今回はしんざきさんのブログ『不倒城』からご寄稿いただきました。
■「コックが「美味しくないですけど」といいながら出した料理を食いたい客がいるか?」
昔々のことだ。確かまだ学生の頃だったので、少なくとも10年以上昔の話である。
昔過ぎて経緯が曖昧なのだが、私があるステージに立ってケーナを吹く時、同じケーナ吹きの先輩が観に来てくれたことがあった。ステージの開始前に、ちらっと先輩と会話した。
細かい内容は忘れたが、謙遜のつもりで、ちょっとへりくだった言葉でも言ってしまったのだろう、多分。
先輩は同意するでも怒るでも笑うでもなく、単に一言、こういった。
「コックが「美味しくないですけど」といいながら出した料理を食いたい客がいるか?」
この言葉だけ、物凄く印象に残っている。今でも、この時の一言一句を鮮明に思い出せる。
後になってから理解出来るタイプの言葉だったと思う。この時は、先輩の言葉は他の会話の中に流れ去って、私は普通にステージに立ち、いつも通り演奏を終えた。
後から、私は、先輩の言葉をこんな風に理解するようになった。
時間なり、お金なり、どんなに僅かでも貴重なリソースを使って私の演奏を聴きに来てくれているのだから、この時先輩は「お客」であり、私は「コック」なのだ。仮に技術が稚拙だろうが演奏がいい加減だろうが、この立場は決して変わらないし、誤魔化せない。
そして、コックは料理を出してお客さんをもてなし、楽しませなくてはいけない。お客さんをもてなす時、わざわざ自分の料理に対して卑屈なレッテルを貼ろうとするコックなどいないし、いてはいけない。
これは多分、ある程度普遍的な話なんだと思う。
何かを他人に評価され得る場所にさらす時、我々はついついハードルを下げたくなる。あんまり期待しないでくださいね、とハードルを下げて、相対的な「期待してなかったけどまあまあじゃないか」という評価を確保したくなる。これは、ある程度仕方ないことなのかも知れないし、悪いことでもないのかも知れない。
しかし、少なくともそれが「客」と「店主」の立場であった場合。お客さんが何がしかのリソースを払って私の表現を観に来てくれている時、私は決して「美味しくないですけど」などと言ってはいけない。それは、お客さんが払ってくれた貴重なリソースに対する侮辱だ。
謙遜が美徳である場面は、勿論ある。しかし、卑屈は美徳ではないし、ハードルを下げようとするのは美徳ではない。多分、謙遜と卑屈の間のどこかに仕切りがあるのだと思う。
謙遜と卑屈の仕切りがどこにあるのか、ということは、物わかりの悪い私には正直良くわからない。
だから私は、「美味しいですよ」と言って料理を出すことにした。結果として美味しくなかったりお口に合わなかったら大変申し訳ないが、少なくともスタンスとしては「美味しいですよ」という態度を決して崩さないよう全力を尽くすことにした。
ケーナを吹く時、私は今でもそうしている。
執筆: この記事はしんざきさんのブログ『不倒城』からご寄稿いただきました。
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