山元教授、山尾議員と師範方に御礼申し上げます。 これより長文を失礼します。千文字弱でまとめましたけれども落ち着きません。短くしようと念を入れると、どうも上手くいきません。迷惑を顧みず、推敲は無しで自由に書かせて頂きます。 山元教授の憲法について基本的な御話を初めにしてくださって解りやすかったです。 憲法は、自国らしさばかりでなく、国際的に認められる為に法体系と裁判制度、総じて司法体系が重要なのは、黎明期ばかりで無く、現状日本が最も認識しなければならないと思います。今は、権力者と専門家の一部の者の為に憲法が在る状態で、本来に機能していません。 憲法は、義務だけでは無く権利が保証されてこそ憲法で在る事を心得たいです。帝国憲法も民衆との間がもっと近かったら歴史が変わっていたかとの御話に、改憲するなら、やはり民衆からの底上げ議論が必要です。しかし、憲法を如何に民衆の手に取り戻すかは、ひとえに道場でしか論じられません。 それなのに、よしりん先生と意を同じくすると言う佐伯啓思さえ、昨年から森本、加計問題は、大したものでは無いと言い、公文書改ざんの発覚に到っても、尚、不確定な疑惑に騒ぎ過ぎと言っています。これではニュートンが落ちた林檎を見て万有引力の発見した伝説で、よく為される学問的態度を説明出来無くなります。 京大名誉教授にして、この有り様です。権力に全ての情報を握られて離されず、秘密にされれば、民衆は権力に抗しようが「一部の隙間も」無くなります。秘密保護法に賛成した長谷部恭男も、何ヶ月か憲法を研究していただけでは無いでしょう。 実際に権力の隠蔽に、今現在苦しみ、これから安倍晋三の改憲で、もっと酷くなる事を無学の者が憂いているのに、安易な舌を回している専門家には、頭を丸めて学界から去ってもらいたいものです。 よしりん先生が、初めにおっしゃった安倍晋三悪党一味が、恥を知らず、居直る事で延命する事を覚えてしまったと言うのが非常に衝撃です。大層な肩書きを持つものさえ、上のような状態では、道場の目指す、第三の改憲について広まるはずのありません。ひたすら、復活のゴー宣で先生が描かれ、我々が支持しても、どうしても限界を感じてしまいます。 ゴー宣読者は、一部の分からず屋を除き、いわゆる運動について懐疑的です。そこを利用して、均整のとれた節度有る何かを以って、第三の改憲について広められないか提案したく思います。質問の人にも同じ懸念を強く抱いておられる方がおりました。個人で活動する事は結構な事だと思います。そうで在るべきです。ただ、集団的に強く打ち出す方法を己が持っていないがゆえに、どうしても希求してしまいます。ただ提案しながら考えても、情け無くも、どうも思いつかないのです。 ストライキをストライキする労組の人達の御話が有りました。しかし、公文書改ざんの国家反逆を前にして、もう御上品な事は言っていられないのは確かです。 日本人は、人治主義の方がいいのでは無いかとの質問も有りました、本気で、そうは思っていないとは思います。それに、ゲストや師範方からは卑屈にならなくても良いとの御話が有りました。しかし楽観していると、あっという間に封殺されます。権力に封じ殺されている家族を幾つか見ているので他人事では無いです。 山尾議員が、自民の改憲手法で、初めに警戒する文言を入れ、徐々に妥協する文言に変えて行き、警戒を解く手法に注意と言う御話を、よく心得たいと思います。確かに「必要な自衛権」「最低限な自衛権」だけでも意味は変わります。「自衛の措置」と言う取ってつけた善良風な言い回しは注意したいと思います。 後、印象に残ったのは、個人主義と利己主義を、自称保守が履き違えている事や、自称保守は、憲法の力を信じながら守らず、護憲は憲法の力を信じず、文言に執着すると言う自己矛盾が面白かったです。村山談話と安倍談話の無残も笑えました。憲法の前文も、自信が有って個を確立させればいらないです。 何よりも憲法に死者の思いが入っているのは、まことにごもっともです。これを決して忘れてはならないと思います。我々も、いずれ死者の仲間入りをします。大いに憲法に、生存中の証を残したいと思います。
