今回は高田昌幸さんのブログ『ニュースの現場で考えること』からご寄稿いただきました。
※この記事は、2013年11月07日に書かれたものです。
■「強制しない」と首相が約束した国旗国歌法。それがつくった今の社会
もう15年近くも前の1999年9月、ニュージーランドのオークランドでAPEC首脳会合があった。私は当時、北海道新聞の東京政治経済部で日銀・大蔵省(現財務省)を担当していて、現地に出張した。会その3晩目だったと思う。小渕恵三首相と記者団との懇親会が海沿いのレストランであり、食事中ずっと、小渕氏の右に座った。丸いテーブルには6-7人。長く小渕氏に仕えた政務の秘書官やどこかの省庁の幹部もいた記憶がある。
ほとんどが冗談話だった。内容もほとんど記憶していない。ただ、自分なりに「これだけは総理に聞いてみよう」と考えていたことがいくつかあって、そのうちの一つが国旗国歌法だった。調べてみたら、この法律の発布・施行は1999年8月13日。APEC首脳会合が9月12、13日だから、法律ができてちょうど1ヶ月後だった勘定になる。国旗国歌法案の衆院提出はこの年の6月末で、衆院通過までに要した時間はおよそ1ヶ月だ。
法案審議は迅速だったが、賛成一色で法案が法律になったわけではなかった。思想信条の自由と強制性の問題、学校教育現場と行政の関係、戦争の歴史とアジアの反応。いろんな問題がテーマになり、国会の内外、あちこちで種々の議論が起きていた。当時、小渕氏が国会で言明した有名な答弁がある。その後、なんやかやで忘れられた感じがするが、こんな内容だった。当時の衆院本会議の議事録から要約・抜粋してみよう。「日の丸掲揚などが強制になるのではないか」という趣旨の質問に対する答弁だ。
< 政府の見解は、政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている旨を明らかにしたものであります。なお、学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、ひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているものであり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております。 >
< 法制化に伴う義務づけや国民生活等における変化に関するお尋ねでありましたが、既に御答弁申し上げましたとおり、政府といたしましては、法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。 >
小渕氏の発言は他にも縷々存在するが、要するに「法律はできても強制はしませんよ、政府はそんなことしませんよ」と言っている。小渕氏とは別に、衆院文教委員会で答弁した政府委員は
「(掲揚や斉唱の指導に)単に従わなかった、あるいは単に起立しなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるというようなことはあってはならない」と答えている。ここでも、要するに「強制はしない」である。また、当時の文部大臣はこう答弁している。
「本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理に口をこじあける、これは許されないと思います。しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、他の人にも自分はこうだということを押しつけて、他の人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げているのです」
教員らが「内心の自由」の下で、本当に嫌だったら強制はしない、という内容だ。その上で、「嫌を他人に押し付けたらいけませんよ」とも言っている。至極、まっとうな答弁に思える。
あれから15年近くがすぎ、日の丸や君が代を巡る風景、議論の内容や位置づけは大きく変わったと思う。法律制定時のこの国の最高権力者が「強制はしない」と言ったことが、その後はすっかりないがしろになり、教育現場では、式典等で君が代が歌われる際、教員の「口パク」を監視したり、告発したりする仕組みまで出来上がった。
こう書いていくと、おそらく、「君が代や国旗は当時よりさらに浸透したんだよ」などと反発される方もいると思う。その通りである。時代は変わる。時代が変わるということは、社会のシステム・仕組みや人々の意識も変わるということだ。そして世代交代は必ず進むから、ある出来事に伴う「変化」は、やがて「日常」になり、「日常」から「常識」、さらに「歴史」へと昇華していく。
きょう7日から特定秘密保護法案の実質審議が始まる。
この法案は当初、秘密保全法案とか秘密保全法制とか呼ばれ、もう10年近くも警察、外務、防衛の3省庁が水面下に潜って、法制化への動きを続けてきた。このブログで「野田内閣は本当に『やる』のか~秘密保全法案」とか、「国民に対する思想調査に道を開く『秘密保全法案』」といった記事を書いたのは、もう2年近くも前のことだ。そのうち、この日が来るだろう来るだろうと思っていたら、本当に、とうとうきた。
私自身はあちこちの講演会やシンポジウム、雑誌記事などで、この法案に対する考え、漠たる不安はさんざん表明してきた。その筋道は、今も大きく変わってはいない。きょう、何か書くことがあるとすれば、この国旗国歌法の「その後」だ。要するに、政府の姿勢や法律の解釈などは、時代の変遷とともに変わっていくのである。小渕氏の答弁と「その後」は、まさにそれだ。
秘密保護法案に関しては、閣僚や関係省庁の幹部、自民党の主要メンバーらが、あちこちでいろんなことを言っている。「TPP交渉」は特定秘密になると言ったり、ならないと言ったり、原発情報は入る・入らない。ひと言で言えば、法案を出したくせに、既にバラバラなのだ。首相が言い切った事柄がわずか10数年で消えてしまう実例を見ていると、政府要人の見解さえ統一できないこんな法案が通ったら、その先には、いったい何が待っているのか、分かったものではない。
いまの政府の約束は、将来への約束では決してない。そんな実例は、今まで、さんざん見せ付けられてきた。それとも、この法案に限っては、何か特別な担保でもあるというのだろうか。だから、「知る権利」に配慮するからとか、そんな言質にもならぬ言質と交換に、単なる行政官庁を国会の上位に持ってくるような法律をつくってはいけないのだと思う。
冒頭に記したニュージーランドでのこと。手元に残っている大雑把なメモによると、あの晩、国旗国歌法の制定をなぜ急いだのか、という私との問答の中で、小渕氏は「法律は変わるから」というセリフを口にしている。あの悪名高い治安維持法にしても、当時の帝国議会では暴力団対策としての側面も語られ、制定後は改正によって最高刑を死刑にした。治安維持法が猛威を振るったのは、法律が出来てからだいぶん年数が経ってからのことだ。
世の中は変わる。
法律は変わる。
解釈や条文改訂など、「変わる」ことへの道筋はいっぱいある。
執筆: この記事は高田昌幸さんのブログ『ニュースの現場で考えること』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年11月12日時点のものです。
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