今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■続・社会を語るか個人を語るか
佐々木俊尚のツイートで紹介されていたこの記事面白いな。
「要するに、トークイベントなどをして、お客さんを集めるわけです。内容も、どんどん自己啓発化しています。動物化すればいいじゃん、とか、友達作ろうぜ、みたいな感じで」「理由は「カネがないから」ではなかった! なぜか急増中の若手批評家が飯を食わないワケ」 2014年03月20日 『ダイヤモンド・オンライン』
http://diamond.jp/articles/-/50438
これを読んで思ったのだけど、最近の評論家って自己啓発と合体してるよね。前エントリで述べたことと重複するのだけど、昔の評論家って社会は~、国家は~と、小難しいことを語ってたと思うんだよね。ようするにあまり庶民の生活には関係ない(笑)。
一方ネットの言論人って、「こう生きればお得!」みたいな論旨が多い。経済だって昔は国家の行く末を論じてたのに、最近は主婦の買い物みたいな目線だし。
* * *
ある意味歴史の古い宗教と新興宗教の関係かもしれない。昔からある宗教は社会秩序を重視してると思うんだよね。「正しく生きる」というのも、あくまで良い社会を作ることが個人に取っても幸せなのだ、という方向。
一方新興宗教は、とにかく打てば響くようなわかりやすいメリット。天変地異でも自分だけ生き残れたり、宇宙パワーを授かったり、そうでなくても選ばれた存在として優越感に浸れたり。個人の短期的な損得が重要。
ネットの言論人もそんな感じだよね。言ってることはいろいろあるけど、結局は目の前の幸福や不幸をどうするか?みたいなことが中心。就活はこう乗り切れ!とか、若い時にどういう経験を積むべきか?とか。グローバル化時代の生き残り方とか。
* * *
でも新興宗教が(信者に約束したメリットの約束を果たせず)自滅するように、わかりやすいメリットを強調するネット評論家も、メッキが剥がれるのが早い。もっと人類の未来のための遠大な話にしておけば、いつ実現するかわからないから長持ちするのに(笑)。
わかりやすいメリットで信者を釣るのは即効性があるけど、有効期限も短い。やっぱ学校で習う学問みたいに、役に立つのかたたないのかよくわからない程度のものの方が、長続きすると思うんだよね。
たとえばグローバル化時代でいえば、どう振る舞えば得か?なんてのは論じるべきじゃない。それは個人個人が考えるべきこと。そのための背景となる知識(どういう世界になるか)を論じるべき。そういう社会の中で自分はどう向き合うか?は個人の問題だよねぇ。大学をやめろとか、学生時代はこう過ごせとか、アホかと思う。手相占いか人生相談か?!と。
関連記事:「社会を語るか個人を語るか」 201403月18日 『メカAG』
http://mechag.asks.jp/732170.html
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年04月02日時点のものです。
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