今回はそーきさんのブログ『(´・ω・`)まったりいこうぜ』からご寄稿いただきました。
■ドロップアウトなんて誰にでも起きることだと思うのだけど。((´・ω・`)まったりいこうぜ)
たまには真面目な話もして好感度を上げようという作戦です。ただ炎上怖いです。
「とある自活できてない非正規社員のこれまで」 2014年09月01日 『さらさら録』
http://baumkuchen.hatenablog.jp/entry/とある自活できてない非正規社員のこれまで
これを見ながら色々と考えることがあったので書こうと思いました。
なぎさらささんほどの経歴は無いのですが……一応今は自営業やってます(ほぼ無職みたいな感じですが)。レールに乗っていたらたぶん教員になっていました。同期はほぼ教員になっていますしね。
自分の場合、ドロップアウトのきっかけは実習でしたが。守秘義務とかあって詳しくは話せませんが、結構きつかったなぁと思います。今は随分と待遇が良くなったそうですが、それまでに死人と入院した人が出るとか言えばどういう現状だったか分かるかと思います。おかげさまで現在も通院と服薬しながら生きています。
それはそれとして。さらさら録さんで書かれているように現状はいわゆるドロップアウトした人に対して厳しいとは身を以て感じます。そういう人たちには大きく分けて2通りあります。一つは自分から社会に見切りをつけたドロップアウト組。もう一つは自分ではの染まずドロップアウト組。前者はベンチャー立ち上げとかでしょうか。後者は派遣切りとかどうしようもなくてそうなってしまったというパターン。出生の関係も後者でしょう。自分やなぎさらささんは後者かなと思います。後者の人の方が数としては多いですし、困っている割合も多いでしょう。
話は少し変わります。生活保護について。不正受給などがあり風当たりが強くなっている印象があります。不正受給はやってはいけないことです。それは当然受給すべきでは無いでしょう。ただそれに伴い窓口で申請を拒否するという例もありました(公務員としてこれはダメですが。申請は受け取ってその後に審査をするのが行政手続法*1第7条「申請に対する審査、応答」で決まっています)。世間の風当たりも随分と厳しくなりましたし、本当に困っていて受け取るべき人たちが受け取れない事態も発生しています。
生活保護などは「セーフティネット」と言います。一度は聞いたことがある「生存権」ですね。日本国憲法第25条『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。』にあたります。最低限度の定義はよく問題になりますがここでは省きます。
このセーフティネットというのは「何かあった時に生きていても良いんだよ」というものだと思っています。人は生まれた時から生きる権利を持っています。義務ではありませんがw
ゴーゴーファイブのOPでも「ひとつの命を救う人は 無限の未来を救うこと」とも言っていますし。将来どうなるか分からないわけです。極論でしょうが一度生活保護になっても、そのうち高額納税者になる可能性があるわけです。もしそこで救わずに見殺しにした場合、その将来の資産を捨てたことになるんですね。
さて、この「将来どうなるか」というのはこうした幸福に向かうことではなく、上記のように突然解雇される、会社がなくなる、事故にあって障害を負う、など負の将来もあります。
生活保護を受給する奴はクソだみたいな意見を時々見ますが、どうして将来生活保護を受けないと言い切れるでしょうか。
障害者は税金を食いつぶしているとかも見ますが、自分がどうして将来障害者にならないと言い切れるでしょうか。
誰だって選択を誤ることはある。病気をすることもある。思わぬことで正社員ルートから落ちてしまうことがある。糊口をしのぐのに精一杯で、スキルなんて積んでいられない人がいる。
将来への不安で眠れない夜を過ごす人もいる。
お金も自分への自信もなくて、結婚はおろか恋愛なんて考えられない人もいる。こういう人たちを、自己責任と切り捨ててしまうのはどうなんだろうね。
上のようにさらさら録さんのエントリーで書かれていますが、それと一緒ですね。
自分はルートを外れて、どうにか生きているような状態です。実習から色々とあって、何度自己責任だと言われたかなぁと思い出しました。自分はどこで選択を間違ったのか。大学に進学したのがダメだったのか。自分の夢を叶えようといたのがダメだったのか。それともその夢を見たのがダメだったのか……そう思うことは数えきれずです。
過去を振り返ってもどうにもできない。前を向け。と励まされることもありました。その前にある、先に何があるのか。何もないんですよ。お先真っ暗とはこのことですよw 今までの選択肢が間違っていたかもしれないという不安がある中で将来を選択することがどうしてできるでしょうか……。
もしこうした非正規や生活保護の問題を考えたり語るのであれば、その時には『もしかしたらこういう事態になるのかもしれない』と思ったら少し優しい社会になるのかなぁと思ったりしました。
別にネガティブになれではなく、そういう時にどうしたら良いのかを調べたり、感心を持つってことでも良いと思います。他人事ではなく少し自分に関連づけてという感じです。
執筆: この記事はそーきさんのブログ『(´・ω・`)まったりいこうぜ』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年09月09日時点のものです。
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