今回はsidaisyokuinさんのブログ『私立大学職員のブログ』からご寄稿いただきました。
■日本の大学は、偏差値で輪切りにされている
大学で働いていてマズいなと思うことの一つが、教職員が未だに偏差値を気にしすぎていることだ。
大学がそれぞれ独自の特徴を出さなければ生き残れないのだ!という論があって、どの大学も頑張っているのだけれど、特徴の出し方が、どうも保守的に見える。
なかなか、ある一定の枠(偏差値の序列)から抜け出せない。
偏差値が高い方がエラい、ということになっていて、多くの大学が競って上位の偏差値を目指す、という状態になっている。
するとどうなるか。
例えば、総合大学は日本にたくさんあるが、どれも有名私大のコピーになる。
偏差値が高い方から順に、A大学(有名私立大学)→B大学(A大学のコピー)→C大学(B大学のコピー)となってしまう。
コピーと表現したが、誤解を恐れずにいえば「劣化版」ということだ。
上位の大学を超えるために、上位の大学の真似をして、超えて行こうとする。
しかし、上位の大学を模倣するだけでは、その大学を超えられないので、自然と「劣化版」になる。
こうした状況下では、A大学に入る学力があるのに、あえてC大学に入る、という選択肢はありえない。
だってC大学はA大学やB大学の劣化版だから。コピーが原本の魅力を超えないのは当たり前であろう。
学力さえあれば、A大学に入りたい。でも学力がない。だから我慢してC大学に入る。
本当はA大学に行きたかった。そういうことになる。
偏差値で輪切りになっているのだ。
そして、この輪切りになった偏差値に支配された価値観に、日本の大学全体が未だに汚染されている。
理由は、中の人である教職員が、この価値観から抜け切れないからだと考えている。
別に偏差値を否定しているわけではない。一定の評価指標になりうるだろう。
けれど、「偏差値を上げて、人気が出るように頑張ろう!」というのは、自分以外の誰かが作った基準に踊らされているという点で、相当に愚かしい。
偏差値を上げるために、受験科目を少なくする・・・・・・。そうなっては本末転倒だ(これは、もはやほとんどの私立大学がやっている)。
大学は、学生にどんな教育を提供できるか、ただそれだけで勝負すべきだ。
偏差値のような、操作可能な指標に踊らされてはいけない。
以上のようなことは、「偏差値に利用されている」からマズいのであって、逆に「偏差値を利用する」のならば、問題ない。
具体的には、「偏差値50以上の学生はいりません。入試を受けても落とします。優秀すぎます。偏差値40未満の学生だけ来てください。あなたたちを鍛え上げ、立派な職業人として送り出します。」という大学があっていい。
こういうことを、勇気を持って実行できた大学があったとしたら、その大学はもはや、上位の大学のコピーではなくなっているだろう。
執筆: この記事はsidaisyokuinさんのブログ『私立大学職員のブログ』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年12月27日時点のものです。
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