表紙

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■赤瀬川原平氏の読者を驚愕させた佐野氏の原稿

ガジェット通信特別取材班のもとに、読者X氏から情報が寄せられた。X氏は作家・赤瀬川原平氏の熱心な読者だ。以前たまたま目にした佐野眞一氏の原稿に、赤瀬川氏の著作とソックリの記述を発見したという。当時、驚いて何度も読み比べたことが印象深いそうだ。

佐野氏の著作『紙の中の黙示録 三行広告は語る』(文藝春秋、1990年6月刊行)の冒頭部分では、赤瀬川原平氏の著作を参考にした三行広告についての記述がある。同書では赤瀬川原平氏のクレジットがきちんと明記されており、三行広告の記述については盗用・剽窃には当たらない。X氏の記憶に色濃く残る盗作原稿とは、いったいどこに掲載されているのだろう。

調べを進めていくと、どうやら平凡社が 1984年12月から93年4月まで発行していた雑誌「QA」の別冊ないし臨時増刊号に、佐野氏が問題の盗作記事を寄稿しているらしいことがわかった。早速「QA」のバックナンバーを調べようとしたものの、膨大な雑誌と目次情報を保有する大宅壮一文庫にも「QA」は所蔵されていない。出版元の平凡社に問い合わせたところ、自社保存用の資料ストックがないため、「QA」の別冊ないし臨時増刊号にに佐野氏が寄稿しているかどうかさえ確認できないという。

そこでガジェット通信特別取材班は、古書市場から「QA」の別冊や臨時増刊号と思しき商品を片っ端から買い集めた。そしてとうとう、「QA」(92年7月号)臨時増刊「暮らしの大疑問」に佐野氏の原稿を発見した。

■文献参照元を入れたりハズしたりする不思議な筆者

「QA」(92年7月号)臨時増刊に載った盗作記事を検証する前に、佐野氏の著作『紙の中の黙示録 三行広告は語る』を繰ってみよう。同書では、「芸術新潮」(84年7月号)に載った赤瀬川原平氏のレポートを紹介しつつ、以下のように綴る。

《赤瀬川は数年前から尋ね人の広告をコレクションしており、これを追っていくと、尋ねる側と尋ねられる側の二人だけのドラマが、一億人の注視のなかで進行するのをみているようだという。

【※以下、両親が「隆」に宛てた悲痛なまでの三行広告を15件にわたって列挙】

 息ぐるしくなるようなドラマ展開である。赤瀬川も最後の広告を見て思わずホッと息をついたといい、次のように結んでいる。

〈以後、隆への三行広告は出ていない。隆とその母親であろう真佐子との関係線は、新聞紙の片隅を離れて、一億人の渦の中へ潜っていった。もはや私たちには何もわからない〉》(佐野眞一『紙の中の黙示録 三行広告は語る』文藝春秋11〜13ページ、ちくま文庫版も11〜13ページ)

「芸術新潮」(84年7月号)に掲載された赤瀬川原平氏の原稿は、尾辻克彦・赤瀬川原平著『東京路上探検記』(新潮社、86年7月刊行、新潮文庫版は89年10月刊行)にまとめられている。なお「尾辻克彦」と「赤瀬川原平」は、同一人物の異なるペンネームだ。

先述のとおり、『紙の中の黙示録 三行広告は語る』では赤瀬川原平氏の原稿を参考にしたことが明記されている。「QA」(92年7月号)臨時増刊「暮らしの大疑問」に掲載された佐野眞一氏の4ページの原稿には、「赤瀬川原平」のクレジットはどこにも見当たらない。にもかかわらず、まるで佐野氏オリジナルの記述であるかのように堂々たる盗作が展開されているのだ。

