高学歴と低学歴を分ける「好奇心」という能力

今回はやたすんさんのブログ『やたすんのお話』からご寄稿いただきました。

■高学歴と低学歴を分ける「好奇心」という能力
以前から何度かアナウンスしていたように、今日から約一カ月の間フィリピンへ遊びに行きます。フィリピンと言えば公用語の英語と低賃金を武器に、ここ数年“人材天国”として目覚ましい発展を遂げた国です。と同時に発展途上国にありがちな、貧富の格差も無視できないものになっているとも聞きます。この国が僕の目にはどう映るのか楽しみでなりません。

ちなみにこのブログは平常運転で更新します。ただネット環境の面で更新が不規則になるかも知れませんがご了承ください。南の島からエスニックな笑いをお届けできるように頑張りますので、読んでくださるとうれしいです。

閑話休題。さて文部科学省の調査*1では海外留学生の数は年々減っているようです。日本は安全な国でご飯もおいしいので仕方がないですね。地元のイオンで満足しちゃう人達がすごく多いのもわかります。

*1:「「日本人の海外留学者数」及び「外国人留学生在籍状況調査」について」 平成25年2月8日 『文部科学省』
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/02/1330698.htm

人なんて所詮食って寝てセックスするだけの生き物です。その辺がなんとかなれば大抵幸せに生きていけるでしょう。でもそれはただ生きているというより、むしろ世間様に生かされているといった表現が適しているように思えます。

どのような生き方が正解なんて人それぞれです。というか世の中に正解や間違いなんてものはありません。そこにあるのは自分がどう思うのか。この一点だけでしょう。そして生かされるのではなくて、生きたいと考えるならば、持つべき友は好奇心です。

基本的に学生は自分の世界しか知りません。それは生まれてずーっと親や学校から与え続けられて育ち、同じメンバーが同じ遊びをする世界です。その世界では別の何かに好奇心を持つという概念がありません。

しかし僕はたまたま地元のイオン以外にも、世界があることを知っていました。そしてそれはどんなものだろう。自分はどの世界でどうやって生きていこうかと、子供のころから考えていました。勉強があまり苦では無かったのは、このベースがあったからです。

ゆえに高学歴と低学歴という言葉を使うなら、それらを分けるものは好奇心の有無だと僕は考えています。好奇心があればそれを満たすために勉強をして、それが正のスパイラルを生んでいく。反対に好奇心がなければ目の前の快楽で満足して、そこで成長が止まってしまう。

成長が止まった人達は変化を極端に嫌います。なぜなら彼らにとって変化とは、自分の理解出来ない何かが自分達の世界を壊すことに他ならないからです。そしてこの変化を恐れる生き方は大きなリスクを内在します。自分からアクションを起こせない以上、自分の生活の大部分を外的要因にゆだねることになってしまうからです。

例えば米軍基地が危険だと思うなら、さっさと引っ越してしまえばいいだけの話です。個人レベルの問題で考えるならば。基地を移転させるよりよっぽど現実的な解決策でしょう。生まれた土地から何が何でも離れたくないと考える人は、この選択肢を取ることが出来ません。

自分の世界と他の世界の差を意識しないで、変なツイートをしてしまうのもリスクといえます。かつては高学歴と底辺の世界は交わることはなく、お互いを認識できていなかった。その両者が過激な形で交わり、高学歴の人達がその存在に驚嘆しているのが一連の騒動になります

このように高学歴にはコストがあり低学歴にはリスクがあります。ただそれだけの違いです。どちらかが一方ねたんだり、ましてやバカにする性質の話ではないように僕は思います。

そして今はまだ両者がお互いの存在に驚いている時期です。今後、高学歴が“くさいもの”に蓋をするのか。低学歴は“変わること”が出来るのか。そうやってこの後お互いが歩み寄っていくことが出来るのか。本当の問題は次のステージにあるのです。

執筆: この記事はyatasunさんのブログ『やたすんのお話』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年08月20日時点のものです。

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