当たり前のことではあるが、「歴史は忘れたころに繰り返し遣って来る」現実対処は、時代によって異なることは避けられないが、日本人として捨てられない社会的文化が、簡単に、米国追随、経済優先によって踏みにじられる悔しさは、お話を伺いながら、たとえようもありません。その最終仕上げがTPPなのでしょう。二国間の交渉状況を見ていると、心配したことが現実化しているのです。安倍総理,麻生副総理が、この国をどのような国にするか、青写真を描いてリスキーな政策に挑戦するのであれば理解できるが、また、米国、官僚、大企業に対する適当な距離感を持っていれば国民目線の国益を基本とした政策が執行できるが、競争原理だけに基づいた放任的政権運営に徹するとき、政治が機能しなくなり、市場経済に国家が身をゆだねることになります。財政規律を20年までに確保する中期計画が、頓挫し、具体的方策が策定できないようである。この現実的姿は、当たり前のことであり、自己矛盾に陥っているアベノミクス、即ち、財政規律とは程遠い財政放任によって財政規律が出来るわけがないからです。外面的には、米国、官僚、大企業と手を組みながら、決して妥協しない信念がなくては、田中先生のお話のようにご先祖を裏切ることになるというよりも、足元にも及ばないという表現のほうが適切かもしれない。
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THE JOURNAL
(ID:18367902)
当たり前のことではあるが、「歴史は忘れたころに繰り返し遣って来る」現実対処は、時代によって異なることは避けられないが、日本人として捨てられない社会的文化が、簡単に、米国追随、経済優先によって踏みにじられる悔しさは、お話を伺いながら、たとえようもありません。その最終仕上げがTPPなのでしょう。二国間の交渉状況を見ていると、心配したことが現実化しているのです。安倍総理,麻生副総理が、この国をどのような国にするか、青写真を描いてリスキーな政策に挑戦するのであれば理解できるが、また、米国、官僚、大企業に対する適当な距離感を持っていれば国民目線の国益を基本とした政策が執行できるが、競争原理だけに基づいた放任的政権運営に徹するとき、政治が機能しなくなり、市場経済に国家が身をゆだねることになります。財政規律を20年までに確保する中期計画が、頓挫し、具体的方策が策定できないようである。この現実的姿は、当たり前のことであり、自己矛盾に陥っているアベノミクス、即ち、財政規律とは程遠い財政放任によって財政規律が出来るわけがないからです。外面的には、米国、官僚、大企業と手を組みながら、決して妥協しない信念がなくては、田中先生のお話のようにご先祖を裏切ることになるというよりも、足元にも及ばないという表現のほうが適切かもしれない。