以下、赤瀬川原平氏のタネ本と、佐野氏によるパクリ原稿を比較列挙しよう。少々長くなるが、問題の箇所を正確に全文引用しておきたい。

●赤瀬川原平氏のタネ本
赤瀬川氏原稿


《毎日配達される新聞を時系列で重ねてみると、三行広告はまさに電柱みたいに、その同じ通りに面してズラリと立ち並んでいることになる。
 それを切り取って集めてみようなんて思ったのは、一九七四年のころだ。(略)必要な新聞記事を切り抜くついでに、三行広告があれば切り取って順番にノートに貼っていった。
(中略)
【※以下、三行広告部分は現物のコピーを貼りつけている。三行広告の文字部分は「 」でくくって引用する】
「隆ちゃん お父さんが重病で入院 至急連絡をして下さい 真佐子」
(中略)
「隆 父心配のあまり重病 何も聞かぬ無事だけ知らせ 真佐子」
 また隆だ。しかし真佐子はさっきもあったぜ、とN君が言う。五ページほどさかのぼってみる。五ページで五ヵ月ぐらいだろうか。あった。やはり同じだ。しかし前のは隆ちゃんだ。それがこの間に三回出ている。それが今度はちゃんが取れて隆に。何か切迫したものを感じる。
「隆 父心配のあまり重病 何も聞かぬ無事だけ知らせ 真佐子」
 文字が大きくなっている。私はN君と顔を合わせた。次にまたあった。
「隆 無事の便り、家族皆うれし泣きした。近所の人達は誰れも知らぬ。過去と今後の進路は一切問わぬ。重病の父に一目だけでも会って欲しい 真佐子」
 隆は便りを出したのである。
(中略)
 しかしそれで終わりではなかった。
「隆 父は肝硬変で病床にあります。過去の事は一切心配いりません。勇気を出してぜひ電話して下さい。父は病床でそればかり待っています。 真佐子」
 文面が増えている。隆は電話をしないらしい。勇気とは何だろうか。これが二回つづいたあとメッセージは変る。
「隆 隆の部屋はあのままで淋しく帰りを待っている 表も裏口もいつも開けてある。便りだけでもせよ。 両親」
 両親とあるが、これも間違いない。N君もそう言う。隆の顔は見えないが、隆の部屋が思わず見えてきてしまう。これが二回つづいてさらにメッセージは変る。
「隆 やさしい隆。涙の親に一目会って助けてくれ。どんな相談にも乗る。過去は心配いらぬ。無事なら是非便りせよ。 両親」
 これも二回つづいている。どんな過去があったのだろうか。ほかにも無数にある「心配」と「連絡」のミニ電柱をかきわけるようにしながら、私たちは「隆」だけを追って行った。もはや註釈はいらないだろう。以後のすべてを掲載しよう。
「隆 父の病状思わしくない。近所の人達は何も知らぬ。一目だけでも会いたい 真佐子」
「隆 父の病状思わしくない。近所の人達は何も知らぬ。一目だけでも会いたい 真佐子」
「隆 父の病状思わしくない。近所の人達は何も知らぬ。一目だけでも会いたい 真佐子」
「隆 父の病状思わしくない。近所の人達は何も知らぬ。一目だけでも会いたい 真佐子」
「隆 父の病状思わしくない。近所の人達は何も知らぬ。一目だけでも会いたい。 真佐子」
「隆 父の病気と隆の心配で母は倒れそうだ。今母が倒れたらどうなるか。隆、たのむから連絡してくれ 真佐子」
「隆 父の病気と隆の心配で母は倒れそうだ。今母が倒れたらどうなるか。隆 たのむから連絡してくれ 真佐子」
「隆 父の病気と隆の心配で母は倒れそうだ。今母が倒れたらどうなるか。隆、たのむから連絡してくれ 真佐子」
「隆 元気出して会ってくれ どんな相談でものる 姉の所まで来てくれ、母も行く、日時知らせ 喜市」
「隆 元気出して会ってくれ どんな相談でものる 姉の所まで来てくれ、母も行く、日時知らせ 喜市」
「隆 過去心配するな。意志尊重。心配している両親を思うて連絡せよ。 両親」
「隆 三年近く母は日夜心配して泣いて倒れそうだ。連絡あれば母は必ず元気になる。 両親」
「隆 三年近く母は日夜心配して泣いて倒れそうだ。連絡あれば母は必ず元気になる。両親」
「隆 両親は隆の為に生きている。過去心配いらぬ。どんな相談にも乗る。連絡待つ。 両親」
「隆 両親は隆の為に生きている。過去心配いらぬ。どんな相談にも乗る。連絡待つ。 両親」
「隆 父吐血して高松の中央病院10階へ入院。母だけで待つ。 真佐子」
「隆 父吐血して高松の中央病院10階へ入院。母だけで待つ。 真佐子」
「隆 父吐血して高松の中央病院10階へ入院。母だけで待つ。 真佐子」
「隆 父吐血して高松の中央病院10階へ入院。母だけで待つ。 真佐子」
「隆 父キトクすぐ帰れ 高松中央病院入院中 真佐子」
「隆 父キトクすぐ帰れ 高松中央病院入院中 真佐子」
「隆 父死亡した すぐ帰れ 真佐子」
(中略)
 以後隆への三行広告は出ていない。隆とその母親であろう真佐子との関係線は、新聞紙の片隅を離れて、一億人の渦の中へ潜って行った。もはや私たちには何もわからない。》(尾辻克彦・赤瀬川原平著『東京路上探検記』新潮社、86年7月刊行、69〜75ページ/新潮文庫版は89〜100ページ参照)

