先日第86回アカデミー賞のノミネートが発表されました。
最新技術である3Dを使うことを骨の髄まで納得させてくれた『ゼロ・グラビティ』から
老巨匠の新作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』までバラエティ豊かな作品が
今年も主要候補に挙がりました。
私は自主映画を現役で制作しています。
共同監督であり、どっちかというとサブの立場なので演出に関して完璧なイニシアチブを
とったことはありません。
ありませんが、映像の演出をしたことがあるには違いありません。
その経験則から書きます。
私はカット割り(プリプロ段階でのショット構成としての絵コンテ作りやショットリストの作成を指す)
をするとき、「この映画みたいにしたい」と思った映画を、穴があくまで何度も見ます。
そのうえで、それを参考に絵作りや、寄り画、ヒキ画のバランスを考えて絵コンテを書きます。
それゆえ、今まで千本はくだらない数の映画を見てきました。
ですが、古い映画、特に1960年代半ばぐらいまでの映画を見て
これを参考にしたいと思ったことがほとんどありません。
映画評論家なんかが書いた名作映画関連の書籍を読むと、
古い映画がやたらと称賛されているものをたびたび見かけます。
American Film Instituteという機関が1998年に
"100 GREATEST AMERICAN MOVIES OF ALL TIME"(最も偉大なアメリカ映画100本)
を発表していますが、実にトップ10のうち5本がモノクロ全盛だった1960年以前の映画です。
http://www.afi.com/100years/movies.aspx
こういうのを見ると、古い名作映画ってヤッパリすごいんだなあ
なんて思ってしまいがちですが、本当に昔の映画ってそんなにすごいものなんでしょうか?
そりゃ、技術というやつは日進月歩で、撮影技術も録音技術も今のほうがずっとすぐれています。
技術的優位性ってことに関しては今の映画のほうがいいに決まっています。
だから、単に技術的に優れているから今の映画のほうがいい
なんてことを言うつもりはありません。
ですが、技術的優位という点を差し引いても、
私にはどうしても古い映画が無条件で良いものとは思えないのです。
古い名作映画が良いものとどうしても思えない理由について
映像の演出という観点からちょっと書いてみます。
(注・以下の文章は主に1960年ごろまでのアメリカ映画についての特徴を論証したものです)
■■映像のリズム
映像の演出にはいろんなセオリーがあります。
それについて知っていることを逐一説明するとあまりにも長くなってしまうので
今回の論を進めるにあたり、ひとまず、映像でリズムを作るということについて説明します。
「映像のリズムって何だ?」ってツッコミが入りそうですが、
一般的に言ってリズムのある映像というのは見てる人を飽きさせない映像のこと
だと私は思います。
見ている人を飽きさせないにはどうしたらいいか?
いろいろ方法はありますが、一般的なセオリーは二つあります。
●・編集で画替わりさせる
これは予算潤沢なブロックバスターでも、予算5万円の自主映画でも使われる
とっても汎用性の高い方法です。
皆さんは映画やドラマを見ていて、
Aという人が話している画だったかと思うと
Bという人の話している画に切り替わったり、
人物が映っていたかと思うと窓の外の景色に突然変わったり
というのを見たことがあると思います。
これは理屈の問題ではありません。
同じ画が延々と続くと飽きる
という人間の生理的欲求からくるものです。
意図的に同じ画を延々と続ける手法をアート映画でよく見かけますが
そういうのが一般受けしないのはこれも自明のこと。
同じ画を長回しさせる方法論は間違いではなく、アート系の監督はこれを実にうまく使いますが
こういうのが見ていて必ずしも楽しくはないのは何となく想像がつくのではないかと思います。
編集は映像にリズムを作るうえで極めて重要な技術です。
今日に至るまでカットバック、ジャンプカット、カットアウェイなど様々な手法が
今日まで発明されており、「映画は編集の芸術」なんていう言葉もあるぐらい大事です。
編集でリズムを作るというこの手法の極端な例がワンカットを異常に短くして
細切れの画をリズミカルにつないでいく監督たちです。
今年のアカデミー賞で『キャプテン・フィリップス』が作品賞候補になっているポール・グリーングラス監督
『物語』シリーズや『魔法少女まどかマギカ』のアニメーション監督、新房昭之などがこの極端な例です。
彼らほど極端にカットを割らずとも、多くの監督は編集でリズムを作っています。
というか、誤解を招くと嫌なので、くどくど書きますが、おおよそ編集に興味のない監督などあり得ません。
そのぐらい編集は大事です。
●・カメラワークでリズムを作る
カットをあまり割らずに、カメラを動かすことで画に動きを付け、そこからリズムを作る監督もいます。
クレーンを使ってカメラを上下に動かしたり、
ドリーと呼ばれる台車とレールでカメラを前後左右に動かしてたり、手持ちで被写体を追いかけたりして
画面にリズムを作るのが彼らのやり方です。
画面が動けばそれにつれて画もかわります。
それによって見る人を飽きさせないのがこの人たちの手法です。
カメラを三脚に据えてとるショットをフィックスカットと言います。
これはもっとも基本的で、最も安定感のある手法なのですが、潤沢な予算のあるハリウッドではただのフィックスカットはほとんど見かけません。
アメリカのテレビドラマでもフィックスに見えて少し動いているというカットは非常に多用されており、その辺がハリウッドらしいダイナミズムを生んでいるとも言えます。
言わずと知れたスティーブン・スピルバーグ監督、『ゼロ・グラビティ』のアルフォンゾ・キュアロン監督
日本の監督だともはや少数派になってしまいましたが『相棒』シリーズの和泉聖治監督や大ベテランの大林宣彦監督
なんかがこの例です。
この辺のことを織り込んだうえで古い映画、特に1960年ぐらいまでのアメリカ映画を見てみてください。
古い映画は全然カットが切り替わらないし、カメラもあんまり動きません。
だからなんか飽きちゃうんですよね。
古い映画が好きだという人を率先して批判する気はないけど、
どうも私は駄目です。
■■視点誘導
私が古い映画が苦手な理由その2がこれです。
視点誘導とは、観客に対して特に見せたいものを見せる
ことをいいます。ざっくりした説明ですけど。
方法はいくつかありますが、まずはフォーカス(焦点)です。
映画をみているとよく、
画面の手前に移っている人物だけしっかりとピントが合っていて
後ろの背景がボケボケになっている
というのを見ませんか?
