今回はsmall Gさんのブログ『small G』からご寄稿いただきました。
■日本の学校、アメリカの学校
今日ある日本の方と話していてなるほどと思ったことが有りました。
それは「日本とアメリカの普通の公立校」(私立の事を知る機会はゼロw)における生徒の取り扱いの差、そして親と学校の関係の差です。実際には色々と話したのですが、まず何よりも日本の方が驚かれていたのはアメリカでは希望した全く何でもない日に普通に授業参観ができることでした。これと同じ事は給食へ親が帯同することができるというのも普通にあって、お昼の時間に近所の家から自分の親がやってきて、ボランティアがてら自分の子供と一緒に昼食を食べたりもします。
また、学校の遠足に親が一緒に行くのも有りなんです。アメリカに来て子供達が就学し始めた最初の頃は私達も「ホントかい?」と思ってたんですが、カウンティーの責任のもとに運行されるバスに親が同乗できず、別に車で同一目的地に行かなければならないという規則以外は何も制限なしです。(無論、中学生以上の思春期世代は恥ずかしがって拒否しますが。w)
これは実際には親のボランティア活動の一環でして、みんなで「寄ってたかって」子供を育てるんです。教室に親が率先してボランティアとして参加していることも当然のように非常に多く、ボランティアの呼びかけに関して、通常は学校側が予定した要員が人数不足に陥ることはまず有り得ないです。
更にはPTAの活動が極めて活発で、PTAの役員を選定するのに、多くの日本の今の学校で起きているような誰もPTAになりたがらずに、PTAの役員選定が困難を極める、というようなことはまず起こらないこと、等をお話したところ大変驚かれました。こういう話をすると、お前のとこは毛色が違うんじゃないかと言われそうですが、私の場合、2つの州で違った時期に三人の子供達がそれぞれ自分の行きたい、毛色の違う公立の小中高へと行っているので、別に1つ2つの学校の例を挙げているわけではありません、また、中学高校にしても少なくとも対象通学エリアの異なる3つの学校をそれぞれ経験していますので、滞在したエリアや州における十以上の異なる学校においては、少なくとも「家族として経験した事実」として間違いのないものです。
私としてはそのような「我々的には日常的に当たり前の事」に驚かれた事それ自体に驚きましたが、よく考えたら自分の過去の学校生活を振り返ってみても、日本では確かにそんなことなかったな~、と変に納得した次第。例えば参観日には先生も親も、いつもは決して着ないような服を着てめかし込んだ挙句にどちらも決して通常は行わないようなスタイルで授業を行うとか。子供の目にさえ、高学年になってくるとオイオイという感じでしたが。(笑)
これというのはよく考えると日本の一般的な「儀式」に有りがちなハレとケのスタイルなんですかね? これを良しとするか否か・・・。
しかし、例えばこういった方法論を避難訓練なんかにも適用させていくのが日本式とでもいいましょうか。避難訓練なんて言うのは突然始めて、ああ!どうしよう。困った困った~、ちょっと待って!マジですか?というような状況で始めてこそ意味があると思うのですが、日本の大方の訓練の実際は、ガチガチに想定された所記の役割を各人が分担してこなし、どんなことが起きるのかを「細かく」想定して、その後どういう感じで対応するかまできちんと策定している・・・というのが日本らしいと言えば日本方式なんでしょうね。そんな予定調和節風には決して災害は来ませんけど・・・。行政側の免罪符にはなるのかな?
万一というのは「想定外」を想定して、訓練していくべきなのではないかと思うのですけどね。災害とか戦争は想定を超えてやって来ると想定することこそ対策の初歩というのが何故理解できないのか、それとも解っていても前例踏襲で変えようとしないのか。
学校の参観日といった小さな行事の「様式」の中に極めてハッキリと、日本という国の「形」が出ているのではないかとフト思ったのでした。
執筆: この記事はsmall Gさんのブログ『small G』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年04月18日時点のものです。
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