赤瀬川氏末尾-1

赤瀬川氏末尾-2

●佐野眞一氏の盗作原稿
佐野氏原稿


《数年前、「隆」にあてた母親と思われる人物からの尋ね人広告が載ったことがあった。
【※以下、赤瀬川氏のように三行広告の切り抜きそのものを掲載するスタイルではなく、広告の文面を佐野氏が書き直している】
「隆ちゃん、お父さんが重病で入院。至急連絡をして下さい。真佐子」
 この三行広告のすごいところは、それから数日後、次のような広告が載ったことである。
「隆 無事の便り家族皆うれし泣きした。過去と今後の進路は一切問わぬ。重病の父に一目だけでもあって欲しい。真佐子」
 さらにこれに続いて、十回あまりの広告が打たれた。
「隆 部屋はあのままで淋しく帰りを待っている。表も裏口もいつも開けてある。便りだけでもせよ。両親」
「隆 やさしい隆 涙の両親に一目会って助けてくれ。どんな相談にも乗る。両親」
「隆 二年近く母は日夜心配して泣いて倒れそうだ。連絡あれば母は必ず元気になる。両親」
「隆 父吐血して高松の中央病院十階へ入院。母だけで待つ。真佐子」
「隆 父キトクすぐ帰れ。真佐子」
「隆 父死亡した。すぐ帰れ。真佐子」
 新聞記事では絶対に味わうことのできない、息ぐるしくなるようなドラマ展開である。
 この三行広告は、父死亡のメッセージで幕を降ろし、これ以降、隆への三行広告は出ていない。隆と母親と思われる真佐子との関係線はここで遮断され、一億人の渦のなかへ潜っていった。もはや私たちは何もわからないのである。》(「QA」92年7月号臨時増刊211〜212ページに載った佐野眞一氏の署名原稿)》

佐野氏末尾-1

佐野氏末尾-2

■他人の原稿を自分オリジナルの文章として発表

以上、赤瀬川原平氏のタネ本と佐野眞一氏の原稿を並べた。『紙の中の黙示録 三行広告は語る』では「隆」への三行広告をネタとして使うに際し、きちんと赤瀬川氏の名前を記録している。だが「QA」臨時増刊に載った原稿では、まるで佐野氏が独自に「隆」の一件を調べたとしか読めない。

丸パクリすることに含羞を覚えたのか、佐野氏が微妙に記述をすり替えているところも気になる。赤瀬川氏が三行広告のコレクションを始めたのは1974年以降だ。その蓄積を踏まえて、赤瀬川氏は「芸術新潮」(84年7月号)に三行広告についての原稿を書いている。ところが佐野氏は92年発行の雑誌に《数年前、「隆」にあてた母親と思われる人物からの尋ね人広告が載ったことがあった》と書いているのだ。これでは時系列が狂ってしまう。

佐野氏が三行広告を引き写すに際し、原文では「10階」とあるのを「十階」と直したり、表記をちょこちょこ改めている点も気になる。赤瀬川氏の原稿では「隆 三年近く母は日夜心配して泣いて倒れそうだ」とあるのに、佐野氏が「隆 二年近く母は日夜心配して泣いて倒れそうだ」と誤植しているのは笑える。どうせコピー&ペイストするのであれば、一字一句間違わず引用してもらいたいものだ。

