今回はSusumuAfricaさんのブログ『アフリカさるく紀行』からご寄稿いただきました。
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■太陽が陸に沈む国ーLome, Togo(アフリカさるく紀行)
南のビーチ沿いにトーゴへ入国すると、すぐに首都ロメの町が見えてきます。国境を越えてすぐに首都があるというのは、なんだか不思議な感じがします。というのも、何となく首都とは国の真ん中にあるものだという意識があるからです。そんななんだか不思議な気持ちのまま、陸(おか)に沈んでゆく夕日を眺めていました。
●呪術の行き詰まりと拡大
ロメのグランマルシェ(「中央市場」とでも訳しましょうか)から東に数キロのところに呪術市があります。十数軒の小屋のようなお店が、向かい合わせにずらりと並んでいます。呪術市の入口では、何とも言えない獣の悪臭が漂っています。店先にはずらりと、ヘビ、カメレオン、ネズミ、トカゲ、イヌ、ネコ、カナリア、ワシ・・・と数えきれないほどの物言わぬ獣の日干しが並べてあります。この「おどろおどろしい」というか、「まがまがしい」雰囲気そのものが呪術のパワーを演出しているような気もします。
アフリカにおける今日の呪術について述べる上で断っておきたいことは、呪術を利用する人々は西洋医学に基づく治療も用いるということです。東アフリカのスワヒリ地域では”Mganga”(伝統医、呪術師)がいますが、彼らが頼られるのは西洋医学に基づく治療で解決しようのない病、問題に出くわしたときだと言われています。つまり、心身の調子に不調をきたしたら、第一に西洋医学で治療をします。それでも治らないようなら不調の原因を何か呪術的な要因と照らし合わせて、呪術による治療を行っていくということです。また西洋医学で問題とならない範疇(政治、恋愛、商売など)に関しても、呪術による治療が行われます。
それぞれの店の小屋の中には呪術師が居り、彼らは小屋の外に出てくることはありません。私たちは薄暗い小屋の中へ促され、呪術師と挨拶を交わし、そしていくつかの呪術の道具について説明を受けました。私たちにとってどうしても衝撃的で印象深いのは先に述べた獣の日干しのような呪術具ですが、それと同程度に木製(多くは木彫り)の呪術具が使われています。
呪術師は今日の呪術を取り巻く状況についても説明してくれました。国際的な動物保護団体の活動や政府による取り締まりの中で、表立って呪術市をやっていくことは非常に困難になりつつあるようです。実際ここで呪術市を営んでいた呪術師たちも数名刑務所で服役しているとのことです。これらの服役囚は主にゾウやライオンなどの大型の動物を売買した人が多いと言います。また、取り締まりが強化された現在でも闇ルートで大型動物が流れてくることがあり、隠れたところで売買は続いているそうです。それらの動物はどこからくるのか、と尋ねると、周辺国から密輸されてくることが多いそうです。また、呪術はもともと農耕系の社会で盛んに見られるものでしたが、近年は牧畜系の社会でも使用されていると言います。また移民としてヨーロッパーやアメリカで暮らすアフリカ系の人たちによって、さらに白人によっても呪術が使用されるようになっているそうです。
国際的な動物保護団体や政府という外敵圧力によって呪術具取引が抑圧され、さらに情報メディアの発達で西洋医学の権威が呪術に取って代わり、「呪術離れ」が進行していくという流れとは相対して、呪術が世界レベルで広がりを見せているというのは特筆するべき点だと思います。1世紀前とは異なり、医療的選択肢を持つ人々が、呪術を選び取っているのは非常に興味深いと思います。抑圧と拡散という矛盾するように見える構造は、ときたま「原理主義的」と揶揄されますが、呪術を取り巻く状況はそれほど単純ではないと思います。また、呪術思想のみの問題だけでなく、呪術の実践により富を築いている人々がいるという経済構造も考慮しなければならない点だと思います。
説明を受けた後、個人的にこの呪術市を管理する人から話を聞くことができました。この呪術市を営む人々はみな、隣国ベナンのダホメーから来た人々だと言います。また、この呪術市はいつから開かれているのかわからないほど古いものだと言うことです。少なくとも管理人(50歳くらい)が産まれる前から、あったと言います。
ダホメーにはかつて強大なダホメ王国が存在していました。現在のダホメ王国は全盛期と比べて政治的権力も経済的地位も衰えていますが、王をトップとする権威構造は根強く残っています。この呪術市がロメで営まれているという点から以下の二つのことが考えられると思います。一つは、エウェの人々が暮らすロメにまでダホメ王国の影響が及んでいたということ。二つ目は、あくまでも推測の域を出ませんが、王国に従事する呪術師たちによって王国の権威が思想的な面だけでなく、経済的にも支えれている可能性があるということです。
ロメにおいて「正規」に行われている呪術市は、吹きさらしの広場にわずか十数軒の小屋のような店しかありません。しかしながら、目にすることはできない呪術を取り巻く状況は、ローカルに根強く、そしてグローバルに広く影響を受け、また与え続けて変遷しているのだと思います。
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●舞踊にみる歴史
週末の夜はアフリカンナイトと称され、アフリカの音楽やダンスに様々な場所で触れることが出来ます。私たちが滞在したキャンプサイトに隣接しているレストランでもアフリカンナイトが開催されました。セネガルから様々なアフリカ音楽に触れてきましたが、隣接する地域でも微妙な違いがあって非常に興味深いです。50以上もある国が「アフリカ」と乱暴に一括りにされるように、「アフリカ音楽」というのも往々にして一括りにされてしまいがちですが、楽器、リズム、歌、演じ手の違いは実に様々です。
ロメではエウェの人々の音楽とダンスに触れることができました。エウェの人々はかつてガーナのアクラを中心に居住しており、以前記事にしたエルミナなどに多くの奴隷を送る奴隷貿易の仲介者でした。しかし、アシャンティ王国の伸張により力を弱め、ここトーゴに逃れて来たと言います。奴隷貿易の蜜も毒も味わった、まさに時代に揉まれた人々と言えるでしょう。
そんな彼らの音楽ですが、1時間のパフォーマンスのうち、前半30分は伝統的な音楽を中心とする演技で、後半30分は完全なるアクロバット・ショーでした。前半の演技の終盤で、非常に興味深いダンスがありました。3人の若い男が木彫りの銃の模型を持って、敬礼をしたり腕立て伏せをしたりします。そして、子どもが動物を演じて、男たちによって狩りがされるというものです。一見すると動物狩りを演じているように見えますが、裏の文脈では奴隷貿易の歴史が垣間見えてきます。
なぜなら、銃はまだしも動物狩りをするために、敬礼や腕立て伏せをすることは考えられません。また、動物狩りを描くのであれば大型の動物を捕らえる方が華があるですが、ここでの獲物は一番の弱者である子どもでした。歴史的背景を考えると、敬礼や腕立て伏せはヨーロッパの軍隊を想起させ、弱者である子どもを捕らえる演技は奴隷狩りを想起させます。
演じ手自身にどれほど奴隷貿易の歴史を汲もうとするという意図があるかはわかりませんが、意識的にしろ無意識的にしろ奴隷貿易という歴史の影響は文化の中でも表出してきます。文化における歴史は簡単に功罪はつけられませんが、現在舞踊の中でこのように歴史が受け止められているという事実を確認させられました。
Twitter: https://twitter.com/susumuafrica
執筆: この記事はSusumuAfricaさんのブログ『アフリカさるく紀行』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年05月13日時点のものです。
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