今回は佐々木 俊尚さんのブログ『Sasaki Toshinao』からご寄稿いただきました。
■アルジェリア人質殺害事件とメディアスクラム
アルジェリア人質殺害事件での被害者名の問題について、昨日もFacebookで書いた*1。私の意見を要約すれば、以下のようなこと。
*1:「佐々木 俊尚」 『facebook』
http://www.facebook.com/sasaki.toshinao/posts/10151369150747044
つまり、新聞記者は『一人の人生を記録し、ともに悲しみ、ともに泣くため』などと高邁な理想で被害者の実名報道の重要性を語るけれども、実際にやってるのはメディアスクラムで遺族を追いかけ回しているだけ。つまり新聞記者の側は、「理想とすべき報道理念」を語っているけれども、遺族取材を批判する人たちは「現実の報道の姿勢」を問題にしているということ。
この乖離を埋める努力をしない限り、新聞記者の理念などだれにも理解されないよ、ということを書いたのだった。
しかしこの乖離を(たぶん無意識のうちにだと思うけれども)回避させている意見が、今日にいたってもあいかわらずマスメディアの側に目立っている。
たとえばカバの人が語るイメージ先行のメディア批判とメディアの説明責任*2というTogetterのまとめ。このカバオ・クリシュナさんは報道の業界の方じゃないかと思うのだが、以下のように書かれている。
*2:「カバの人が語るイメージ先行のメディア批判とメディアの説明責任」 『togetter』
http://togetter.com/li/443640
「日揮社員の実名匿名問題について一言だけ。遺族の感情を慮るのは大事だけど、なぜ『マスコミが取材に行くと遺族が傷つく』という前提で話をしようとするのか。震災の時もそうだったが、現場の記者が信頼されていなければ世に発信できなかった遺族のストーリーはたくさんあった。これも遺族取材の成果」「ザクッと言うと、遺族取材ってものすごくしんどいんですよ。声かけるのだって憚られるというか気が重い。正当化するわけじゃないけど、遺族の感情を正面から受け止めようとするのは軽い覚悟ではできない。それでもやる価値があると思うからやります。意味がないなんてことは絶対にない」
「遺族取材がすべてメディアスクラムだと思っている時点でスタート地点が違いすぎる」
この気持ちは私もよくわかる。遺族取材というのは実に気が重く、たいへんな取材だからだ。それはその通り。
しかし。ここでカバオさんが言ってる「遺族取材」、私も同意した「遺族取材」というのは、事件発生直後のメディアスクラムのことではない。たぶんここで言われている「遺族取材」というのは、事件発生からだいぶ日にちが経っていたり、まだ他社の記者が気づいていなかったりして、自分以外には取材者がいないという状況。つまりメディアスクラムにはなっていない状況の中での取材のことだ。
以下の新聞記者おふたりの意見も、そういう「非メディアスクラム遺族取材」を念頭に入れて書かれている。
福島香織さん(@kaokaokaokao)「遺族取材して、裏切られた、傷つけられたと取材対象に思われるのは、すべて記者の能力と姿勢と信義の問題。きちんと、心開いてもらって、話終わって、供養になったと言われる記者も実際いる」
斗ヶ沢秀俊さん(@hidetoga)
「私も昔、何度も遺族取材をしましたが、申し訳ない気持ちで話を聞きに行きます。もちろん、門前払いもありますし、話をしたくないと言われたら、無理に聞こうとはしません。多くの記者はそうしていると思います」
私はお二人の気持ちはとてもよくわかる。でもその一方で感じるのは、「なぜかみなさん、自分も自分に近い人もメディアスクラムには関係がなく、真っ当な取材をしていると言いたがるね」ということだ。まあ「私はメディアスクラムをしてきました」とは書きにくいだろうからかもしれないが、ではそういうメディアスクラム的な非道な取材をしている人がそんなに稀なのなら、なぜあれほどの社会問題になってしまうのだろうか? メディアスクラムの記者はいったいどこにいるんだろうか?
さらに言えば今回、アルジェリア事件被害者遺族をだまし討ちにして取材した朝日記者*3は、そんなに例外的な存在なのだろうか? なぜこれほどまでに情報が公になるインターネット時代になっても、同じようなことをくり返す記者が出てくるのはどうしてなのだろうか?
*3:「アルジェリアのテロ犠牲者の、朝日新聞の実名報道に対する遺族関係者のツイートまとめ。」 『togetter』
http://togetter.com/li/443787
残念ながらカバオさんや福島さんや斗ヶ沢さんのことばからは、そうしたメディアスクラムの実態はまったく見えてこない。彼らはメディアスクラムとはまったく無縁なのだろうか? 新宿署とか渋谷署のサツまわりの経験などいっさいないとでも言うのだろうか?