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山元教授、山尾議員と師範方に御礼申し上げます。
これより長文を失礼します。千文字弱でまとめましたけれども落ち着きません。短くしようと念を入れると、どうも上手くいきません。迷惑を顧みず、推敲は無しで自由に書かせて頂きます。
山元教授の憲法について基本的な御話を初めにしてくださって解りやすかったです。
憲法は、自国らしさばかりでなく、国際的に認められる為に法体系と裁判制度、総じて司法体系が重要なのは、黎明期ばかりで無く、現状日本が最も認識しなければならないと思います。今は、権力者と専門家の一部の者の為に憲法が在る状態で、本来に機能していません。
憲法は、義務だけでは無く権利が保証されてこそ憲法で在る事を心得たいです。帝国憲法も民衆との間がもっと近かったら歴史が変わっていたかとの御話に、改憲するなら、やはり民衆からの底上げ議論が必要です。しかし、憲法を如何に民衆の手に取り戻すかは、ひとえに道場でしか論じられません。
それなのに、よしりん先生と意を同じくすると言う佐伯啓思さえ、昨年から森本、加計問題は、大したものでは無いと言い、公文書改ざんの発覚に到っても、尚、不確定な疑惑に騒ぎ過ぎと言っています。これではニュートンが落ちた林檎を見て万有引力の発見した伝説で、よく為される学問的態度を説明出来無くなります。
京大名誉教授にして、この有り様です。権力に全ての情報を握られて離されず、秘密にされれば、民衆は権力に抗しようが「一部の隙間も」無くなります。秘密保護法に賛成した長谷部恭男も、何ヶ月か憲法を研究していただけでは無いでしょう。
実際に権力の隠蔽に、今現在苦しみ、これから安倍晋三の改憲で、もっと酷くなる事を無学の者が憂いているのに、安易な舌を回している専門家には、頭を丸めて学界から去ってもらいたいものです。
よしりん先生が、初めにおっしゃった安倍晋三悪党一味が、恥を知らず、居直る事で延命する事を覚えてしまったと言うのが非常に衝撃です。大層な肩書きを持つものさえ、上のような状態では、道場の目指す、第三の改憲について広まるはずのありません。ひたすら、復活のゴー宣で先生が描かれ、我々が支持しても、どうしても限界を感じてしまいます。
ゴー宣読者は、一部の分からず屋を除き、いわゆる運動について懐疑的です。そこを利用して、均整のとれた節度有る何かを以って、第三の改憲について広められないか提案したく思います。質問の人にも同じ懸念を強く抱いておられる方がおりました。個人で活動する事は結構な事だと思います。そうで在るべきです。ただ、集団的に強く打ち出す方法を己が持っていないがゆえに、どうしても希求してしまいます。ただ提案しながら考えても、情け無くも、どうも思いつかないのです。
ストライキをストライキする労組の人達の御話が有りました。しかし、公文書改ざんの国家反逆を前にして、もう御上品な事は言っていられないのは確かです。
日本人は、人治主義の方がいいのでは無いかとの質問も有りました、本気で、そうは思っていないとは思います。それに、ゲストや師範方からは卑屈にならなくても良いとの御話が有りました。しかし楽観していると、あっという間に封殺されます。権力に封じ殺されている家族を幾つか見ているので他人事では無いです。
山尾議員が、自民の改憲手法で、初めに警戒する文言を入れ、徐々に妥協する文言に変えて行き、警戒を解く手法に注意と言う御話を、よく心得たいと思います。確かに「必要な自衛権」「最低限な自衛権」だけでも意味は変わります。「自衛の措置」と言う取ってつけた善良風な言い回しは注意したいと思います。
後、印象に残ったのは、個人主義と利己主義を、自称保守が履き違えている事や、自称保守は、憲法の力を信じながら守らず、護憲は憲法の力を信じず、文言に執着すると言う自己矛盾が面白かったです。村山談話と安倍談話の無残も笑えました。憲法の前文も、自信が有って個を確立させればいらないです。
何よりも憲法に死者の思いが入っているのは、まことにごもっともです。これを決して忘れてはならないと思います。我々も、いずれ死者の仲間入りをします。大いに憲法に、生存中の証を残したいと思います。