佐野氏の原稿を「盗作」と断ぜざるをえない致命的な欠陥は、末尾の数行である。くどいようだが、該当箇所を今一度引用しておく。

《以後隆への三行広告は出ていない。隆とその母親であろう真佐子との関係線は、新聞紙の片隅を離れて、一億人の渦の中へ潜って行った。もはや私たちには何もわからない。》(尾辻克彦・赤瀬川原平著『東京路上探検記』)

《この三行広告は、父死亡のメッセージで幕を降ろし、これ以降、隆への三行広告は出ていない。隆と母親と思われる真佐子との関係線はここで遮断され、一億人の渦のなかへ潜っていった。もはや私たちは何もわからないのである。》(「QA」92年7月号臨時増刊、佐野眞一氏の署名原稿》

 何度でも強調しよう。上記は引用箇所ではなく、佐野氏の署名原稿に載った地の文(=筆者オリジナルの文章)だ。これを「盗作」と呼ばずして何と呼べばいいのだろう。

■パクリ作家の底知れぬ剽窃癖

 さらに、上記の記述以外にも剽窃の疑いはある。

赤瀬川氏レーザー光線のくだり

《こういうもの【※=三行広告】が一日に一本か二本、出ている日もあれば出ない日もある。

 日本に一億の人間が生活していて、それぞれがくっついたり分れたり、家出したり、病気になったり、死んでしまったり、また産まれたりしながら、忙しくもゆっくりと動いている中で、そのうちの一人か二人にどうしてもやむなく緊急に連絡をとりたい事情が発生すると、それがメッセージとなって、一億の人間を薄く包んだような新聞紙の表面に、ポツン、ポツンとあらわれてくる。

 そのメッセージはほとんど一人か二人に示されているものだ。(略)ふつうの商品広告が蛍光灯みたいなものだとすると、この三行広告はレーザー光線みたいなものだろう。それが新聞の片隅の一点で発光している。》(尾辻克彦・赤瀬川原平著『東京路上探検記』新潮社、86年7月刊行、69ページ/新潮文庫版は89ページ参照)

佐野氏レーザー光線のくだり

《新聞の片隅に載った一条の情報は、決して多数ではないが、その情報を切実に欲している特定の読者の目を、レーザー光線のように確実に射ぬいているのである。(略)こうした三行広告のなかでも、とりわけ強い光を放っているのが、一週間に一本か二本掲出される尋ね人の広告である。他の三行広告がぼんやりとした光を浮かべる蛍光灯のようなものだとすれば、一億人のなかのたった一人に向けたこの短冊型の三行広告は、真暗な海に光を投げる探照灯にたとえることもできるだろう。》(「QA」92年7月号臨時増刊211ページに載った佐野眞一氏の署名原稿)》

「蛍光灯」「レーザー光線」といった表現が共通するだけではない。このくだり全体に、赤瀬川原平氏の原稿が「レーザー光線のように」貼りついている。

 いったいぜんたい、佐野眞一氏はどんな心境でこの盗作原稿を書いたのだろうか。ムック本の臨時増刊号に載る雑文だから、バレないとでも思ったのだろうか。残念ながら、読者の目は節穴ではない。赤瀬川原平氏の熱心な読者からの通報により、原稿発表から20年のときを経て佐野氏の盗作がまた一つ明らかになった。パクリ作家の業績は、今「とりわけ強い光を放って」次々と現出している。

●追記:
佐野眞一氏は近著『この国はどこで間違えたのか』(徳間書店)で、沖縄タイムス記者のインタビューに答えて次のように語っている。

《彼女【=木嶋佳苗被告】は【ブログやメールでは】ものすごく饒舌なんです。饒舌なんだけれども、言葉がこっちへ来ない。嘘の内容だから来ないんじゃなくて、じっくり考えたら、「コピペ」だから来ない。コピー&ペースト。全てどっかから取ってきた言葉。インターネット社会の犯罪というかな。》

インターネットが日本に普及するはるか以前から、佐野氏は「どっかから取ってきた」「コピー&ペースト」を繰り返してきたのである。

(2012年12月23日脱稿/連載第13回へ続く)

●情報提供をお待ちしています
佐野氏の盗用・剽窃疑惑について、新情報があればぜひご提供くださいませ。メールの宛先はsanofile110@gmail.comです。(ガジェット通信特別取材班)

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