今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■抽象化のプロセスはなぜ定式化できないか
プログラミングでクラス設計とかしている人は、お馴染みのことだろうけど、良い設計をするには抽象化という作業が必要。余分なものをそぎ落として本質的なものだけを残す。いったん抽象化された概念は、そこから再度具象化することで、さまざまなもの生み出す手助けになる。具象化されたものよりも抽象化されたもの同士の方が扱いやすかったりするし。
ところがこの抽象化という作業が難しい。「ひらめき」という側面がある。ひらめいてしまえば、世界に対するものの見方が一転するほどのものさえある。代数的に解こうとすると難しくて解けない問題が、幾何学的に考えれば比較的簡単に解けるようなものだろうか。視点によって問題の見え方がまったく違うというケースは少なくない。
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なぜこの抽象化の作業が定式化できないのか。こういう手順でこう考えていけば、たどり着けるというものがないのか。いや、ある程度は定式化できる。
基本的に似たものの共通点をくくり出していけばいい。犬と猫の共通の特徴から動物という抽象的な概念を生み出し、動物と植物、さらにはウィルスなどから生物という概念を生み出していく。
ただ限界がある。たぶんこの方法で発想できるのは凡人レベル止まり。ではその先になにがあるのか?
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抽象化というのは、放射状に伸びた道を逆にたどるようなものだと思うのだよね。中心部に近づくに連れて、たくさんあった道が順次合流していく。外側に行くに従って無数に枝分かれしていく。
だから中心方向にどんどん進めばいいはずなのだが、なぜか行き詰まってしまう。普通に(定式的に)考えたのでは、ある地点より先には進めない。
たぶん中心部というのは、理論的には存在するけれど、人間には永久にたどり着けない場所なのだろう。近づくに連れてどんどん道がけわしくなっていく。無限の知識と無限の思考時間があれば、そこに行けるという極限の場所。
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しかしちょっと横を見れば、たぶんこの先合流しているであろう似たような道が見える。しかし合流しているように見えて、実は合流していない可能性もある。本当のところはわからない。それっぽい道は探せばたくさん見つかる。
はたしてどれが自分が今進んでいる道と合流する道なのか。正解部分が隠されているあみだくじのようなものだ。
で、一か八かでエイヤッとそのうちの一つに乗り換えてみる。そして少し戻る。つまり中心部からあえて離れる。そうしてたどり着いた場所が、どんな場所かが問題。アタリかもしれないしハズレかもしれない。そこから外側を眺めてみると、今までとは違う風景が見える。
山頂にはたどり着けない。でも峠から下界を眺めてみると、それぞれの峠から見える景色は微妙に違う。その風景が今直面している問題の解決に有益かどうかで、結果的にアタリハズレが決まる。
つまりこの部分に不確定要素が存在するために、抽象化は定式化できないのだろう。これがたかだか有限の知識と有限の時間しかもたない人間のできる抽象化の限界。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年05月14日時点のものです。
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