や留学経験のある家族など、移住に対する意識のハードルは下がっているのだろう。
バブル景気にわいた80年代、国の主導で「シルバーコロンビア計画」が発表された。リタイア後にオーストラリアやニュージーランド、スペインのコスタ・デル・ソルなど、気候がよく物価も安い海外に移住して、大きな家を買い悠々自適の暮らしをするというセカンドライフのすすめだった。ところが、社交下手の日本人は海外でも村社会をつくり地元と交わらないと不評で、果ては日本は老人まで輸出する気かと非難され、マスコミには海外版の姥捨て山とたたかれた。
それから30年、時代は変わった。 物価が高く海外暮らしのメリットが少ない地域から、人気は東南アジアにシフトしている。中でもマレーシアは断トツでセミナーでも最も多くの人を集めた。情報が豊富で医療も充実し、税の優遇など国のサポート体制が整い、さまざまな点で安心と丁寧にその優位性が説明され、会場からの手ごたえもあったかに思えた。
ところが、そこで目を疑うような光景に遭遇することになる。千名が入る大きな会場を埋めた参加者には、主催者であるマレーシア政府からさまざまなプレゼントが用意されていた。一等はマレーシアへの招待旅行、会場の期待もその一点だった。
プログラムの最後、担当大臣が当選者の発表を告げたその瞬間、ほとんどの人が席を立ち会場を出て行ってしまった。当選者は通路をふさぐ人でなかなか壇上にたどり着けず、お祝いのセレモニーも雑踏の中で台無しになった。
その異様さは、五輪誘致の「おもてなし」も、東北震災で称賛された秩序正しさも一瞬で白々しいものに変えてしまった。この姿をマレーシアの人たちはどう感じたのだろうか。 今では海外旅行を年に数回の趣味というシニアもめずらしくなくなり、多くの日本人が外国人と交流するようになった。海外移住で成功した先輩は、多くの指南書を残してくれているが、それでも移住となれば見込みの違うこともある。そうした時に助けをくれるのは地元の人たちだろう。
今では教訓から学んだコーディネイターが育ち、若い感性も入って地域との調整が上手くいくようになった。しかし、移住が上手くいくかは、受け入れてもらうこちらの姿勢が大事だと思う。
移住を推進する業界は、参加者の耳が痛くなるような話は避けたいが、イヤでもバラ色の海外移住を決める前に考えるべきことがあるように思えた。そうでなければ移したいのは人ではなく財布に中味だけということになってしまう。
かつては貿易黒字の緩衝に円を海外で使わせようとしたが、今は逆だ。ならば、国内の大学にジェロントロジー(老年学)を学ぶシニア講座をつくり、まずそこで学んでから海外に出るようなカレッジリンクプログラムとして国内の長期滞在市場をあわせて育ててみてはどうだろうか。
海外移住のその前に、身に着けるべき作法があると思う。
【篠塚恭一(しのづか・きょういち )プロフィール】
1961年、千葉市生れ。91年(株)SPI設立[代表取締役]観光を中心としたホスピタリティ人材の育成・派遣に携わる。95年に超高齢者時代のサービス人材としてトラベルヘルパーの育成をはじめ、介護旅行の「あ・える倶楽部」として全国普及に取り組む。06年、内閣府認証NPO法人日本トラベルヘルパー(外出支援専門員)協会設立[理事長]。行動に不自由のある人への外出支援ノウハウを公開し、都市高齢者と地方の健康資源を結ぶ、超高齢社会のサービス事業創造に奮闘の日々。現在は、温泉・食など地域資源の活用による認知症予防から市民後見人養成支援など福祉人材の多能工化と社会的起業家支援をおこなう。
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