今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■有名人のタイムラインを見てると心が汚れる件(メカAG)
俺自身はTwitterをやめてしまった件は何度か書いた。一つはTwitterに何か書くとそれが妙にガス抜きになってしまって、ブログを書くモチベーションが下がってしまうと感じたから。もう一つは、十分気をつけてたつもりなのに、やっぱいつの間にか自分と同じ考えの人間ばかりフォローしてて、これはやばいと感じた点。
それ以来自分はやめたけど有名人のなん人かのツイートは追いかけてるんだよね。メンバーはその時によって入れ替わる。ただね…なんかやっぱ気持ち悪さを感じてしまう。
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有名人本人のツイートの内容については置いておく。問題はそのフォロワーのツイート。やっぱ提灯持ちで気持ち悪いんだよね。あからさまな提灯持ちは論外としても、有名人のツイートに便乗して「こういう話を聞いたことあります」的に、それと同系統の話を提供する。
話自体はあくまで独立した話として聞くなら、それなりにまともだったり、価値があったりする。しかし…それが寄り集まるとね…。なんとも「異常さ」を感じてしまうんだよね。一つ一つの情報自体はそこそこまともでも、集合の仕方が気持ち悪い。
大量に同質のものがいっぺんに寄せ集まると、なんか気持ち悪いんだよね。ある意味「蓮乳」画像的な。つぶつぶがたくさん寄せ集まると気持ち悪い。つぶがひとつならそうでもないのに。(あ、「蓮乳」で不用意に検索するとグロい画像が大量に出てくるので注意してね。一応注意喚起はしましたよ、っと)。
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どうなんですかねぇ。人のタイムラインを読んでるだけでこれだけ気持ち悪いのだから、本人は相当影響を受けるのではなかろうか。続けてるとだんだん精神を病んでいくのではなかろうか。
むろん逆の気持ち悪さもあるだろう。よくみんながネを上げるように、批判の意見ばかり殺到して袋叩き状態になる。しかも意味のある意見は少なく、内容がない感情的なものだったり、内容があっても既出の意見の繰り返しだったり。
この2つの害は同じぐらいだと思う。同意する意見ばかりでも精神を病むし、反発する意見でも精神が耐えられない。ただ多くの人は自分に同意する人間・好意的な人間を拒否したくないので、とかく批判的意見ばかり「ネットイナゴ」とかいって目の敵にするけど、実は(自分では必死に意識の上に登らせまいとしてるかもしれないけど)、同意する意見もそれに負けず劣らず拒絶反応を起こしてるのではなかろうか。
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俺の場合、批判的意見はわりと慣れてるんだけど、同意する意見はどうもね…。苦手というか、これもむかし書いた気がするが、俺がなぜ必要以上に乱暴で横柄な態度をとるかというと、俺の信者を作らないため。
むかしは俺もネットでもう少し「マシ」に振る舞ってたんだよね。そうしたらなんか俺の信者みたいなのができて気持ち悪いのなんの。振り払っても振り払っても「その通りです」みたいに…もうね、批判なら反論できるけど、肯定しかしない人間をどうやって振り払ったらいいのかと、ほとほと困り果てた。んで味方を真っ先に攻撃するスタイルになったわけですな。俺の味方をする奴は真っ先に俺が殴る!と(苦笑)。
ただこの「ひたすら自分を肯定する他人」の有害さは、気づいてない人も多いように思う。気をつけた方がいい。自分の思考に悪影響を与える。と言うかその自覚がなくなった時に、真に危険。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年09月24日時点のものです。
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