私は毎日新聞でサツ回りも警視庁も担当し、そしてメディアスクラムにも実際に加担していた。罪重き加害者である。被害者遺族にひどい取材をして、泣かせてしまったこともある......。
少し説明しておこう。
警察の事件捜査には、2段階がある。まず発生があり、110番通報などで事件発生が報じられ、現場に急行した所轄署のパトカーなどが事件性を認知すると、まず最初に現場に派遣されるのはキソウこと機動捜査隊だ。彼らは徹底して初動だけを担当し、現場保存し、目撃者を確保して話を聞いて住所氏名などを確認し、被疑者が近くにいるようであれば身柄確保を行う。
ここで事件が解決していなければ、捜査一課が出張ってくる。キソウは現場を一課に引き継いですみやかに撤収。一課は所轄の刑事などをあつめて捜査本部を設置し、そこから本格的な捜査を開始する。
警察と同じように、マスメディアの事件取材も2段階ある。まず第1段階として「殺人が起きた」「テロが」「爆発が」といった一報が警察や消防庁などからもたらされると、たいていの場合はサツまわりの若い記者が現場に投入される。東京で言えば、新宿署(第四方面本部)や上野署(第六方面本部)など、各方面の中核署の記者クラブに配置されている若手記者。彼らが警視庁担当の中堅記者の指示を受けて、現場で目撃者捜しをしたり、被害者の遺族の家にまわって「遺族の声」をとってきたり、さらには顔写真も入手してくる。
地方の支局だと、入社したばかりの一年生記者が担当する。テレビ局は事件記者の人数が少なくて方面まわりがいないので、警視庁担当の記者がそのまま現場に出向く。さらにワイドショーや週刊誌の記者もやってくる。
そしてメディアスクラムが起きるのは、このような記者やディレクターたちでワサワサ大騒ぎになっている時だ。大事件になればなるほど、さらに長期化すればするほどに現場や遺族宅には記者たちが長く張り付き、さらに親族や友人、同窓生にまで取材の範囲を広げ、メディアスクラムの被害を広げていくことになる。
こういう現場では、たいてい他社の記者といっしょになってしまうので、独自取材ができることはすくない。そのかわりに集団心理が働いて「怖い物なし」の状況になり、それこそ郵便ポストをあさったり、生け垣から中をのぞき込んだり、といった不当な行為にまで発展することになる。ほとんどフーリガンの乱暴行為のようなものだ。
さらに運良く自分の出向いた場所に他社の記者がいなかったりすると、「これは特ダネだ!」という熱狂が生まれる。「早く取材して早く書かなければ、他社に追いつかれてしまう!」と功名心に焦り、そしてやはり「書かないでと言われたのに書いてしまった」というような不当行為に発展するケースが多くなる。たぶん朝日新聞のケースはそのような類じゃないかと思う。私もそのような心理は事件記者時代によく経験したので、気持ちは良くわかる。
さて、これらはいずれにしても事件報道の「初動」だ。メディアスクラムや不当行為を招きやすい初動が終わると、事件報道は長い長い「事件あの日からその後」モードに入る。そういう時期になると、被害者や遺族や関係者といった人たちもずいぶんと落ち着いてくるので、取材に応じてもらえるチャンスが増えてくる。さらに取材する側も、じっくり時間をかけることができるようになるので、きちんと礼儀を尽くした取材をできるようになる。
たとえば『月刊文藝春秋』や『婦人公論』といった月刊誌に、事件被害者遺族の長い手記みたいなのが掲載されることがある。月刊誌はその性格上、速報を優先せず、初動に引きずられなくてもよいので、そのかわりに記者がじっくり被害者遺族にアプローチできる。月刊誌が手記を獲得しているケースが多いのはそのためだ。
新聞であっても、初動以外に連載企画や単発の読み物記事などで、被害者遺族にじっくり取材することはある。こういう取材はていねいに行えるし、もちろんカバオさんが言うように「ものすごくしんどい」のだけれども、記者としてのやりがいはたいへんある。被取材者からも「良い記事を書いていただきました」と感謝されることが多いし、読者からも「きちんと発掘してインタビュー取材した良い記事だ」と評価されることが多い。
私自身の経験をひとつ挙げると、1994年2月に起きた富士フイルム専務殺人事件。私はこの年の4月に新宿署記者クラブの四方面まわりになり、5月には総会屋取材班に放り込まれて、「富士フイルムの事件の奥さんに取材せよ」と命じられた。それでじっくりと世田谷区の専務の自宅に通い、やがて被害者の奥さんからお話をうかがうことができた。当初はおそらくメディアスクラムでほとんど家を一歩も出られなかったと思うが、3か月後にひとりでやってきた新聞記者には、胸襟を開いてくれたのだった。