このように手前にだけ焦点を当てるのをシャロウフォーカスといいます。
このように奥が見えないことで、はっきりと焦点が合っている手前にだけ観客の意識が集中します。
(ちなみに画面全体にピントが合ってるのをパンフォーカスと言います)
また、二人、あるいは複数人の人物が会話しているシーンを思い浮かべてください。
一般的な手法の映画なら、話している人とそれを聞いている人のリアクションが交互に映し出されるはずです。
これは編集によって話していると聞いている人の表情や仕草を見せるための方法で、
カットを割ることでリズムを作ると同時に、作り手の見せたいものに観客の視点を誘導しているわけです。
また、この際、見せたいのは表情や身振り手振りですから、
胸から上のバストアップか顔だけのクローズアップで構成していくのが一般的です。
これらを念頭に置いたうえで、古い映画を見てみてください。
横並びになった二人の人物の膝から上あたりがパンフォーカスで入ったミドルショットが何十秒も続く
なんてのを結構見るはずです。
ミドルショットは人物や物の位置関係を説明するには最高の手段ですが、
画面がスカスカに空くので緊張感がなく、はっきり言ってダサいですし、
どこを特に見せたいのかがよくわかりません。
このミドルショットを全く使わないと、位置関係が分からなくなって観客が混乱するため
ある程度は使うべきなのですが、こればっかり続くのは映像文法としてよろしくないです。
また、画面がパンフォーカスで全体にピントが合っているため
すべてがはっきりみえてしまい、逆にどこを特に見せたいのかがわかりません。
■■まとめ
まとめるとリズムが悪い、どこを見せたいのかわからない
が個人的なクラシック映画の感想です。
全部が全部そうというわけではありませんが、クラシック映画はこの二つの要素を兼ね備えているものが
非常に多く、正直映像の勉強の上でもあまり参考になるものではないかなと思うわけです。
(とはいえ、それらの映画は映像史の発展の上で何らかの役割を果たしているわけで、その存在自体を
否定してやろうなどという気は毛頭ありません)
とはいっても、古い映画だからダメなんていうつもりはありません。
「パンフォーカスが」という話をしましたが、
日本が生んだ大巨匠、黒澤明はこのパンフォーカスを好んで多用しました。
黒澤監督の場合、「背景や後ろの動きにも意味をもたせる」ためにあえてこの手法を使っていたわけで、
往年のハリウッド映画と違ってパンフォーカスであることにちゃんと意味があります。
『七人の侍』は1954年の映画ですが、この映画は今見ても圧倒的に優れています。
おそらく日本映画の真の金字塔として今後も語り継がれていくことでしょう。
また、ここに挙げてきたクラシック映画の特徴はアメリカ映画限定のもので、
日本やヨーロッパの映画には今見ても十二分に魅力を感じるものが結構あります。
イギリス映画の『アラビアのロレンス』は1962年の映画ですが、これは現代の技術でも再現不可能
と言われています。
『東京物語』は1953年の映画で、技術的にはまったく大したことはやっていませんが、
内容的にも演出的にも見るべきところが非常に多い映画です。
また、『或る夜の出来事』は1934年、『雨に歌えば』は1952年アメリカ映画ですが、とても楽しい映画です。
往年のハリウッド風演出がどうしても腑に落ちない私ですが、この映画は好きです。
『アラバマ物語』(1962)の硬派な作りも好きです。
つまり私が何が言いたいのかというと、評論家の言っていることは鵜呑みにせず
いろいろ試してみてください、ということです。
ちなみにですが、もし、あなたが何らかの事情で何が何でも古い映画を見なければいけないというのであれば
1970年代の映画をお勧めします。
1970年代は『ゴッドファーザー』『スターウォーズ』『タクシードライバー』などの
数々の歴史的傑作が生まれており、この時代の名作映画はどれも見ごたえがあります。
以上、映像で食っているわけでもない若造の繰言でした。
映像の演出方法についてはもっと詳しい人からツッコミが入りそうですが
若輩者の繰言と思ってご容赦ください。
(画像・American Film Instituteの公式サイトより)
※この記事はガジェ通ウェブライターの「ランボー怒りの深夜勤務」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?
コメント
コメントを書く