ここで示している“ポピュラー”音楽というものが単に世間に迎合した代物でしかないことを嘆いているのだろうか?迎合したら悪でしかないのだが. もともと“楽”自体が神へ向けた代物であるため,その“楽”が神に示しても恥ずかしくないほどに洗練されていることを要求したいのだろうか?ベートーヴェンが世間に迎合した音楽を越えて神を凌駕することを望んだように,未来永劫不変な普遍性を体現したいのだろうか?ベートーヴェンが徹底した基本の積み重ねで作り上げたことでクラッシック音楽の最期の革命家になったのだろう. 数学のような論理だけの世界に近付けたいのかもしれないが,音楽自体が論理とは異なる因果そのものであるため今日では少し不可能だろう.一意性を持たせようと振動数単位で制御しようとすれば音楽ではなくなる.人の声に近付けようとして楽器を作ったように,人の作りが曖昧さの中で成り立つため音楽の一部の音でさへ揺らぐ.その揺らぎが音楽全体に行き渡れば相当大きな揺らぎが全体で起こることになる.例ひ揺らぎが大きくとも,そこには幅がある.その幅を示せるようになれば指標となる教科書のようなものも作れるのだろう.その幅を最大限一意性を持って示し,より細分化されたものに移行してゆくことを徹底したいのだろう.
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THE JOURNAL
(ID:10001334)
ここで示している“ポピュラー”音楽というものが単に世間に迎合した代物でしかないことを嘆いているのだろうか?迎合したら悪でしかないのだが.
もともと“楽”自体が神へ向けた代物であるため,その“楽”が神に示しても恥ずかしくないほどに洗練されていることを要求したいのだろうか?ベートーヴェンが世間に迎合した音楽を越えて神を凌駕することを望んだように,未来永劫不変な普遍性を体現したいのだろうか?ベートーヴェンが徹底した基本の積み重ねで作り上げたことでクラッシック音楽の最期の革命家になったのだろう.
数学のような論理だけの世界に近付けたいのかもしれないが,音楽自体が論理とは異なる因果そのものであるため今日では少し不可能だろう.一意性を持たせようと振動数単位で制御しようとすれば音楽ではなくなる.人の声に近付けようとして楽器を作ったように,人の作りが曖昧さの中で成り立つため音楽の一部の音でさへ揺らぐ.その揺らぎが音楽全体に行き渡れば相当大きな揺らぎが全体で起こることになる.例ひ揺らぎが大きくとも,そこには幅がある.その幅を示せるようになれば指標となる教科書のようなものも作れるのだろう.その幅を最大限一意性を持って示し,より細分化されたものに移行してゆくことを徹底したいのだろう.