以下のような記事を書いた。
二月二十八日午後九時、通子さんは新婚旅行中の二男のために、テレビドラマをビデオ録画する準備をしていた。インタホンが鳴り、鈴木さんが「塀に車をぶつけられたらしい」と、外に出た。通子さんが次に聞いたのは異様な叫び声だった。そして玄関ドアがバタンと開き、鈴木さんは「ママ」と叫んで玄関の中に倒れた。頭が深く傷つき、右足から血が流れ続けた。口は動くが、声は聞こえない。通子さんは頭を抱え「何か話して」と叫び続けた。「主人が総会屋と会うような仕事をしているとは、夢にも思いませんでした。警察からは個人的な恨みの話はまったく出ていないと言われましたし、会社関係のことで殺されたと思うのですが......」。通子さんは事件当時のことに触れると目を赤くした。
総会担当時代の鈴木さんは多忙で「毎日がきつそうだった」という。だが「総務を離れてからはずいぶん気分的に楽になったようでした。二人で外出することも多くなったのに」。一瞬声を詰まらせた。鈴木さんが総会担当を外れたのは昨年一月。通子さんが取り戻した平穏な生活は一年余りしか続かなかった。
事件後、玄関のインタホンはテレビカメラ付きに替わった。会社が雇った常駐のガードマンが夜通し警備している。
今は、生活や将来への不安で頭がいっぱいという。「会社の人は、主人が総会屋と会ったりしてはいないと言っていた。事件の補償なども、原因が分からない以上、一切出ないと説明された。会社なんてそんなものでしょう」と語る。
「私は今も犯人を憎いとはなぜか思えない」と通子さん。「きっとだれかの命令。手先にしかなれない人間がやったと思うと、かわいそうとしか思えない」。淡々とつけ加えた。
しかしこういう取材ができる機会は、そう多くはない。たいていの場合は、初動で現場に向かわされ、他社の記者やワイドショーのカメラマンとかに混じって、多人数で被害者宅におしかけてピンポンを鳴らしまくったり、郵便ポストの中を覗いたりしている。私もそういう非道な取材は、覚えていないぐらい無数にやった。そういうことを打ち明けるのもイヤになるが、やった事実は変わらない。お天道様は見ている。
上司から「法律に違反してでもいいから関係者宅の住所を突き止めろ!」とか言われて突き止めたことも何度かあるし、「この電話番号の持ち主の住所を調べよ」みたいな無茶な要求をされて、やっぱり今思ってもかなりひどいことをして住所を調べたこともある。やった内容は怖くていえない。
私は「ちゃんとした遺族取材をしてる記者はたくさんいる」「世の中はメディアスクラムだけじゃない」とかいう気持ちがまったく起きない。だって、あなたもやったでしょう? やってないとは言わせませんよ。
だから重要なのは、「遺族取材は重要だ」とか「被害者の実名は大事だ」とかあさっての理念を語ることじゃない。
だってそんなもの、それぞれの個別事例でしか論じられないことじゃないか。遺族取材ができる機会があればちゃんとすればいいし、そのときに礼儀を尽くせばいい。被害者の遺族が実名を認めるのなら実名報道すればいいし、匿名を求めているのならそっとしてあげればいい。報道する側が「実名にせよ」「遺族取材させよ」などと一律に求めるなんてことが、あっていいわけがない。
そうやって実名や遺族取材は一律に認めさせようと思うくせに、メディアスクラムに関しては「そういう記者ばかりじゃない」となぜか例外的に扱うのはあまりにも変だ。
要するにマスメディアの業界の人は、遺族取材に対する批判にこたえるときに、「初動取材のメディアスクラム」のことは意識的にスルーして、「事件その後のじっくり遺族取材」の素晴らしさや困難さばかりを口にする。これはあまりにもずるいよね。業界外の人が取材の実態を知らないからとたかをくくって、「不都合な真実」を秘匿してると言われてもしかたないのでは?
取材は個別に努力し、しかしメディアスクラムに関しては例外として扱わず、実はいまの新聞社やテレビ局における内在的な問題として対処する。そっちの方が正しいと思うんだけど。
執筆: この記事は佐々木 俊尚さんのブログ『Sasaki Toshinao』からご寄稿いただきました。
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